十月のエリーゼ 第十六話
「またそんな格好で、外へ出て…世間が見たら伯爵令嬢は気が触れたのかと思いますわ…」
公爵令嬢でもある母、クリスティーナが言った。
後ろに控えるヘルダもがっくりと肩を落とす。何故奥様が居らっしゃるタイミングでそんな格好をしているのかと。
しかし軍服姿の伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートは、少しも気にした様子も無く。
「乗馬の稽古に参りましたの。どうせ馬に乗るのだからドレスを来て馬車で行くなんて非効率ですわ」
そう答えて、玄関ホールを素通りしようとする。
「ちょっと…こちらにいらっしゃい」
「あら。また娘を膝に乗せて尻を御打ちになりますの?」
クリスティーナはエレーヌを捕まえ、家族用リビングへと連れて行く。ヘルダは部屋の入り口まではついて行き、二人が中に入ると、外から扉を閉めた。
奥様も奥様ですけど…お嬢様もお嬢様なのよね…ヘルダは思った。
「貴女にお詫びしないといけないのよ」
クリスティーナは娘から手を離すと、俯く。
「私…今夜にも発たないといけなくなりましたの」
クリスティーナがそう言うと。先程まではどんな感情も見せなかったエレーヌが。ドレスの袖を掴み、母に顔を寄せる。
「私が言う事を聞かないから、そんな事をおっしゃるの?」
「そうではないのよ…また陛下が…別荘を建てようとしていると、議会で噂が立ちましたの。陛下に問い質さないといけないわ」
「どうして!お母様はただの伯爵夫人じゃない!殿方…男共は何をしているの!」
エレーヌの目尻に涙が浮かぶ。
クリスティーナは、ただかぶりを振った。
「私に出来る事があるならば、そうするべき。そうでしょうエリーゼ」
「明日は私の誕生日ですのよ?娘の為に出来る事があるとは思いませんの?」
「貴女が言ったんじゃない、母に誕生日を祝っていただく年じゃないって。それでね…エリーゼ。本当に御願いなんだけど…あの子…サリエルを…」
クリスティーナがそう言い掛けた瞬間、エレーヌは感情を爆発させた。
「冗談じゃないわ!私の事が気に入らないからって何でそんな酷い事が出来るのよ!?誕生日に居なくなるだけじゃ飽き足らず、私のたった一つの宝物まで取り上げるつもり!?それでも貴女、人の親なの!?」
「違うのよ、エリーゼ、本当に、ああいう子の能力が必要になるのよ、身体と忠誠心が強くて教養もあって、有事には衛士にもなり、陛下のお眼鏡に叶う美貌もある、あの子ならきっと、状況を変えてくれると思うの」
「絶対に嫌!!!」
「エリーゼ…本当に、今は八方塞りなのよ…今、オーギュストに何かあったらこの国はどうなるか…国王が、静かに…静かに王笏を置く事、緩やかに王政を終わらせる事、それがこの国の平和を守る唯一の方法なのよ…」
「その為にサリエルを犠牲にしろと言うの!?そんな事をしてまで、何を守るっていうのよ!!そんな事をするくらいなら暴力革命にでもなって私がギロチンにかけられる方がマシよ!!」
「エリーゼ…」
エレーヌは着替えもせず、軍服のままリビングを出て行った。
残されたクリスティーナはソファに沈み込み、溜息をつく。
サリエルは農家に馬を返していたので、エレーヌよりかなり遅れて戻って来た。
それから人目を忍んで庭師用の通用口から敷地に戻り、鶏舎に飛び込んでそこに隠しておいたメイドの服に着替える。
「急がなきゃ…」
この企みのせいで小一時間エレーヌを放置してしまった。早く見つけないと。
サリエルは屋敷中を探す。
エレーヌはオーギュストのリビングに居た。
「どこ行ってたのよ」
「すみません、少々お使いに行ってましたの!」
エレーヌは機嫌を損ねていないか?サリエルはそっと様子を伺う。
どういう加減か。エレーヌは鼻歌まで歌いながら着替えを始めようとする。
機嫌はいいのだろうか?だけどさっきまで泣いていたかのように目元が赤らんでいるのが気になる。
「お嬢様、今扉を閉めますわ」
「あら、うっかりしてましたわ」
サリエルはリビングの扉を閉める…乙女の着替えだ、見せびらかしていいものではない。サリエルも手伝い、エレーヌは軍服からいつもの部屋着に着替える。
「いい天気ね…テラスで日光浴でもしようかしら…貴女も御一緒に如何?」
「あら…宜しいですね、それは…」
いつも一緒の主従ではあるが、学院以外の場所では二人が差し向かいで座ったり、並んで座ったりする事はほとんど無い。二人共普段は主従の区別ははっきりつける性格である。
それが珍しく。エレーヌは自らも手伝って、日光浴用の寝椅子をテラスに二つ、同じように並べた。
「貴女も上着くらい脱いだらいいわ」
「奥様に見られないでしょうか…?」
「いいのよ。そこまで気にしなくても」
十月の昼下がり。太陽は柔らかく、風はほのかに冷たいものの…日光浴にはうってつけの日だった。
エレーヌがふと、立ち上がる。
「お嬢様?」
「喉が渇きましたわ…いいの、貴女は寝ていて」
「はい…」
エレーヌが自分で飲み物を取りに行く事など珍しい。普段は目の前にあるペンでもサリエルに取らせるのだ。
しかし今日は、それだけではなかった。エレーヌはサリエルの分の飲み物も持って来た。
「お待たせしましたわ。アイスティーしかございませんけど宜しかったかしら?」
「す、すみませんお嬢様!ありがとうございます…」
サリエルは感激しつつグラスを受け取る。エレーヌが手ずから入れてくれた飲み物を受け取るなど何年ぶりだろうか。昔はおままごとの途中でよくそうしてくれたのだが。
「いただきます!」
サリエルは飛び切りの笑顔でそう言って、アイスティーをいただく。
寝椅子の上で起こしていた、サリエルの上半身が揺らぐ。
「どうなさいましたの?大丈夫ですの?」
エレーヌはそう言って、サリエルの体を支えた。
大丈夫も何も、サリエルのアイスティーに一服盛ったのは勿論エレーヌである。
「これは私の物…誰にも渡しませんわ…」
エレーヌはサリエルが完全に昏睡しているのを確認すると、狂気の笑みを浮かべ、その体をリビング内へと引きずって行く。




