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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
側仕えのサリエル

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側仕えのサリエル 第五話

 サリエルは今朝も起きて来なかった。


 執事長のディミトリは急な外出となった主人の伯爵について行った為、屋敷の責任者はエレーヌのみとなっている。


「サリエルが起きない?それで?怠け者のメイドの事で私に何をしろとおっしゃるのかしら?」


 エレーヌはベテランメイドのヘルダにそう冷たく言い放つ。


「…お医者様をお呼びしても宜しいでしょうか?」

「ダニエル先生をもう呼んで、安静にしてればいいと診察されたのでしょう?お薬もいただいたはずよ」

「薬を飲ませようにも…昨日お嬢様を追いかけて郵便局まで走って行ってから…一度も起きあがりませんので…」

「大した御身分ですわね、仕事もせず学校にも行かず、薬も飲まないなんて」

「お嬢様!それはあまりに…」


 エレーヌは知らん顔をして学校に行く準備をしていた。


「とにかく。私、歩いて学校に行かないといけませんの。馬車が戻らないので早くに出ないといけませんのよ…代わりの馬車は誰も手配してくれませんし」


「申し訳ありません…」


 ヘルダはそう言うしかなかった。皆、さすがに馬車だけは昨日のうちに帰って来ると思っていたのだ。しかし結局、馬車は戻らなかった。

 これ以上サリエルを放置してはいけない気がする。とは言えダニエル先生を呼んだところで、また気休めの強壮剤の処方箋を書かれるだけだ。だけど本物の医師を呼ぶには屋敷の責任者の許可が要る。

 裏では事情を知ったエドモンとジェフロワが皆から寄付を集め始めた。最悪、普通の医者を呼ぶ為の金を、使用人同士で出し合おうというのだ。


 マナドゥはそこに現れた。



「勝手に押し掛けて申し訳ありません。ダニエル先生の他に医師を呼んでいないのなら、どうか私に診せていただきたい。先日遠目に拝見した範囲でも、体重低下と浮腫みが見られました。きちんと栄養と水分は摂れているのですか」


 エレーヌは昨日と変わらぬ毅然とした態度を貫こうとしていたが、今日はマナドゥの真剣さに押され気味だった。


「貴方がどうしてもとおっしゃるなら、フーリエ先生に代わっていただきますわ。御存知でしょう?ダニエル先生には、貴方がそうさせたとお伝え致しますけど」


「結構です。ですがフーリエ先生は明後日までレアルの学会に出席していて不在です。私はフーリエ先生の弟子でもあります。サルヴェールさんを今診察させて下さい。何かあってからでは遅いのです」


 マナドゥは線の細い男だったが、医師としての責任によって立っている時には闘牛士のように勇敢だった。


「お嬢様、お願いします、マナドゥ先生は私も御存知申し上げていますわ、お若いのに名医と評判ですのよ、先生!サリエルは昨日から目を覚まさないんです!どうか今すぐ診てあげて下さい!」


 ヘルダは、エレーヌが単に後に引けなくなって意地を張ってるだけだと見越して、横からそう言った。エレーヌは結局頭を縦に振らなかったが、ヘルダがマナドゥの袖を引いて、診察鞄を持ったマナドゥを屋敷の中へ連れて行く。


「馬車が必要なら私のを使って下さい」


 マナドゥは振り返り、エレーヌにそう言った。


 エレーヌは暫くそこに立ち尽くしていたが。踵を返すと、屋敷の中へ駆け戻って行く。



「…あれからずっと…昏睡していたんですか…」


 マナドゥは内心穏やかではなかったが、務めて冷静にそう言った。

 彼は輸液療法用の針や袋、輸液も用意していた。


「どうなんですか?」

「不整脈も出ていますし浮腫みも強い。まずは水分の回復です。急性の心疾患や脳出血が怖い」


 ヘルダの問いに、マナドゥははっきりと答えた。


「先生!サリエルはまだ若いんです、そんな事おっしゃらないで…」

「気休めは言えません。心臓や血管にダメージが蓄積していてどこで何が起きるか解らない。水分の回復が間に合い、この安静状態を続けられれば回復出来るとは思いますが、経過には十分な観察が必要です。出来れば入院した方が良かった」


 ヘルダの言葉はダニエルに言ったものと同じで、マナドゥの答えもダニエルが言ったのと同じ内容ではあったが、発言の重さは全く違っていた。


 遅れて部屋に駆け込んで来たエレーヌは、入り口の所でそっぽを向いたまま、何も言わなかった。


「これから…どうすれば良いのでしょう?」

「輸液が終わるまでは私が診ます。その後で容体が安定しているようなら…出来れば誰か一人、ついていていただけたら」


 エレーヌは壁から飛び出していた釘をいじりだす。だいぶ古い釘だ。サリエルの前にこの部屋を使っていた誰かが、額縁でも掛けていたのだろうか…古い釘をいじりがら。エレーヌは呟いた。


「触診もなさいませんの。すべきではなくて」


「…そちらのお嬢様には、私はサルヴェールさんに引き寄せられた虫のようなものと思われているようなので」


「随分嫌味の少ない方ですわね。先程は医師としてここは一歩も引けないと、私に目で訴えておられたようですけど?」


「そうですね。そういうつもりで貴女の目を見ました」


「…なのに、触診はなさいませんの?心臓が心配なら聴診器を当てるべきでなくて?」


「…博識ですね。さすが聖ヴァランティーヌ学院に」

「無駄話は要りませんわ。ちゃんと診て下さるかしら」

「…では、失礼致します」


 マナドゥは診察鞄から聴診器を取り出す。


「恐れ入りますが、心臓のあたりをはだけて頂けますか」


 マナドゥはそれを自分でせず傍らのヘルダに頼んだ。ヘルダはサリエルのパジャマの胸のボタンを外し、開いてみせる。

 マナドゥは聴診器を数か所に当てて慎重に音を聞いていたが。


「本来は健康で丈夫な方ですね。ただ、こういう体力のある方の方が、我慢が効いてしまう為、過労を抱えた時のダメージが大きくなりがちなのです」


「過労ですって!」


 突然大声を出したのは、エレーヌだった。


「貴方、私が!サリエルを過労に追い込んだとでもおっしゃいますの!?」


 エレーヌは思わず、そう言ってしまった。

 しかし。マナドゥはいつも彼女が相手にして来た男達とは違った。自分に忖度する必要のない男。


「その事は自分の胸にお聞きになる事です!彼女は貴女のメイドでしょう!彼女が過労に陥ったかどうかは貴女が一番よく御存知のはずです!」


 エレーヌは。彼女らしからぬ小さな声で、余所見をしたままぼそぼそと呟いた。


「私は休みを差し上げましたのよ。八月一杯、私から離れて休めと。本当ですわ」


「医師としてお伺い致します。それで彼女は実際に八月中何をしていたのですか」


 エレーヌは暫く返事をしなかった。マナドゥは輸液療法用器具以外の道具を鞄にしまいなおして行く。


「…私には解りかねますので、本人から聞いて下さるかしら。回復したら…貴方には正式にサリエルの治療を依頼させていただきます。ヘルダ。先生に報酬を御支払いしておいて」


「頼まれもせず勝手に押し掛けて来ておいて、報酬はいただけません」


「無報酬で診療されるのは気持ち悪いですわ!受け取れないというならダニエル先生を呼びますわよ!それでも宜しくて!?」


「…承知致しました、ストーンハートさん。貴女はそろそろ学院に向かった方が宜しいのではありませんか?どうぞ私の馬車を…」


「貴方は私に自ら馬車を操れとおっしゃるの?それでも紳士ですの?」


「…輸液が終わるまで、私は動けませんよ」


「結構ですわ。待ちますから」


 エレーヌは古釘をいじりながら呟いた。マナドゥは溜息をつく。



 それから小一時間程で輸液療法が終わり、マナドゥはエレーヌを聖ヴァランティーヌ学院に馬車で送る事になった。マナドゥの馬車は一頭引きの素朴な二輪馬車だったが、作りは良く清潔に見えた。


「出発して下さる?ただし私が伯爵令嬢である事はお忘れなく」


 マナドゥは勿論、エレーヌの傲慢さにうんざりしていた。


「…ええ」


 馬車が屋敷を出て、ぶどう畑の間を通る間、伯爵令嬢は無言だった。ところが、長屋通りに差し掛かった途端。


「それで本当の所、サリエルはどうしてしまいましたの?何故起き上がれないの?心臓は大丈夫とおっしゃいましたけど、脳に問題がありますの?」


 エレーヌが矢継ぎ早に質問を繰り出した。マナドゥは前を向いたまま答える。


「いえ…夢も見ているようですし大丈夫です」


「どうして夢を見てるかどうかなんて解りますの?胸は聴診なさいましたけど頭は何故聴診なさいませんの?」


「いえ、頭は…大丈夫です、脳に異常はありません」


 マナドゥは助手席のエレーヌをちらりと見て…驚いた。エレーヌは目に大粒の涙を溜めていた。


「サリエルはただ長い旅行をしていただけなのよ、八月中、それが過労になりますの?私、どうすればいいの?私、本当にサリエルには休みを差し上げましたのよ、それで過労になると言われたら、何を差し上げたら宜しいの!?」


「すみません、もう少し詳しく事情をお伺いしても…?」


「どうせ貴方も、私を意地悪で傲慢な伯爵令嬢とお思いなのでしょう!その通りですわよ!私がサリエルを過労にしたのよ!何故そうなったか何て、私の胸に聞かないと解らないんだわ!…ごめんなさい。今のサリエルに私がして差し上げられる事だけ…どうか教えて下さいませ…そもそも…サリエルは大丈夫ですの!?」

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