十月のエリーゼ 第十三話
二人はそれぞれ剣を真っ直ぐに立て、口元にかざした。
黒づくめは両手でしっかりと剣を握り、最初から積極的に仕掛けた。三度、四度、火花が散る。
ナッシュは片手で柔らかく広く構えたまま、足捌きだけで切っ先の流れを変え、斬撃を受け流す。
「民事紛争の解決手段としての決闘は、法律で禁止されています!」
鎧武者の一人が間に割って入る。しかし。黒づくめとナッシュは協力するかのように、同じ方向にその鎧武者を追いやってしまった。
黒づくめが叫ぶ。
「美しい令嬢を奪い合って男が戦うのだ!邪魔するな!」
ナッシュは何故か頬を赤らめる。
「いや、そうじゃねえけどその、まあ、男の意地とかあってだな」
黒づくめは本物の殺気をまとわせた剣で、立て続けに諸手突きを放つ。
「エレーヌ様は私の物だ!!」
ナッシュはどうにか足捌きでそれを避ける。
「エ、エレーヌは誰の物でもねえ!」
黒づくめは一旦剣を構えなおし、間合いを変え、大きく強く剣を振る。ナッシュはそれを一度避けてから、一気に間合いを詰め、鍔競りに持ち込んで止める。
鍔で押し込みながら、黒づくめは真顔で声を震わせる。
「エレーヌ様の!瑞々しい唇も!もちもちの頬も!芸術的なくびれも!私は必ずや手に入れるのだ!」
顔を真っ赤にしたナッシュは、次第に押し込まれて行く。
「よ、よくも臆面も無く、恥ずかしくないのかお前」
黒づくめは鍔を押し込む。今にもその刃がナッシュの頬に触れそうな程に。
「お前とてエレーヌ様の、あの白く透き通る柔肌に触れたいのであろう!」
ナッシュは身を翻し、黒づくめの膝に蹴りを入れて窮地を離れる。
「ひ、人を不審者呼ばわりして、どっちが不審者だこの野郎!」
黒づくめは間合いを取り直し、剣を大上段に構える。
「これは情熱という物だ!私はエレーヌ様の全てが欲しいのだ!」
黒づくめの大上段からの一撃を、ナッシュは構えを崩して回避する。
「変態だお前は!」
ナッシュめがけて横薙ぎに剣を振る黒づくめ。
「変態ではない!!」
横薙ぎを剣で受け止めたナッシュは、足捌きを使った攻めに転ずる。
「うるせえこの変態!くらえ!死ね!」
ナッシュの多段攻撃を黒づくめは正眼の構えと足捌きでかわす。
「生きる!エレーヌ様の艶やかな唇を奪うまで私は死なない!」
遠くで汽笛が鳴った。
蒸気自動車が、一台。長屋通りの方から…伯爵屋敷に向かって走って来る。
「…」「…」
男達は鍔競りの姿勢のまま、自動車に顔を向けた。
汽笛がまた鳴った。
運転席側の窓から…オーギュスト伯爵夫人、クリスティーナ・ローザンヌが顔と左手と拳銃を乗り出していた。
――ドン!ドン!ドン!ドン!
「うわああ!」「きゃ…ぎゃあああ!」
立て続けに銃口が火を吹き、飛来する銃弾が地面に跳ねる。ナッシュも、黒づくめも、剣を手放して離れた。
重力に引かれた二振りの剣はただガシャガシャと音を立て地面に落ちた。
ナッシュは、黒づくめは、伯爵屋敷の塀沿いの道を…同じ方向に逃げ出してしまった。
――ドン!ドン!
さらに二発、銃声が響き…自動車は一旦止まり、クリスティーナは一度車内に戻ったが…装填された別の拳銃を手に、再び顔を出す。
物も言わず必死に逃げて行くナッシュと黒づくめを、蒸気自動車が追って行く。
伯爵屋敷の門前には、いくらかの男達が残された。
黒づくめが乗って来た辻馬車の御者が正門に近づき、しゃがむ事が出来ず剣が拾えなくて困っている鎧武者の為、剣を拾って鞘に戻し、渡してやる。
「すみません、助かります」
「…あの旦那、帰りは乗らないみたいなんで、もう行きますね」
辻馬車は御者だけを乗せ離れて行く。
屋敷の外苑に駐屯していた騎兵隊の方も困惑していた。こういう事態を想定した命令は出ていなかったのだ。介入していいのかどうかも解らない。
まあ、男が二人、決闘をしているのを邪魔するのは無粋だろう。彼らはそのくらいの気持ちで事態を見ていた。
――ドン!………ドン!
ブドウ畑の間の道を、蒸気自動車は暫く走り回っていた。時折、銃声を響かせながら。
しばらくして。
――ドゴォォォォン!!
伯爵屋敷で、午後五時の時砲が鳴った。
エレーヌは、オーギュストの書斎からよろめくように出て来た。着ている聖ヴァランティーヌ学院の制服も酷く着崩れていて、ブラウスははみ出しているしリボンは曲がっている…
「お嬢様!」
書斎の外でエレーヌが出て来るのを待ち侘びていたヘルダが駆け寄って来る。
「先程奥様がお戻りになられました!いけません、このような姿では…」
「サリエル…あの馬鹿はどこ…」
「お嬢様!」
「あの御馬鹿のサリエルさんは何処へいらっしゃいましたの…」
ヘルダはとりあえずエレーヌの制服を調える。だけどこの時間まで意味もなく制服で居る事自体、クリスティーナに見つかったら大目玉だ。
「あの子もこんな大事な時に何処へ…ともかく、私が御手伝い致しますので、早く…素早く御家族部屋へ…」
エレーヌの着替えは家族用リビングの奥の部屋に移されており、そこに行かないと着替えられない。
廊下にはヘルダの手配で角々にメイドが配置されていた。メイド達は情報をリレーする…今の所階下にクリスティーナは居ないと。
「今ですわ」
エレーヌとヘルダは、クリスティーナに見つかる前に着替えるべく、家族用リビングへと走る。
一方、下校時に金融通りで馬車を降りていたサリエルは、疲労感をどうにか覆い隠したような様子で、伯爵屋敷に続く通りに戻って来た。
通りでは騎兵隊が整列させられていて、クリスティーナの叱責を受けている所だった…エレーヌの言い草ではないが、ああしているとまるで将校のようである。
サリエルは努めて平静を装い、通りを歩いて行く。クリスティーナは振り向く事もなく、騎兵隊に叱責を浴びせ続けていた。
そして問題なく、サリエルは屋敷の正門に達しそこを通過する。
思わぬ邪魔は入ったものの、エレーヌへの求愛者を装う芝居にはほぼ成功した。サリエルはそう思っていた。
あとはこの事を伯爵令嬢に報告するだけだが…あの怪人の事は話すべきだろうか?あの不埒な破廉恥男も、一応、お嬢様を誕生日デートに誘う為と言っていた。つまり、お嬢様への求愛者としてカウントすべきだろうか。どうなのか。
それからサリエルは、古いガレージにも目をやる…クリスティーナ奥様が蒸気自動車を置く為、普段閉められているその扉は、開けっぱなしになっていた。
一体あの山車は、風船は、誰が何処へ移してしまったのだろう?お嬢様のお誕生日デートが中止であれば、あの山車はまた必要になる…しかしその行方が解らないのだ。あんな大きな物を誰が何処へ?
屋敷に戻り、手早く自分の着替えを済ませたサリエルは、エレーヌの姿を探し方々に顔を出す。その途中。サリエルはこんな時間まで裏庭の生け垣の形を整えていたエドモンに目を留めた。
「あの、エドモンさん、古いガレージの事なんですが…」
「俺も言おうと思ってたんだ、お前さん、今年も何か作ってたみたいだから…」
エドモンも去年の大惨事の事はよく覚えていた。小火を出した後を片付けたのはエドモン達だったし、庭の監督責任者としてエレーヌから叱責されたのもエドモンなのだ。実際にはエドモンはサリエルに言われるまま道具を貸し出しただけだったのだが。
「奥様がガレージを開けるように言った時はドキッとしたけど、ちゃんと片付けてあったみたいだったな。あれを見られてたら大変だったぞ」
「えっ…あの、エドモンさん達が隠して下さったんじゃなかったんですか?」
「あれ、お前さんが隠したんじゃないのか」
「いいえ…どちらにありましたか?」
「見ていないよ。変だな…おいまさか、また怪人が何かしてるんじゃないだろうな」
サリエルは手で口を抑える。
「怪人!怪人ですわ!あの男、今日、白昼堂々表れましたのよ!!」
「何だって!?一体どこに…おい、まさか奥様に見られてないだろうな」
「見られるどころか!奥様が…」
サリエルはそこまで言って言いよどむ。自分もあの場所には居なかったはずだという事を思い出したのである。
「近所の方に聞きましたの、正門前に怪しい男が現れて…別に現れたインバネスコート姿の紳士と決闘になったと…」
「ちょっと待て、それは本気で言ってるのか!?屋敷の門前でそんな事件が?」
「幸い紳士のおかげで怪人は逃走したそうですわ。それをお帰りになった奥様が見つけて、蒸気自動車で追い掛けて行かれたと…」
「大変だ、その話お嬢様やディミトリは御存知なのか?早く知らせないと!」
結局エレーヌは、普段は絶対近づかない家族用リビングの中に居た。
「つまり、二人の不審者が屋敷の前で喧嘩をしていて、お母様はそれを銃で追い払って車で追い掛けたのね?」
「いいえ、違いますわ、一人の不審者を一人の紳士が追い払い、お母様がそれを追い掛けられたのですの」
「…ふうん」
「インバネスコートの紳士は、お嬢様をお誕生日デートに誘いに来られたのですわ。そこにその不審者が居て…その不審者も、不埒にもお嬢様とデートしたいなどと…身の程もわきまえず申していたようですが」
「…そう」
サリエルは精一杯の作り笑いを浮かべる。
「その紳士様はどんな方なのでしょうね?お嬢様も大変ですわ、道を歩けば見知らぬ殿方より好意を寄せられるのですもの!美しさは罪ですのね」
エレーヌはサリエルから顔を逸らし、特大の怒筋と最悪の渋面を作った。




