側仕えのサリエル 第十二話 *
「よいこがみちを~いきました~♪」「お花が香る~森の中~♪」
五歳のエレーヌと十八歳のサリエルは、森の中の一本道を歩いていた。
小川のせせらぎ。木漏れ日の中を舞い、点いたり消えたりするちょうちょ。こまどりが枝の上で歌いながら、くるくると向きを変える。
「うさぎのふたごがやってきてー♪」「かけっこしないといいました♪」
機嫌よく歌うエレーヌの後を、サリエルは一緒に歌いながらついて行く。エレーヌは振り向いた。
「サリエルだいしゅき!」
「私もエレーヌ様が大好きですわ!」
エレーヌはまた前を向き、歩いて行く。道が二手に分かれていた。それぞれに立て札が立っている。
【 ← りそう 】 【 げんじつ → 】
エレーヌはにこにこ笑って振り返る。
「サリエルー、どっちがいい?」
「エレーヌ様と一緒ならどちらでも!」
「じゃあひだりー!」
「はい!参りましょう!」
「うさぎのしっぽはまんまるしっぽ♪」「うさぎのおしりはふわふわおしり♪」
あるようなないような歌を歌いながら、二人は【りそう】へと消えて行く。
三叉路は暫くの間、静かだった。
草むらから亀が一匹現れ、Y字路をゆっくりと横切って行く。
ゆっくりと。ゆっくりと。
やがて亀は反対側の草むらの中に消えた。
―――カシャン……。カシャン……。
【げんじつ】の向こうの、鬱蒼と茂る森の中から、地面を引きずるような音と、金属がこすれる音が響き…次第に近づいて来る。
――カシャン。カシャン。
やがて現れたそれは、十六歳のぼろぼろのエレーヌだった。鋼の大甲冑を着て小脇に大兜を抱えている。鎧の肩や背中には何本も矢が刺さっている。
折れて穂先の無くなった槍でどうにか体を支えながら、エレーヌは土の道についた足跡を検める。
「…うう…う…」
エレーヌは呻き、片足を引きずりながら、【りそう】へと這うように進む。
サリエルの部屋にエレーヌがやって来て、一時間が経過していた。二人共ピクリとも動かない。サリエルはずっと眠っていた。エレーヌも眠っていた。壁にもたれて眠るその様は、捨てられて放置されたリアルな人形のようでもあり、軽く怖い。
十六歳のエレーヌは喉の渇きを覚え、小川のせせらぐ音を探す。そして道を離れ小川に近づく…小さな川だったが、流れは速く水は清く、飲むのに問題は無さそうだった。
エレーヌは川に向かい屈み込もうとした。しかし、甲冑が邪魔してしゃがむ事が出来ず、水面に手が届かない。
――ガシャン!!
エレーヌは自ら地面に倒れ込む。そして転がって川の方へ向かおうとする。しかしどちらに転がっても川が見当たらない。せせらぎの音はするのに…
エレーヌは目を覚ます。何故か床に倒れていたが、とりあえず最低限の睡眠は取れたかもしれない。
外が少し暗くなっている…もう夕方だろうか。
立ち上がったエレーヌは、部屋の鏡を見る。
「…」
自分の顔を見た途端、寝ぼけて少し忘れていた、今日起きた事の全てが、エレーヌの脳裏に蘇る。
伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートにあるまじき醜態の数々…
エレーヌは頭を抱え、崩れ落ち、雨の日に地表に迷い出てしまったミミズのように、床の上をのた打ち回る。
「どうして…こうなりましたの…サリエル…貴女のせいですわ…」
エレーヌは文字通り床を這い、サリエルが眠るベッドに近づいて行く。その様は軽くではなく怖い。髪を振り乱したエレーヌがサリエルに近づいて行く。
「一体、どこへ行き…誰と一緒にいらっしゃるの…サリエル…」
エレーヌはベッドに手を掛け、這いずるように…立ち上がり…そのまましばらく、すやすやと眠るサリエルを見下ろしていた。
「いい気なものですわ」
サリエルの顔を見て少し気持ちが落ち着いたのか。エレーヌはぽつりと呟いた。
「私がこんなに困ってますのに」
エレーヌはつんつんと、指先でサリエルの頬を突く。
「私を誰とお思い?伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートですわよ?」
自分で言っているうちに気持ちが盛り上がって来たのか。エレーヌの声は次第に大きくなって行く。
「貴女。私に隠れて…そこかしこで美男子にちやほやされてましたのね。少しも羨ましくなどなくてよ。少しも…」
エレーヌは拳を握り、眠っているサリエルの枕にどん、どん、と振り下ろす。
「私が何も知らないとお思い?私は何でも知っておりますのよ!男共…サリエルをどこへ連れて行く気なの…そうは…そうはさせませんわよ…」
エレーヌは眠っているサリエルのパジャマの胸倉を掴むと、軽々と持ち上げる。エレーヌの声が狂気に震える。
「これは……私の物ですわ……」
窓の外が激しく光った。
一瞬の雷光に照らされたエレーヌの顔は…満面の邪悪な笑みに包まれていた。
――ビシャァッ!!ゴロゴロゴロドドン!!
九月の雷鳴が鳴り響く。たちまちのうちに、外は夕立ちの薄暗闇に包まれる。
そして、激しく振り出した土砂降りの雨音を合図に…エレーヌは泣き叫び出す。
「起きて!起きてサリエル!!」
エレーヌはサリエルの首に手を掛けて激しく揺さぶる。
夕立が連れて来た突風が、部屋の窓を激しく揺さぶる。ガタガタ、ガタガタと。
「きゃーっ!」「エレーヌ様!」
平和な森の地面が揺れた。周りで遊んでいたうさぎ達も悲鳴を上げて逃げ回る。
サリエルはすがりつく五歳のエレーヌをしっかりと抱きしめる。
「こわいよう、サリエル、たすけて」
「大丈夫です!お嬢様、私がついております!」
「いつまで寝てるのよ!!私が泣いてるでしょう!?サリエル!?私が泣いてますのよ!?貴女はどうして平気なの!!」
エレーヌは泣き喚きながら、サリエルが眠る簡素なベッドに手を掛け、一思いに引っくり返す。窓の外で何度も稲妻が光り、
―――ガダダダン!!!!!
すぐに巨大な雷鳴が響く。近い。
サリエルはベッドから落ちて床に転がっていた。寝息を立てたまま。
「えーん、サリエルぅ、サリエルぅ」「お嬢様!大丈夫ですお嬢様!」
嵐の中の小船のように揺れる森。木々も激しく揺さぶられ悲鳴を上げる。葉っぱや花も乱れ飛び、鳥達も騒ぎたてながら空へと逃れる。
五歳のエレーヌをしっかりと抱きかかえ、サリエルは天を仰ぎ、叫ぶ。
「やめて下さい!エレーヌ様が泣いておられます!揺さぶらないで!」
雷雲はますます迫っていた。落雷の間隔がどんどん近くなる。
「何故ですの…サリエル…貴女は私の物…そうでしょう……?」
四つん這いで頭を床に埋め、エレーヌは声を震わせて呟き…壁際へ這いずって行く。
そして壁際に辿りついたエレーヌは壁を這って立ち上がり…例の2kgの特製モップを握り締める。
その間にも落雷は続き、激しい雷鳴と眩しい電光が、滝のような豪雨が、全ての物音を掻き消す。
「助けて…サリエル…」
エレーヌは呟いた。
「サリエル…サリエル!わたくしがないてる!」「え…エレーヌ様?」
サリエルが抱きしめていた五歳のエレーヌが顔を上げた。サリエルもエレーヌを見た。
「サリエル!たすけて!わたくしが、エレーヌがないてるの!いそいで!」
「で、ですが…私は貴女が、エレーヌ様が…」
「だめー!そのわたくしがないてるの!はやく!たすけてあげて!」
「いやですわ、私、小さなエレーヌ様を置いてなんて、どこにも行けませんわ!」
五歳のエレーヌは。サリエルの手を離れ、腰に手を当て、キッと、サリエルを見つめて言い放った。
「わたくし、はくしゃくれいじょうですのよ!いうとおりになさい!めいどのぶんざいでくちごたえするなんて、20ねんはやくてよ!さっさといきなさい!」
「エレーヌ…様…そうですわ!エレーヌ様!!」
全てを思い出したサリエルは立ち上がり、振り返った…が、そこで少し躊躇した。
「でも…五歳のエレーヌ様は…」
「わたくしとはいつでもあえますのよ!サリエル。だいしゅき!」
五歳のエレーヌは、そう言ってバンザイをした。
「助けて…助けてサリエル!!助けて!!サリエル…」
エレーヌはそう叫び、2kgのモップを大きく振りかぶりながら、眠っているサリエルに、じりじりと、足を引きずりながら接近する。
伯爵令嬢の顔はすっかり振り乱した長い金髪に隠されていて、見る事が出来ない。
そして、稲妻が…
―――ドガァァァァァァァァン!!!!!
伯爵屋敷の避雷針に落ちた…
エレーヌに振り下ろされた鉄のモップの先端が…サリエルの部屋の床に食い込んでいた。
サリエルは、寸での所で起き上がり、半身を起こしていた。
「あ、おはようございます、お嬢様」
「おはようじゃ…ごさいませんわよォォォォ!!!!」
雷雨はその後も30分ばかり続いた。伯爵屋敷の周りでもまた何度か落雷があった。暮れ行く九月の田園に佇む屋敷はその都度雷光に照らされ、モップを振り回して追い掛けるエレーヌと、廊下を逃げ回るサリエルの姿を写し出していた。
::(ヽ´ω`):.作者です。いつも面倒くさくて説明不足で解りにくい拙作を御覧いただきまして誠にありがとうございます。
↓
今回は解説しようにも、作者も何を書いているのか全く解らなくなってしまいました。
八月は策を用いてまでサリエルを置き去りにして休暇に出掛けたエレーヌ。悪役令嬢を休み命の洗濯をして、さあ九月、悪役令嬢再開だ!と勇んだ矢先…今度はサリエルが居なくなる事で始まった今回の話…本当はもっと悪いエレーヌが書ける筈だったんですが…サリエルが居ないと、悪役令嬢としては全く調子が出ません。
エレーヌの恋愛対象はストレートです。
では今好きな男性は居るのか?それは良く解りません。
エレーヌはバスティアン編でも、サリエルに対し特別な感情の動きを見せていました。
サリエルが好きなのか?好きなのだとは思います。
ですが。
二人の人間が惹かれあい、双方が相手の気持ちを認識している状態…これは両想いですよね。
二人の人間が惹かれあい、双方が相手の気持ちを認識していない状態…この場合は双方が片思いという状態ですよね。
一人の人間が別の人間を想い、振り向いて欲しいと思っているだけなら?普通の片思いですよね。
では…
一人の人間が別の人間を想っているものの、振り向いて欲しいとは微塵も思っていない、つーか振り向かれても困る自分の趣味じゃない、そういう状態の事は何と言うのでしょうか。
サリエルが好きで、居て欲しい時にサリエルが居ないと頭おかしくなってしまう、サリエルを他の男に取られるのは絶対に我慢がならない、でもサリエルが自分を恋愛対象にしたら困る、エレーヌ・エリーゼ・ストーンハート。
エレーヌが好きでエレーヌが居ないと一か月でも不眠不休でエレーヌを探してしまうけれど、もし自分がエレーヌの恋愛対象に選ばれても困る、いつかエレーヌに素敵なお嫁さんになって貰いたいと願うサリエル・サルヴェール。
一方的に相手が好きなんだけどその状態で完結していて、万一振り向かれたらそれはそれで困る。今回はそんな二人の歪んだ愛情の話だったのかもしれないし、別段そうではないのかもしれません。
少なくともこの小説は、ガールズラブストーリーではありません…
こんな駄文ではございますが、これからもお付き合いいただけるのであれば、何卒宜しくお願い申し上げます。
そしてもしももしも宜しければ、皆様の愛のブクマを、評価を何卒宜しくお願い申し上げます、折れそうな作者の弱いハートに暖かな燈火が灯ります、何卒宜しくお願い申し上げます…




