十月のエリーゼ 第一話
伯爵屋敷は不穏な空気に包まれていた。
明日から十月…つまり。あと一週間ほどで伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートが十七歳になる。
世間で言う所の、誕生日がやって来る。
去年は小火を出し二人が軽傷を負い、地元当局からもお叱りを受けた。
屋敷の避雷針の上に留まったカラスが、眠そうに鳴いた。
―――アワ。アワ。アワ……
エレーヌは自分の部屋ではなく、父オーギュストの部屋のリビングの窓から、庭を見下ろしていた。
今年も父は戻って来ない。今現在、外交特使として西に6000kmの彼方に居るらしいので、物理的にも間に合う事はあるまい。
令嬢は窓辺を離れ、リビングの壁際のクロゼットを開く。父が趣味で集めている猟銃やライフル、拳銃の他…ストーンハート家先祖伝来の段平刀がある。
エレーヌは手を伸ばし、その段平の鞘を掴む。
それはおおよそオーギュストやエレーヌの持ち物のようには見えなかった。これは、ストーンハート家の祖先が荒野を騎馬で駆け巡り、斧を振りかざして殺到する高地民族の男達の頭蓋骨を、片っ端から叩き割っていた頃の品物なのだ。
エレーヌは段平を抜き、鞘をその辺りに立てかけ、それから近くの肘掛けの無い椅子に座る。
「…」
何の表情も浮かべぬまま、エレーヌは段平の古い油を拭い紙で丁寧に拭き取ると、ぽんぽんと打ち粉を振って行く。
「あれで何をなさるおつもりなのだろう…」
その様子を扉の陰から覗きながら、執事長のディミトリが言った。
「きっと…単に気持ちを落ち着けていらっしゃるのですわ…」
サリエルが小声で答える。
夜。勤続三十年のヘルダから夏に入ったばかりのポーラまで、伯爵屋敷のメイドは全部で十一人。それが全員、屋敷の中二階の物置部屋に集まっていた。
この部屋は屋敷で唯一、メイドだけが開け閉め出来る部屋である。
この扉の鍵はヘルダとサリエルが一つずつ持っていて、残る一つはメイド用の居室の壁に掛けてある。他には執事長ディミトリもオーギュスト伯爵も、勿論エレーヌも持っていない。
中にあるのはメイド用の古い衣装や道具、がらくたの類だ。その他に、十一人が一度に入って密談を交わせる程度のスペースもある。
「今年は…お嬢様をお誘いになる御友人は、いらっしゃらないと思います…」
サリエルが目を伏せて呟く。
「今年も、ですわね…」「来年もかしらねぇ…」「はぁ…」
各々が呟く。
「ち、違いますわ、決してお嬢様に魅力が無い訳ではなくて、その、あまりにも魅力的なので皆様が敬遠されてしまってですね…」
「そうねサリエル…皆もいい?お嬢様はあまりにも魅力的過ぎるものだから、御誕生日を祝って下さる御友人も、誕生日デートに誘ってくれる殿方もいらっしゃらないのよ?解っているわね?」
慌てて弁明するサリエルの言葉を、ヘルダが引き継ぐ。方々でメイド達が頷く。
「あ、あの…」
最年少のポーラがおずおずと手を上げる。
「普通に私達でお祝いして差し上げては…いけないのですか?」
方々から溜息が漏れた。
かぶりを振るメイド、頭を抱えるメイド、目を覆うメイド…
「あのね、ポーラ」ヘルダが優しく言った。「以前そう思ってメイドだけでパーティを用意したら、お嬢様は大変お怒りになられて…お前達は何故私が誕生日会に友人を連れて来ないと思ったの、と…」
「すみません!」ポーラは慌てて頭を下げた。「それでその年はお友達は…」
サリエルは目を伏せ、かぶりを振る。
「では、あの…」ポーラはめげずに言った。「誕生日パーティの準備をして、私達で出席者を集めてはいけないのですか?」
方々から溜息が漏れた。
かぶりを振るメイド、頭を抱えるメイド、目を覆うメイド…
「あのね、ポーラ」ヘルダが優しく言った。「以前そう思ってメイドで出席者を集めたら…本当に頑張ったのですけれど…出入りの青果商とか、取引銀行の営業社員とか、中古ピアノの買い取り業者とか、そんな人達しか来なくて…」
「すみません!」ポーラは慌てて頭を下げた。「それでその年はお嬢様は…」
サリエルは目を伏せ、かぶりを振る。
ポーラもそれ以上は何も言えなくなった。
「とにかく、今年こそお嬢様の為に!素敵な誕生日を皆で演出致しましょう!その為にまず、皆でアイデアを…」
サリエルがそう切り出した所で、ヘルダが口を挟んだ。
「ねえサリエル…貴女の気持ちは解るのよ…だけど現実を見てご覧なさい。今まで私達が苦労して何か良くなった事があったかしら?…去年も言わせていただきましたけど。今年こそは私達、お嬢様の誕生日をごく無難に乗り切る方向で動くべきですわ」
数人のメイドが頷く。今年はもう、ヘルダのように考えるメイドの方が数が多いようだ。
サリエルは俯くしかなかった。メイド達も一枚岩ではなかったのである。
「少しだけ特別な料理を用意して…それから、朝一番に全員で御祝いを申し上げてしまいましょう。あとはいつも通りで。お嬢様に何を言われても我慢するのよ」
他のメイドも概ね頷く。
サリエルは考えていた。去年も一昨年も多数派工作を駆使し、最終的に嫌がる皆を巻き込んで、誕生日会を企画したが…結果は捗々しくなかった。
「あの…サリエルさん」
他のメイド達が物置部屋を立ち去って行く中。最後まで残っていたのは、考え込むサリエルと、次の仕事がないポーラだった。
「ああ、ごめんなさいポーラ、貴女はもう寝ていいのよ、遅くまで御免なさい」
「あの、いえ…お嬢様の御誕生日、本当にあれでいいんですか?」
ポーラは心配そうにそう言う。
サリエルは思い出した。そう言えば去年も…ミリーナを多数派工作の手駒として使った事を…サリエル自身が動けば警戒心を起こさせてしまう相手も、ミリーナを使って揺さぶれば上手く行く場合も多かった。
サリエルはポーラから顔を逸らし、策士の表情を浮かべる。
「サリエルさん?」
「大丈夫よ、ポーラ。お嬢様は最後は必ず幸せになるに決まってますわ」
サリエルは自分に言い聞かせるように、そう言った。
「あと…その、サリエルさん、私…」
「…どうかしたの…ポーラ?貴女よく見たらちょっと顔色が悪くない?熱でもあるの?」
サリエルは何気なく、ポーラの額に手を当てた。
「きゃあああああああ!!」
サリエルはポーラを軽々とお姫様抱っこしたまま、物置部屋の扉を足で開け、階段の踊り場に飛び出す。
「お嬢様!お嬢様!」
動転したサリエルは、たまたま階段を一階から登り始めようとしていたエレーヌを見つけ、その元に駆け寄る。
エレーヌは何の表情も浮かべずに、サリエルの方を見ていた。
「お嬢様!ポーラが!ポーラが大変な熱を出しているのです!!お嬢様!」
エレーヌは動揺するサリエルの腕から軽々とポーラを奪い取ると、サリエルの背中を蹴りつけるように押しのける。サリエルは転倒し床に転がる。
「何よ病人の前で大声出して。こっちにいらっしゃいポーラ」
「あ、お、お嬢様、私歩けますから…」
「そう?じゃあ歩いて。大丈夫よ、たいした事ないわ」
エレーヌはそう言ってポーラをそっと床に降ろし、一階の応接へと連れて行く。
「そんな所にいつまでも寝てないで、さっさとディミトリを呼んできなさい!本当に気が効かないグズなんだから」
少し鼻を打って涙が出たサリエルに、エレーヌの冷たい言葉が降りかかる。
3/30現在
伯爵令嬢エレーヌ(略) 122pt
うさぎとかめと42.195km 404pt
エレーヌ「くっ...殺せ」
サリエル「お嬢様それは悪役令嬢ではありませんわ」
エレーヌ「40話やってて10万字越えてるのに、作中作の短編に3倍以上のpt差で負けた連載小説があるって本当ですの?」
サリエル「たくさんの方にお読みいただけて、感謝しかございませんと、お嬢様は申しております…」
エレーヌ「これ以上の辱めを受けるくらいなら潔く死を選ぶ!」
サリエル「当作品と併せてお読みいただけた皆様には、重ねて御礼申し上げますと、お嬢様は申しております…」




