十月のエリーゼ 第十八話
辺りは次第に暗くなって来た。クリスティーナが…一度、帰ってから一時間後。
最初に突入して来たのは公爵家私兵、青薔薇騎士団の近代騎兵だった。彼らは今度は真っ直ぐ伯爵屋敷のロータリーを駆け抜け、屋敷を取り囲むように展開すると馬を降り、一部は屋敷の出入り口を固め、一部は屋敷内へと突入して行く。
伯爵夫人クリスティーナはその後ろから、蒸気自動車を駆って現れた。
「エンジンを切らないで」
「はい」
クリスティーナは同乗していた黒服にそう指示すると、自らも乗馬鞭を手に足早に屋敷内へと向かう。
「奥様、これは一体、その」
「エリーゼとサリエルを出しなさい!居ないというなら徹底的に探しなさい!」
慌てて応対に出たディミトリに、クリスティーナは怒気荒く言い放つ。
次の瞬間。
――ドォォォォン!!
「うわああっ!?」
二階から爆発音が聞こえた。
クリスティーナは階段を駆け上がる。ディミトリも続く。
「奥様、お下がりを!」
二階の廊下は煙が充満し、何も見えない状態になっていた。声は先に突入した騎兵のものらしく、封鎖していたエレーヌの居住区の方から聞こえる。
「扉を開けた途端、爆発が起きこの煙が…」
「小賢しい…エリーゼの工作よ!窓を開けなさい!」
「それが、窓の鍵が潰されていて…」
――バリィィン!!ガシャン!バリィィィン!!
クリスティーナは鞭を奮い、窓ガラスを数枚破壊する。
「そちらもそうなさい!」
「ははっ、では」
――ガシャァァン!!バリィィン!!
煙の向こうでも、誰かが窓を破壊したようだ。気流が流れ、煙が少しだが移動を始める。
「あああっ、奥様、おやめください、どうか」
「ええい、下がりなさい!!」
すがりつくディミトリに、クリスティーナはためらわず鞭を浴びせ、突き飛ばす。
伯爵屋敷の割られた窓から、煙が上がる。
騎兵隊はオーギュスト伯爵の部屋にも突入する。彼らにとって公爵令嬢クリスティーナの命令は絶対だった。
「バルコニーに飲みかけのアイスティーがあります!デッキチェアも二つ!」
「私は寝室を探します。お前達はリビングを徹底的に調べなさい!」
「ははっ!」
クリスティーナは寝室の方へ向かおうとしたが。
「おっ…大丈夫か…?大丈夫か!?…クリスティーナ様!!残っていたアイスティーを飲んだ者が昏睡してしまいました!」
「愚か者!…まあ身を張ってヒントをくれたとも言えますわね。エリーゼとサリエル、どちらかが眠らされたのだわ…勿論サリエルでしょうけど。隠し通路は間違いなくこの部屋よ!」
リビングに戻ったクリスティーナは本棚や額縁の裏を捜索する。
「ありました!暖炉の中の横の壁が二重壁になっています!」
そして、暖炉を探していた騎兵の一人が、ついにそのレンガのブロックで隠されていた四十センチ四方の開口部を見つけた。
「私、ここに六年間住んでいましたのよ…こんな物存知ませんでしたわ」
クリスティーナはまだ傍らに控えていたディミトリを睨みつける。
「私も存知ませんでした!本当です、ヘルダも、先代の執事長も知らなかったと思います!」
「そう…つまりこの先はストーンハート家の秘密…」
クリスティーナは近くのランプを一つ手に取る。
「クリスティーナ様!危険です、我々が参りますので…」
「駄目よ。この先は私でないと駄目。エリーゼがいつ戻るか解らないのだから、貴方達は屋敷内を徹底的に固めなさい。ディミトリ。勿論貴方達も協力するのよ…私に!エリーゼに手を貸すというのなら、屋敷を爆破してでも見つけ出しますわ!」
「そ、そんな…」
「エリーゼに対する発砲は二発まで許可します。一発目は威嚇よ。おわかり?」
クリスティーナは最後に騎兵にそう伝え、隠し通路に入って行く。
伯爵屋敷の敷地は、一部が古代帝国時代の遺構の上にそのまま建てられていた。
当時ここには高度な水道施設があったのだが、帝国の衰退によって侵入した蛮族に破壊されたという。
ストーンハート家の祖先の源流もその蛮族である。この地に住みついた彼等はその複雑な地下構造を、単に貯蔵庫や牢獄として使っていたという。
ナッシュは地下に居た。サリエルを押し込めておいた部屋まであと少し。
しかし何かがおかしい。あそこには十二時間燃える蝋燭を立てておいたはずだった。周辺には全く明かりが見えない。
ナッシュは一度、持っていたランプのシャッターを閉め、暗闇に包まれた辺りに目を慣らす。
それからほんの少しだけシャッターを開き、慎重に進み…廊下からその、扉の無い部屋をそっと覗き込む。
「…嘘…」
サリエルはそこに居なかった。サリエルを縛り付けていたはずの石垣が二か所、すっぽりと抜けている…あの見た目は華奢な怪力メイドは、手枷を石垣ごと引き抜いたというのか。
次の瞬間。ナッシュは迫りくる死を感じ、大きく飛び退いた。
――ガシャアアアン!!
大きな石が砕けるような音が地下室に響き渡り、飛び散る火花がほんの一瞬、鬼神の姿を照らし出した…この瞬間を待ち構えていたサリエルが…腕に繋がれた数十キログラムの岩石を振り回し、攻撃して来たのだ。
下がるのが一瞬でも遅れていたら、ナッシュの頭蓋骨は粉砕されていたかもしれない。
ナッシュは素早くランプのシャッターを完全に閉めていた。閉めていたが、このような暗黒空間ではほんの僅かな光でも、相手に居場所が知れる。
――ガシャアアアン!!
再び岩石のハンマーが振り下ろされ、ランプが粉々に砕けた。ナッシュはランプから手を離していたが…砕け散ったランプの周りには燃え上がる油が広がり、この地獄の光景を…照らし出した。
サリエルの両腕には太い鎖のついた手枷が残っていたが、今の攻撃で岩の塊はどちらも砕けて無くなっていた。
しかしサリエルの手には…この迷宮のどこかに転がっていたのだろうか。それなりに重量のありそうな片刃の斧が握られていた。
「――天誅…。」
ナッシュはこの上なく青ざめ、腰を抜かしていたが、その斧が振り下ろされる寸前にどうにか飛び退き、肩口から真っ二つにされるのを免れた。
――ガキィィィン!!
斧は床を打ち火花を上げる。十分な威力の斬撃。殺さないつもりは全く無い、間違いなく、殺すつもりの一撃だった。
ナッシュはどうにか立ち上がり、反対方向に駆け出す。
「天誅!!」
サリエルも床から斧を引き抜き、追い掛ける。
地下迷宮の通路は、長い所では屋敷の敷地を越えて続いている…元々水道施設の跡なので先の方は水没していて、今では外に出る事までは出来なくなっていた。
ナッシュは暗闇の中、壁伝いに忍び足で歩いて行く。壊れたランプの明かりももう届かない。
サリエルは一度消していた蝋燭を取り、床の壊れたランプの灯を移す。奇襲に失敗したのは口惜しい。しかしこちらは腕の鎖がどうしても鳴ってしまうし、地の利もナッシュの方が上な気がする。
明かりはあった方がいい。サリエルはそう考え、蝋燭と斧を手に迷宮を行く。
ナッシュはひとまず脱出しようと、屋敷側の通路まで戻って来る…しかし。
「…」
ナッシュの耳は上から降りて来る足音を聞きつけていた。
そして、上から降りて降りて来る人物、クリスティーナも…下で足音がしたのを聞きつけていた。
両者が止まる。先に気配を取られた方が負けだというように。
しかしナッシュの側にはあまり時間が無かった。背後から斧をもったメイドが自分を殺す気で追って来るのだ…鎖の音が…少しずつ近づく…
カチャ。
ナッシュの耳はさらに。上で小さな金属音が鳴るのを聞いた。それはそう、例えるならば…拳銃の撃鉄を起こす音だ。
ナッシュは覚悟を決めた。今来た道を全力で反転する。
狭い通路に足音が響く。上から来る者もゆっくりと階段を降り始めた。
サリエルも前方から誰かが走って来る音を聞いた。
ナッシュの行く手にはT字路が。左に曲がればサリエルが居る。正面は少し行って行き止まり。後ろからは銃を持った誰か。
ナッシュは走るスピードを弱め、近づく鎖の音との間合いを計り…一気に飛び出し、左へ曲がる!
斧を持ったサリエルは目の前に居た…!
ナッシュは…
サリエルの判断時間を最小限にし、その振り回された斧を紙一重で避け…
反対側に駆け抜けた!
「なっ…」
サリエルは小さく叫んだ…蝋燭が消えたのだ。自然に消えたのかナッシュに消されたのかは解らない。
そしてサリエルは気づく。前方から足音が迫っている事に…敵か味方か…ここがどこなのかも解らないサリエルとしては、一応警戒せざるを得ない。
ナッシュを一旦後回しにし、T字路の前で息を潜めるサリエル。
「…」
前から来る誰かが、どうやら手に持ったランプの、シャッターを開けた。明かりが漏れ、T字路の上の部分を照らす…
クリスティーナから見ればそれは、直進か左かの三叉路だった。足音は左の方へ駆け抜けて行ったように聞こえた。
「…」
クリスティーナはランプの明かりを向けながら、左を向いた。
「きゃあああああああ!!」
「ひっ!?」
剛毅なクリスティーナも、暗闇の中突然目の前に、手首に太い鎖をぶら下げ斧を振り上げた殺気だつ女が現れては、悲鳴を上げ銃口を向けるしかなかった。
サリエルはサリエルで、突然の大音量の悲鳴に驚き硬直してしまった。
「あ…あ…危うく撃つ所でしたわ!何の真似ですの貴女!もしかして私やはり撃った方が宜しいのかしら!?」
「ち、違います奥様!ここには大変な危険な不審者が居るのです!奥様…ああ…御無事ですの!?皆様は御無事ですの!?お嬢様は!?」
「貴女が無事なの!?またエリーゼと二人何をふざけてらっしゃるの!!」
「違うのです!!本当に不審者なのです!!御願いします奥様、お嬢様は無事なのですか!?教えて下さい!!」
「その斧を!まず降ろしなさい!本当に撃つわよ!!」
「あああ、申し訳ありません!私動転してしまって」
サリエルは斧を降ろす。クリスティーナも銃を降ろし、撃鉄と安全装置を戻した。
「エリーゼ!居るのでしょう!出て来なさい!!」
クリスティーナは通路の奥へと呼び掛けた。
サリエルが横から、すがりつくように言う。
「違います、この先に居るのは怪人なのです、数か月前から現れて、屋敷の周りで悪事を働いている怪人なのです、エドモンさんを始め複数の人が見たのです」
「悪事?」
「はい、無断でトイレを掃除したり、鶏舎を掃除したり…」
「それが悪事ですの?」
「キャベツを勝手に収穫したりもしました!」
「盗んだのね?」
「いえ…箱に詰めて倉庫に…」
暫しの沈黙が流れた。
「あ、あの奥様、お嬢様は御無事なのですか!?」
「夕方までは上でヴァイオリンを弾いてましたわ!」
「あの、上というのは…?」
「…貴女、誰かにアイスティーを飲まされませんでしたの?」
「…ええっ…あの…私、何故ここに居るのか思い出せませんの…」
「ふざけてないでしょうね?ここは屋敷の地下よ!貴女はエリーゼに眠らされてここに連れて来られたのではないの?」
「た…大変!!奥様!奥様!きっとお嬢様もあの男に捕まっているのです!!お嬢様も眠らされてきっとここに!!」
クリスティーナは溜息をついた。サリエルとの会話は全くかみ合わないが、この話の全体像はだいたい見えて来たと思えた。
「貴女が言ってる不審者というのは、大きな帽子を被ってらっしゃる、貴女と背丈が同じくらいの人物かしら?昨日、正門前で暴れていた?」
「は…はい!その男ですわ!」
クリスティーナは通路の奥に向かって叫んだ。
「エリーゼ!貴女がそのおつもりなら結構!サリエルにお別れを言いなさい!この子は私がレアルに連れて帰りますわ!」
「…奥様…?」
言うが早いか、クリスティーナはサリエルを小脇に抱え込んだ。
「あ、あの奥様、これはどういう」
「いいからこっちへいらっしゃい!もう付き合っていられませんわ!」
「お待ち下さい奥様!お嬢様が、お嬢様が奥に囚われているかもしれません、あの男に、奥様!」
「エリーゼは上でヴァイオリンを弾いていたと言ってるでしょう!」
「…それをご覧になりましたか?」
「…何よ?見てはいないわ。だけど音を…」
「この屋敷には旦那様の蓄音機があるのです!ヴァイオリンの音なら弾かなくても出せるのです!奥様!」
「蓄音機ぐらい知ってるわ!そんな音じゃなかったわよ!」
「御願いします!お嬢様が居るかもしれないのです!御放し下さい!」
「暴れるのをおやめっ…何この子っ…こんな細いのにっ…どういう…怪力っ!」
「探すのです!お嬢様を探すのです!」
この場所に一番精通しているのは、勿論ナッシュだった。古代帝国人は大変聡明な人々で、この地下通路にも別途通風孔がを設置されていた。
彼からしてみれば、サリエルがこれだけ時間を稼いでくれたら、十分だった。
――ガラガラガラガラガラ、バタン。
「ちょっと!」
クリスティーナは上から聞こえた物音の元へと走った。
今し方、彼女が降りて来たはずの階段が…天井に収納され、消えていた。




