見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第五話
五歳のエレーヌはどこからか取り出した敷物とおままごとセットを、サリエルの家の小さな庭に並べて行く。
「どうぞ、おあがりくださいな」
「はい!おじゃまします!」
エレーヌは敷物の上にきちんと座る。
サリエルの体はここにきちんと座るには、大きくなり過ぎてしまった。昔は二人で座ってもまだカップやポットを置けたのだが。それでもサリエルは、隅の方に座った。
「ローズティーをさしあげますのよ」
「まあ、ありがとうございます」
おままごとセットのポットから、湯気の立つお茶がカップへと本当に注がれる。エレーヌが渡してくれたそれを、サリエルは口元に近づける……本当に良い香りだ。
サリエルはローズティを一口いただく……心が安らぐ。
「私……今回はどうしてこちらに来てしまったのでしょう」
サリエルはつぶやく。
「おおきなわたくしが、てれてれになって、スコップでサリエルのあたまをしたたかにたたきましたのよ。いたいのいたいの、とんでけですの」
エレーヌは眉をハの字にして立ち上がり、サリエルの頭を撫でる。
「それでまた魂が抜けたのね……」
「変な癖になると困るよ、気をつけないと」
マエリスとセザールも、小さな庭の小さなベンチに並んで腰掛け、少し心配そうに微笑んでいた。
「あ、あの、でもどうしてお嬢様はお照れになられたのでしょう?私何かお嬢様があんなになるような事を申し上げましたかしら」
「リシャールさんのおなまえですわ。おおきなわたくしったら、おたんじょうびのよるに、リシャールさんからすてきなくちづけをいただきましたのよ」
エレーヌは微笑みながら元の場所に座り、事も無げにそう言って、自分のカップにもローズティを注ぐ。
「えっ……ええええ!?」
「おおきなわたくしはいま、あたまのなかめちゃくちゃですのよ。それであんなぬけがらみたいになってしまいましたの」
サリエルの頭も目茶苦茶になっていた。大尉がまさか!?そんな事をする人だとは思っていなかった。一体誰の許しがあってお嬢様にそんな事を??いや……お嬢様も十七歳なのだから自分で判断してそうなさったのかもしれないけれど、二人はいつの間にそんな距離を詰めておられたのか?
いやいや、そんな筈はない、少し前、マナドゥ先生からのお誘いを、自分が早合点してラブレターだと騒いだ時のお嬢様は、大変解り易く動揺されていた。
そうだ。今だってお嬢様は大変に動揺されているのだ。相手の名前を言われただけで、スコップを全力で振り下ろす程に。やはり、お嬢様には心の準備が無かったのではないだろうか。
マナドゥ先生の件は自分の誤解だったが。あの時、お嬢様は言っていた。素敵な人だとは思うが自分は恋愛など意識した事が無いので、自分が相手を好きかどうかなど解らないと。
モンティエに対してもそういう気持ちではないのだろうか。あの、真っ赤なお顔で、だけど笑みを浮かべて、全力でスコップを振り下ろして来たのはそういう事ではないか。
しかし。
サリエルの物事の判断基準には、先ずお嬢様は悪くないという前提があるのだが、それ抜きにしても。今お嬢様が頭の中目茶苦茶になっているのはモンティエのせいだと思う。お嬢様が何をしたのかは知らないが、いきなりくちづけは無い。
覚悟の無いお嬢様に、野蛮にもそのような事を。やはり殿方は殿方、迂闊に気を許すべきではなかった。あの夜……自力でお嬢様を救い出す事が出来なかったのが悔やまれる。
「サリエル?おかおがこわいですのよ?」
「あっ……すみませんお嬢様!ですが……モンティエ大尉の事、ちょっと……簡単には許せない気持ちもするのです」
五歳のエレーヌはきょとんとして見せる。
横から、マエリスが、セザールが口を挟む。
「サリエル……お嬢様も十七歳でしょう?貴女が憤るような事では無いと思うわ」
「俺もそう思う。暖かく見守ってやればいいじゃないか。悪い男ではないんだろ」
サリエルは溜息をつく。解っている。これは半分以上感情の問題なのだ。自分は多分、自分の預かり知らぬ所で事態がそこまで進んでいたのが悔しいのだ。
サリエルは、お嬢様をお嫁にやる、またはお嬢様に婿をもらう事が、自分の人生最大の仕事と決めていたのである。その話が自分の知らない所で進んでしまうのは、少なからず悔しい……
そこまで考えてしまってから、サリエルは小さく吹き出すように笑った。自分はちょっと気が早過ぎる。
モンティエ大尉とエレーヌお嬢様……本当に結婚なさったら、どんな家庭になるのだろう?
次の瞬間。サリエルは青ざめて立ち上がった。自分が本当に忘れていたのは、栗拾いの事でもブルーノの事でも無かった。
そして慌しくポケットなどを探る……無い。そうだ、あの手紙は休日の昼間に受け取ったのだ。あの時自分はメイド服を着ていたのだ。
今は学院に行く直前だったので制服を着ている……ポケットにはハンカチしか入っていない。
だけど、そんな。封もしていない事務用封筒に愛の手紙を入れて、トマのような普段あまり面識の無い使用人に平然と渡してしまう人なんて居るのだろうか?普通は無い。
普通に考えたら、あれの中身は別段大事ではない、一般的なお知らせだと思う。
例えば……モンティエとお嬢様は同じ乗馬クラブに所属しているので、その中での何かのお知らせなど……
だめだ。願望の話をしても仕方が無い。万一そうでなかったらどうするのだ。
「大変……!私、急いであちらに戻りませんと!」
「えーっ、せっかくあえましたのに。でもきっと、おおきなわたくしのためですのね」
小さなエレーヌも立ち上がる。
「わたくしがごあんないしますわ!ついてきてくださるかしら!」
「はい、お嬢様!……あの……お父様、お母様、いつまでも心配ばかり掛けてごめんなさい……」
「とんでもない……本当はもっと、色んな世話を焼きたかったけどな」
「そうね……貴女のそのどうにも粗忽な所は直してあげたかったわねぇ」
「……意識が戻ります!サリエル・サルヴェールさん?解りますか?この指は何本ですか?数えられますか?」
「はい……三本です……」
サリエルは目を開けた。ここはどこだろう。伯爵屋敷でも学院でもない。
「申し訳ありません……申し訳ありません先生……」
サリエルからは、その瞬間へたり込んで床に這いつくばったエレーヌの姿は見えなかった。サリエルの顔の前に指を三本かざしていたのは、マティアス・マナドゥ医師だった。
ここは医学博士フーリエの診療所で、サリエルが横たわっているのは診察台だった。マナドゥの診療所は建物の二階にあるので、念の為一階に処置室があるこちらに搬送したのである。
「エレーヌさん……次に同じ事があったら警察にも通報させていただきますよ……」
「はい……二度といたしません……申し訳ありません……」
マナドゥは苦笑いをしている。立ち上がったエレーヌは顔を赤らめている……二人共何の話をしているのだろう?とサリエルは思った。そもそも自分は何故こんな所で横になっているのか。
「あの、お嬢様」
「サリエル!起きないで!」
「サルヴェールさん!急に動かないで下さい!」
起きようとしたサリエルは慌てた二人に止められた。
サリエルは夢で見た事を思い出す……小さなエレーヌが、大きなエレーヌの事を抜け殻だと言っていたような気がする。だけど今のお嬢様は抜け殻だろうか?最近のお嬢様はとても素敵な模範令嬢ではないか。
そもそも何故抜け殻になったのか?……思い出せない……サリエルが夢の中で得た知識は、サリエルの記憶の深い部分に納められ、眠りについて行った。




