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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
十月のエリーゼ

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十月のエリーゼ 第十二話 *

 十月五日の朝が来る。エレーヌの誕生日は明後日であったが、今の伯爵屋敷はそれ以上の緊張に包まれていた。

 屋敷の外縁には近代騎兵が二十人駐屯していた。彼らは陣幕を構え、周辺を固く警護していた。

 そして屋敷の正門の両側に二名、ロータリーに二名の、こちらは時代がかったフルプレート鎧に面頬付きの兜を被り、黒のサーコートを着た青薔薇騎士団。さらに数名の黒いトレンチコートの幹部士官。

 彼らは全てローザンヌ家の私兵で、伯爵屋敷からの補給を受ける事なく、独立した警備組織として機能していた。



 郵便配達夫のバスティアンにとって、今や伯爵屋敷は気の進まない配達先の一つだったが、この日は特に近寄り難いと思われた。


 どうも先日、薔薇の封蝋のついた手紙が届いた事と関係があるような気がする。あれを見てサリエルが血相を変えたのだ。

 あんなのは良くない知らせに決まっている。こんな警備をしなければいけなくなるような手紙…脅迫状か、果たし状か…


 それを届けてしまったのは自分かもしれないが…仕方がない。自分は郵便配達夫であり、正当な切手を貼られた郵便物を宛先に配達するのは、神聖な仕事なのである。バスティアンはそう思った。


「郵便です、レアルから…」


 バスティアンは鎧兜の一人にそう言って封筒を差し出した。


「ああ、ごくろうさまです」


 想像していたのよりはずっと優しい感じの男性の声が、兜の中から聞こえて来た。



「郵便ですよ」

「恐れ入ります」


 正門近くに待機していたサリエルは、時代錯誤な鎧兜からすぐに郵便を受け取る。それは案の定レアルからの手紙だった。

 そして幸い今日は他に…サリエル宛ての恋文は来ていない。日頃からあの種の手紙を見るのは辛いが、今は特に辛い。



 それから。屋敷のメイドが今朝は綺麗に一列に並んだ。


「いってらっしゃいませ、お嬢様」

「いって参ります、皆様」


 エレーヌもサリエルも踵を揃えて礼を返し、戦列に復帰したディミトリが扉の開け閉めをして…伯爵家の馬車は、聖ヴァランティーヌ学院へと出掛けて行く。

 クリスティーナはその様子を、二階の廊下の窓から見つめていた。



 今日のエレーヌは馬車の中でも恰好を崩さず、腕組みをして目を伏せていた。

 何かあったのか。無いはずも無い。サリエルは探りを入れた。


「マナドゥ先生のお誘いの件ですが…日時はもう明後日ですし、今日にもお返事を差し上げた方が宜しいかと思いますわ」


 エレーヌの反応は鈍かった。伯爵令嬢は細めたままの目を一度だけサリエルに向けたが、すぐに元通り目を伏せてしまった。

 サリエルは暫く返事を待つが、エレーヌが返事をする気配は無い。


「…やはり私からお断りしておきますわ」


 サリエルがそう言っても、エレーヌは無言だった。ならばもう、それで良さそうだ…マナドゥ先生の話は初めから無かった事に…

 サリエルがそう思った瞬間、エレーヌは腕組みをして目を伏せたまま、椅子からずり落ちた。


「お嬢様?」


 女主人の突然の奇行に、サリエルは人としてごく普通に応じた…すなわち助け起こそうと腕を伸ばす。しかしエレーヌはその手を取らず…起き上がり、サリエルの隣に座る。


 普段は斜め向かいに座る二人。主従はまた暫く無言になった。


「お母様に何か…大見得をお切りになられましたね?」

「ええ…他にも数名の殿方からお誘いを受けて…迷っていると…」


 馬車は金融通りを進む。


「事態は…複雑化の一途を辿っていますわ…」


 サリエルが頭を抱える。


「貴女の事は信頼してますわ。ですがこの件については私が私の責任で片づけますの。マナドゥ先生への返事も含めて、貴女は手出ししないで下さるかしら」


 エレーヌがサリエルへの信頼を口にする事は非常に珍しかった。落ち込みがちのサリエルの心に灯が点る。

 お嬢様、一計がございますわ。サリエルは心の中でそう呟いた。




 ジョゼは今日も教室に現れなかった。




 そして午後。

 学院からの帰路につく伯爵屋敷の馬車は、金融通りで一旦止まった。


「申し訳ありませんお嬢様、鞄などは後で片付けますので」

「貴女また何か企んでるんじゃないでしょうね?この前も古いガレージの方で…」

「あれは不幸な誤解でございます…」


 サリエルは一人、そこで馬車を降り、聖ヴァランティーヌ学院の制服のまま、街の雑踏の中へ消えて行く。



「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただ今戻りました、皆様」



 帰宅したエレーヌは、玄関ホールに佇み耳を澄ます。罵声や悲鳴、謝罪、今の所そういった音は聞こえて来ない。

 それでいくつかの部屋を探してみるのだが。家族用リビング、寝室…クリスティーナの姿はどこにもない。


 ディミトリの姿も見えないが、何処かへ行ったのだろうか。

 エレーヌは階段ホールの吹き抜けでヘルダの姿を見つけ、ヘルダが自分を見るのを確認してから、右手で自分の左肘、耳、腰、に触れる。

 ヘルダは右手で…ブロックサインに応じようとしたが、辺りを少し見回しただけで、エレーヌの方に駆けて来た。


「奥様は外出中です、蒸気自動車でお出かけですので大丈夫と思います」

「どうりで表の騎兵が減っていると思いましたわ」


 屋敷の戒厳令は続いている間は、例えクリスティーナが外出していても対クリスティーナ用の作戦は続ける。それは皆で確認した事だった。


「あの女、何時頃出掛けましたの?どこへ行くと?」

「お嬢様…いけません」

「コホン…ごめんあそばせ。お母様はどちらへ行かれたのでしょう?いつ御戻りになられるかしら?」

「近くのお知り合いを訪ねると…御昼食の後で御出でになられました」

「…ありがとうございます。学校の宿題をするのにお父様の書斎を借りますから、人払いを御願い致しますわ」


 エレーヌは礼を言い、父オーギュストの部屋の方に向かう。



 そして十五分後…伯爵屋敷の裏の片隅から、帽子と髭の男、ナッシュは現れた。


 屋敷の警備は普段より人数が多い。

 その代わり、エドモンやサリエルのような屋敷や庭の構造に精通した手強い相手は、他の事で忙殺されている。庭師チームも料理チーム程ではないが緊張感を持った仕事を求められているのだ。


 ナッシュはローザンヌ家の私兵の目を難なく掻い潜り、庭師用の通用門から外へ出る。そしてぶどう畑や農家が点在する、街の外縁を駆け抜けて行く。


「ハァ…ハァ…」


 今日はいくらか涼しいので大きな上着でも過ごしやすいのだが…やはり走れば汗も出る…ナッシュは途中から長屋通りの方へ曲がり、そこを走って…結局、伯爵屋敷へと続く道に出る。


 そこまで来るとナッシュは普通に歩いて、伯爵屋敷の方へと向かう。



 伯爵屋敷の前に立つ、二人の鎧武者も、屋敷に向かって歩いて来るその男を見た。

 道の両側には十騎程になった近代騎兵も、駐屯し警護しているのだが、彼等は伯爵屋敷に近づく者を誰彼なく止める為にそこに居る訳でもない。


 ナッシュはどんどん歩いて来て、正門を守る鎧武者たちの前まで来た。


「随分物々しい警備ですね。まさか、伯爵家によからぬ事が起きたのでしょうか」


 ナッシュの身なりはその辺りの工場労働者風のものだったが、今日の彼は背筋をきちんと伸ばし、綺麗な発音で話していた。


 鎧武者の一人が答える。


「市民には関係の無い事です」


「これは失礼致しました。しかし私もエレーヌ・エリーゼ・ストーンハートさんの身を案ずる男の一人なのです」


 ナッシュはそう言って、懐から一通の封筒を取り出し、深く頭を下げる。


「誠に恐れ入りますが、この手紙を…エレーヌ様にお仕えするメイドにお渡ししてはいただけないでしょうか?」


 鎧武者は答えた。


「申し訳ありませんが、手紙なら切手を貼ってポストに入れていただきたい。それがこの国の規則で、それはこの屋敷でも変わりません」


 そんな問答をしていると。ナッシュの後ろから…馬の足音が迫る。一人の乗客を乗せた、一頭引きの辻馬車がこちらに向かって来る。



「ここで少し待っていてくれ給え」


 御者にそう言って馬車を降りて来たのは、ナッシュと同じくらいの背丈の、黒いインバネスコートを着込み黒い山高帽を被り、ハンドルバー髭を蓄え、分厚い丸眼鏡をした紳士…いや、怪しい男だった。

 男は少し興奮した様子で…そして見た目よりはかなり甲高い声で、ナッシュを指差して言った。


「何故お前がここに居る!諸君!この男は不審者です!」


 しかし。伯爵家の門前とはいえ、ここは公道。そしてそのへんのブドウ農家や工場労働者と変わらない恰好のナッシュが居ることはさほど不審ではない。むしろ突然現れたこの黒づくめの男の方が、鎧武者から見ても怪しく見えた。


「お前は以前伯爵屋敷の庭に忍び込み、不埒にも…トイレというトイレを掃除して回った怪人だろう!」


「ちょ、ちょっと待って下さい、貴方は誰なんですか」ナッシュ。


「トイレだけじゃない!鶏舎も倉庫も掃除した!勝手にキャベツを収穫して箱に詰めて倉庫に積んだのもお前だ!」


 鎧武者は困惑していた。クリスティーナが彼らに与えた命令は、伯爵屋敷の門前に立ち続ける事であり、不審者を捕まえる事ではない。彼等は警官でも軍人でもないし、この家の人間ですらないのである。

 しかも今、黒い不審者が読み上げている罪状も、それが何罪になるのかさっぱり解らないのだ。


「あ、あのう」


 鎧武者が恐る恐る言った。


「それで貴方がたは、何の御用でお越しになられたのですか」


 ナッシュと黒づくめが同時に答えた。


「「エレーヌお嬢様を誕生日デートに誘いに」」


 ナッシュは黒づくめを見た。黒づくめも分厚い丸眼鏡をナッシュに向けた。


 もう一人の鎧武者は思った。伯爵令嬢の周りの男達って、こういう感じなんだろうか?遠目に見ていてもとても綺麗な娘さんだし、もっと見た目の良い男が多いものだと思っていた。


「お前だけは…」


 黒づくめはつけていた黒い皮手袋を片方外し、ナッシュの足元に叩きつける。


「お嬢様に近づける訳には行かない!!」

「あっ!だめですよ!」


 言うが早いか、黒ずくめは鎧武者の腰のロングソードを勝手に引き抜く。


「やめて下さい!」


 ナッシュも黙って飛び退きつつ、もう一人の鎧武者の抗議を無視してロングソードを鞘ごと奪い取る。

※ネタバレあり



 ↓




勿論、「黒づくめの男」の中の人はサリエルです。

どちらも「そんな男が居ないなら自分が化ければいい」と、エレーヌに言い寄る男に扮して手紙を届けに来ただけなのですが、運悪く鉢合わせてしまいました。悪い事は出来ませんね。

サリエルは以前からナッシュの事をお嬢様を狙う破廉恥男だと思っています。

エレーヌはこの怪しい黒づくめを初めて見ました。

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