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お抱え料理人オルフェウス 第五話

 それから二週間程して。


「お父様!お待ちしておりましたわ!」

「おお、エレーヌ…元気そうで何よりだ。怪我をしたと聞いて心配しておったのだぞ…何とも無いようで、良かった」


 ストーンハート伯爵家当主、オーギュスト。エレーヌが敬愛してやまない美丈夫の父である。

 父は普段は首都で国王の腹心として働いており、カトラスブルグに戻る事はあまり無い。母は公爵家の人間で普段は公爵家で暮らしている。


「今回は何日くらいこちらに居られますの?」


「うむ…残念だが、今夜にはもう一度宮殿に向かわないと行けない。お前にはいつも苦労ばかりかけてしまうな」


「御仕事、大変ですのね。私は大丈夫ですわ!この屋敷で、学び舎で、毎日楽しく過ごしてましてよ」


「ありがとう、私の宝物、エレーヌよ…そうだ、夕食は一緒にとろうか…どこか外で食べるのもいいかな。久しぶりに戻ったのだ、バルタザールの店がいい」


 そうして、伯爵家当主と令嬢は、馬車で出掛けて行った。

 屋敷の使用人達は、当主がすぐにまた帰ってしまうと聞き、落胆していた。父親が居る間は、さすがの令嬢も猫を被っていて、機嫌も良く無理難題も言わないのである。



 朱塗りの豪華な馬車は大通りを行く。


「もう少しスピードを落として下さる?」


 馬車の中から、エレーヌは御者にそう声を掛けた。


「危ないもの」

「ははは、お前は本当に優しいね、エレーヌ」


 やがて馬車はバルタザールのレストランの前に止まった。

 父のエスコードでエレーヌはゆっくりと馬車を降りる。


 近くにもう一台、馬車が止まっていた。黒塗りの四頭立ての馬車…ローゼンバーク男爵家の馬車だ。

 向こうの御者達も、伯爵とその令嬢を目にすると、恭しく礼をした。



 バルタザールの店の格式は王国内でも最高ランクとされ、最上階の四階は最高のもてなしを受けられる場所として知られていた。

 この日はこの場所には先客が居た。軽いウェーブのかかった見事な金髪の、長身痩躯の美男子、アンドレイ・アンセルム・ローゼンバーク男爵だった。

 男爵は二年前に父を亡くし二十三歳の若さで当主となった。今も独身である。


「これは…奇遇ですね、ストーンハート伯。御令嬢との貴重な時間の、御目汚しにならなければ良いのですが」


「ハッハッハ…謙遜が過ぎるぞ、アンドレイ君。君のような先客は大歓迎だ…そうだ、同席させて頂いても宜しいかな?」


「はい。御令嬢…エレーヌ殿に御異存がなければ」


「元よりある筈もありませんわ!お会いできて光栄です」


 エレーヌは恭しく礼をして、席に着く。


 給仕達が手際よく席を整えて行く。よく冷えたシャンパンもすぐにやって来た。


「ではまず…再会を祝して」アンドレイがまず、グラスを掲げた。

「乾杯」「乾杯」



 オーギュストとアンドレイは外交の話をしていた。仲の悪い海を隔てた海洋王国。立憲君主制を採用した隣の帝国。古くから血縁の続く別の隣の王国…

 教養豊かなエレーヌはそんな話にも決して遅れをとる事なくついて行った。


 やがて話が文化の話に移る。王立楽団と王立バレエ団、その公演と評判。

 エレーヌは文化の話になると、二人の当主よりむしろ詳しいぐらいだった。古典から現代の斬新なアレンジの話まで、何でもよく知っていた。


「エレーヌ殿は本当に教養豊かですね…まだ聖ヴァランティーヌ学院に通う学生だとも聞き及んでおりましたが」


「おかげ様で、良い先生について様々な事を学ばせていただいてますの」


 オーギュストは二人の話を聞きながら、一人頷き…切り出した。


「ところで…アンドレイ卿。貴方も今年二十五になるはず…どなたか、心に決められた御婦人が居られるのですかな?」


 アンドレイは苦笑いで答えた。


「オーギュスト様まで…御勘弁下さい。近頃、母はその話しかしません。私も、良い御縁があればとは思うのですが」


「もう、お父様、失礼ですわよ。アンドレイ様はどんな女性にも愛されるのよ。きっと素敵な方がいらっしゃるに決まっているわ」


 エレーヌは頬を赤らめて言った。


「エレーヌ。お前は…」


 オーギュスト伯爵がそう言い掛けた時だった。


「あ…私、オムレツが食べたいですわ!」

「…?」

「オムレツ…?」


 エレーヌは顔を真っ赤にして俯く。


「嫌ですわ、私ったら!どうして今、そんな事を言ってしまったのかしら!」


 オーギュストは苦笑いをする。


「ハハハ…まだまだ、色気より食い気かね…それとも照れ隠しか?ん?」


「もう!お父様…」


 アンドレイも微笑み、給仕に合図をする。


「オムレツを一つ。レディにね」


「もう、アンドレイ様まで…」


 エレーヌは可愛らしく照れ笑いを浮かべる。



 この店では、客に注文された物は、材料が無い物でない限り必ず出て来る。

 それが例え、トリュフやフィレ肉をふんだんに使った、伯爵家親子と男爵家当主との会食の席にでもである。



 三人が今度は最近発売された海洋小説の話をしていた時だった。


「おや、本当にオムレツが出て来たぞ」


 オーギュストはそう言って苦笑いをした。


「もちろん、いただきますわ。私、大好物ですのよ」


 エレーヌは構わず、新しいスプーンを取り、オムレツに匙を入れ、一口運ぶ。

 心地よいバターの香りと、なめらかに溶け合った黄身と白身の食感、ふくよかな味わいが口に広がる。


「完璧ですわ…さすがバルタザールさんのお店ですわよ。オムレツひとつとっても最高級ですわよ。恐らくこれ以上のオムレツは大陸にありませんわ!」


「困ったものだ…アンドレイ卿の前でそんな顔をして。ハハハ…」

「いえ…素敵なお嬢様と思いますよ…そうだな…私もいただこうか」

 アンドレイは給仕に合図をする。


「このオムレツもシンドラーシェフがお作りになったの?」


 エレーヌは傍らの給仕に尋ねた。


「いえ、オムレツは卵料理専任のシェフが作ります。シンドラーも、オムレツなら自分より上と認めた天才シェフですよ」


 給仕ははきはきと答えた。


「凄いわ!シンドラーシェフに認められるなんて、どんな達人なのかしら!私、そのシェフにご挨拶させていただけないかしら!?」

「はい、では奥に伝えて参ります」


 給仕はキッチンの方へと歩いて行った。


「どんな方かしら?達人というのだから、年配の方かしら」



 暫くして…その男は現れた。

 それは、伯爵も伯爵令嬢も知っている男だった。


「お前は…オルフェウス!」


 口を開いたのは伯爵の方だった。

 オルフェウスは、バルタザールの店の刺繍の入った真っ白な立派な服を着て、正規のシェフである事を示す背の高いコック帽を被り、遠慮がちに目を伏せて、けれども堂々と、胸を張って立っていた。


「お前が何故ここに…」

「申し訳ありません…私が悪いのです、私がお嬢様に」


 エレーヌは立ち上がった。それ以上オルフェウスが何か言う前に。

 その顔色は真っ青だった。


「申し訳ありません!私、急に気分が…!失礼させていただきますわ!」


「エレーヌ?」


 父が呼び止めるのにも構わず、エレーヌはすたすたと歩み去り、早足で階段を下りて行った。



 伯爵令嬢は足早に店を出ると、自分の家の馬車に向かった。


「先に帰るわ。後でもう一度父を迎えに来て」


 エレーヌはそれだけ言うと、馬車に飛び乗り、扉を閉め、窓のカーテンも閉めてしまった。


 伯爵家の御者達は顔を見合わせたが、キャビンから「早く出発しなさい」と急かす声がしたので、急いで準備をして、馬車を走らせた。


「ゆっくりでいいのよ」


 馬車が走り出すと、再びキャビンから声がした。

お抱え料理人オルフェウス編、終わり


今回はゆっくり書きます…

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