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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
郵便配達夫のバスティアン

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郵便配達夫バスティアン 第二話

 またまた翌日。エドモンは伯爵屋敷の門前に木箱を置いて座っていた。

 これにはバスティアンも参った。悪い事をしている訳でもないのに申し訳ない気持ちになってしまう。


 いっそ伯爵屋敷宛の手紙が無ければ、エドモンの前を素通り出来るのに。


「郵便ですよ…今日は三通」


「見せてくれ」


 今日はバスティアンは宛先を言わずに手紙を渡した。エドモンはすぐに宛先を見ていたが…やはり、がっかりしたように肩を落とす。


「これだけか?」


「ええ」


 バスティアンは言葉少なにその場を離れた。手紙はサリエル宛が二通、ディミトリ宛が一通だった。

 ディミトリは執事長らしいので手紙が来るのは解るが、誰がサリエルに毎日手紙を出しているのだろうか。サリエル宛の二通はそれぞれ字体が違うようだが。


 今日はあと二十七件も配達が残っている。バスティアンは先を急いだが。


「あたっ…!」


 また何かに撃たれた。どこから撃ってるか解らないが本当によく当たる。今日は首と肩の間くらいに当たった。丸い陶片のような物と紙が落ちている。

 バスティアンはまたそれを拾いあげる。


『嫉妬した事のない人は恋をしたことがない人だけです。あなたに愛されたい』


 バスティアンは今日は屋敷の方を見ようとしなかった。今も見ていない。見てはいけない気がするからだ。これはゲームだ。誰がこの手紙を自分に撃ってるのかは解らないが、自分は誰が撃ってるかを確かめようともしない。そんなクールな男を装いたい。バスティアンはそう考えていた。


 バスティアンはそのまま、伯爵屋敷沿いの道を走って行った。



 そのすぐ五分後。一度伯爵屋敷前を通り過ぎたバスティアンは、駆け通して戻って来た。屋敷から見えないよう、低い塀に隠れながら。

 伯爵屋敷のこのあたりの塀は、1m程煉瓦を積んだ上に、塗炭を塗った金属棒の格子を組み合わせたものだった。

 塀の向こうの低い垣根の影から。バスティアンは屋敷の様子を伺う。自分をスリングか何かで撃つとしたら何処からか?二階の窓だろうか?


 まさにその時だった。

 その二階の窓に、一人の人影が現れた。


 遠目にもはっきりと見えた。長く艶やかな金髪を一つに結んだその深窓の令嬢が。

 風が吹き、庭に立ついくつもの青々と生い茂る常緑樹の枝が揺れ、彼女の姿は現れては消える…

 けれどもその姿はバスティアンの瞳に焼きつき、消える事は無かった。


 見た事も無いような、美しい少女だった。年もバスティアンと同じぐらいだろう。

 まさかあれが…絶世の美少女と名高い伯爵令嬢か。まさか。自分に手紙を出していたのは…?


 そんなまさか。伯爵令嬢が自分のような貧しい郵便配達夫に何の用があるのか。確かに自分は他の少年より少し見た目がいいかもしれない。だけどいくらなんでも。あんなにも美しい伯爵令嬢に想いを寄せて貰える訳が…


 バスティアンがこっそりと見つめる中。金髪の少女は…どうも松葉杖をついているようなのだが…その杖を離し、手に何かを持ち、引き絞るように構えた。あれは…どう見てもスリングだ…

 少女が手を離すと、先程バスティアンが駆けていた辺りへと何かが飛来し…道の反対側の木立へと着弾した。

 少女は二度、三度…スリングを引き絞り、放つ。二つ目は木立に当たらず向こう側の茂みの中へ飛んで行き、三つ目は木立の根元あたりに当たった。

 少女は一度首を傾げると…松葉杖を手にして、窓辺を離れた。


 バスティアンは腰を抜かしたように座り込んだ。

 間違いない。

 愛の言葉を篭めたスリングで自分を撃っていたのは、あの美少女なのだ。今のは多分練習だ…次の機会にまた、自分を射抜く為の。



 夕方。

 奮起していつもより早く仕事を終えたバスティアンは、戦勝記念通りのカフェテラスでエスプレッソを嗜んでいた。


「ようバスティアン…気でも触れたのか?」


 通りがかった顔見知りがからかう。確かに、こんな所でエスプレッソなど頼んだらバスティアンの今日の日当の四分の一くらい取られる。


「君は悩みが無くていいな…羨ましいよ」

「はあ?」

「気にしないでくれ給え、僕は少し憂鬱なんだ」

「僕!?」


 物憂げにそう答えるバスティアン。顔見知りの男は首を傾げ、肩をすくめて立ち去った。




 また朝が来て、昼が来る。

 エドモンは今日も門柱にもたれて手紙を待ち侘びていたが、バスティアンが気後れする事は無かった。


「郵便ですよ。今日は一通。サリエルさんに」


 バスティアンは男前に表情を作っていた。エドモンはそれに気付いたが、特に感想は無かった。


「毎日あいつに手紙を寄越すのは誰なんだろうな…」


 エドモンが呟く。

 封筒には差出人の名前は無い。ただ宛先にサリエル・サルヴェールと書かれているだけだ。

 しかし今日は、そのサリエルが。郵便配達夫が来たのを見て、屋敷の玄関から小走りに駆けて来た。


 昨日までのバスティアンであれば、サリエルが駆けて来るのを見たら少々緊張していたかもしれない。


「郵便屋さん!…今日も私に手紙が来てるんですか?」


「この所毎日ですね」


 バスティアンは澄まして答えた。イケてる男は美人の前でも緊張しないのだ。


「あの…申し訳ないのですが。この手紙、受け取らずに送り主に返す訳にはいきませんか?」


 配達先の人からそう言われる事は稀にある。バスティアンはマニュアル通りに答える。


「封筒に差出人が書かれている場合はそう出来るのですが、この封筒には無いですね…申し訳ありませんが、お受け取りいただいた上で破棄していただくしか」


「そうですよね…」


 サリエルは深い溜息をついた。

 バスティアンは手紙の中身に思いを馳せる。望まれぬ恋文という所だろうか。美人には美人の悩みがあるものだな…美男には美男の悩みがあるように。



 バスティアンは屋敷の門を離れ、いつもの道をゆっくりと歩く。今日の配達はあと六件だけだ。急ぐ事はない。


 そしていつもの木立の近くにやって来た時。地面に何かが跳ねた。


「…残念、はずれた」


 バスティアンは呟きと微笑みを漏らす。屋敷の方は見ない…見たら負けだ。

 今日はどんな愛の言葉を贈って来たのだろうか。バスティアンは地面を見渡す。


 しかし、今日飛んで来たのは、ごく小さな紙袋だった。中には銅貨が数枚と切手が二枚入っていた…銅貨は重りだと思うが、切手は何だろうか。

 郵便配達夫である自分を示す暗示かな?バスティアンはそう思う事にした。

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