お抱え料理人オルフェウス 第二話
翌日。
「昨日よりは早いわね。まさか手を抜いたんじゃ…ないでしょうね?味付けは?火加減は!?出来が悪かったら…承知しないわよ」
「手抜きなんてしてません、お嬢様の為に一生懸命作りました…」
「一生懸命?そんなの当たり前でしょう!フン…出て行きなさい。私は今から朝食を済ませるのよ。サリエル!一時間の間、誰もこの扉を開けないように!」
今日もオルフェウスは、朝食を届けるとすぐに、部屋を追い出された。
「せめて…どこをどう直せばいいかくらい、言って貰えたらいいのに」
オルフェウスは呟く。
「私には悪い所があるなんて思えませんわ…オルフェウスが作るのより美味しいオムレツなんて、この世にあるのかしら…」
サリエルは慰めではなく、本心からそう言った。
屋敷の外の農園の一角には鶏舎があり、毎朝新鮮な卵が供給されている。卵は勿論、伯爵一家の食事最優先で使用されるが…毎日かなりの数が余る。一家と言っても普段ここにはエレーヌ・エリーゼ・ストーンハート嬢しか居ないし、雌鶏は常時百羽以上居る。
余った鶏卵は今までは市場に持ち込まれ、伯爵家の家計の足しにしていたのだが、数週間前、これにエレーヌが噛み付いた。伯爵家がみすぼらしい農家の真似をするな、余った卵は責任をもって使用人達で片付けろと。
使用人達は喜んだ。実際、先代まではそういう習慣になっていたのだが、今の当主は倹約家でそれをやめさせていたのだ。
ただ、その時もサリエルは思った。皆で食べていいわとでも言えばいいのに、お嬢様は何でも命令形で言う。残したらお仕置きをするとまで添えて。
ともかく、そんな事情で、お嬢様に朝食を提供した後、オルフェウスは使用人達の為のオムレツを作る。
これはとても美味しく滋養もつくので、使用人は上から下まで毎日とても楽しみにしていた。
「本当、美味しい!フワフワして柔らかで、バターがよく絡んで素敵な香り…」
サリエルを始めとするメイド達も。
「最近、ますます腕を上げたんじゃないか、オルフェウス。味付けも完璧だよ」
屋敷付きの執事長ディミトリも。
「わしらまで相伴に預かれるとはね。こんな上品な物なかなか食べられんよ」
筆頭庭師のエドモンも、そう言うのだが…
「…だけど、お嬢様は一度も美味しいと言ってくれないんです」
オルフェウスはそう答えて俯いた。
「そういう事を言うもんじゃない。我々は使用人なのだぞ」
「すみません、ディミトリさん…今のは無かった事にして下さい」
執事にたしなめられ、オルフェウスはますます俯く。
サリエルは溜息をついた…お嬢様さえ、お嬢様さえ機嫌を直して下されば、皆が幸せになれるのに。
屋敷には料理人が他にも居た。ジェフロワはオルフェウスより二十は年上のベテランで、屋敷の料理長を務めていた。
「しかし…オルフェウスは本当に上達したな…料理の腕もだが、心構えが良くなったと思う。段取りもきちんと整えるようになったし、後片付けも完璧だ。以前は、皿の上の見栄えだけ整えばいいと思っていただろう?お前」
「そうかもしれません。キッチンが片付いてないといい料理は出来ないとか、段取りが悪いと味も落ちるとか…そういう事に気付けたのは、今の生活のおかげだと思います」
最近のお嬢様は毎朝一時間かけて朝食を摂る。おかげで他の使用人達は少しのんびり出来るが、お嬢様専属メイドのサリエルは気が気ではない。
お嬢様は市内の超名門校である聖ヴァランティーヌ学院に通う女学生でもある。大変厳しい学校でもあるのだが、最近では遅刻の言い訳が尽きて来た。
サリエルは懐中時計とにらめっこをしていた。お嬢様は他人の時間には正確で、一時間と言ったら一時間、命令通りに待たないといけないのだ。59分で声を掛けても間違いなく怒られる。
「お嬢様、御時間が…御時間が…」
サリエルは、部屋の中には絶対聞こえないよう、声を落として呟き続ける。せめて音ではなく思念で、思念で思いを伝えられるようにと。