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8.ヴァルハラへ

 編み笠を挟んで、二体のクリーチャーが睨み合った。傘など放棄してもよさそうに思えるが、ゾミちゃんはあくまでもそれを諦めない。もしかすると、ゾミちゃんの武器は傘だけなのかもしれない。

「どうした、はなせば、いいだろ」

 『せいんとくん』がニヤリと笑った。なんとも憎々しい笑顔だ。

 ゾミちゃんの顔に焦りの色が見えはじめた。

 そのとき、タイヤの軋み音を響かせて、一台のクレーン車がS小路通りを走ってきた。俺はその車を見てぞっとした。運転席の上に折りたたんだクレーンの先端に、槍の穂先のようなものがついている。クレーン車はスピードを落としてバスターミナルに侵入すると、ちょうどそちらに背を向けている『せいんとくん』の背中に、ぴたりと進行方向を合わせた。

 『せいんとくん』はクレーン車に気づいていない。いや、音がしたことには気づいているのだろうが、彼にとって注意を払うべき車というものが今まで存在しなかったため、恐らく気にする価値がないと思っているのだろう。ゾミちゃんがうっすらと口元に笑みを浮かべた。その意図を知らずに、『せいんとくん』もニヤリと微笑む。クレーン車は『せいんとくん』の背中めがけて発進した。エンジン音が高まって、ぐんぐんスピードを上げていく。と、急にそのエンジン音がおさまった。奇襲をかけるのに、アクセルとクラッチを切って突っ込むつもりだ。


 これは。卑怯ではないのか。いや殺戮機械だから。

 仕方ないよな。でも。背中から? 心があるのに。

 誰が命じた。自衛隊と警察に連絡しろと。K府民だし。お前だろ?

 やらねばやられる。正々堂々。無用無用無用。俺はウソを。

 ウソをついていないとウソを。手錠を切ってくれたのは?

 千葉県民? 信用して。信用してくれて。

 N県警の命令に背いて。


「せいんとくん、後ろだ!」

 俺は叫んでいた。


 はっとした『せいんとくん』は、一瞬だけ俺のほうを見た。そして俺の視界がどのあたりを見ているか、直感的に察したらしい。自分の後ろを振り向いた。そこにはクレーン車が迫っていた。体勢が変わっために、力比べはゾミちゃんに有利となった。『せいんとくん』は逃れようと、ツノを開いて編み笠を放した。だがゾミちゃんはその傘をねじって、巻き取るような動きで『せいんとくん』のツノを押さえ込んだ。

「あ、あーっ! あああーっ!」

 おぞましく、それでいて悲しげな声が、K駅前広場に響き渡った。俺は思わず目を背けた。凄まじい衝突音に続いて激しいブレーキの音が、摩擦に緩んだ広場のタイルが互いに打ち合う重たげな音が、続けざまに俺の耳に聞こえた。

 目を上げると、『せいんとくん』は仰向けに倒れていた。広場の真ん中に血潮があふれ、巨大な肉体は胸のあたりを裂かれて、大きな手で必死に傷口を押さえようとしていた。だが、彼を手当てしてやろうという人間はいない。すでに足腰は立たない様子だった。急にあちこちから歓声が上がって、強化プラスチックの楯を持った機動隊員や警官隊が、広場に面した北極クラブやKタワー、金銀デパートの陰などから飛びだしてきた。勝負あったのだ。

 ゾミちゃんが編み笠を振り上げ、『せいんとくん』にとどめを刺そうとした。

「待て! 待ってくれ!」俺は駆け出していた。ゾミちゃんの巨大な顔が、虫けらを見るように俺を睨んだ。

「とにかく待ってくれ! その、なんていうか」

「君もK府民、K市民だろう。なんでこいつの肩を持つんだね」

 どこか上の方から、都鳥教授の声がした。見上げると、駅ビルの壁面にやたらと設けられたバルコニーのひとつから、メガホンを使って俺に叫んでいる。俺はその問いに対する答えをためらった。『せいんとくん』が聞いているのに、今さらK府民だなんて言えるか。

『せいんとくん』はもう虫の息だった。傷口を押さえる手に力が入らず、胸に載せた掌の間から、どくどくと血液があふれ出している。俺は彼のほっぺたの脇に歩み寄った。ゾミちゃんが疑わしげに俺を見おろしている。クレーン車が不穏な空気を察したのか、バックでそろそろと退場しはじめた。『せいんとくん』は目玉だけを動かして、ぎょろりと俺の顔を見た。息が荒い。

「ちばの、ひと、だ」

「ああ、千葉の人だ。千葉県の人だよ」ウソだ。

「ぼく、ともだち、いない。だれも、たすけて、くれなかった」

「すまん。おれじゃ何もできなかった」これもウソだ。彼らに連絡したのは、この俺だ。

「あなたは、ちがうよ。ちばの、ひと、だもの」違う、違うんだ。

「……」

「どうして、だれも、いっしょに、たたかって、くれなかった、の、かな? どうして、ぼく、ひとりなの、かな? どうして、ぼく、ここに、いるの、かな?」

「君は――」君は、「――、」きみは、「……、」

 俺の喉からとりとめのないウソが盛り上がって、喉が詰まった。

 そして、ほかに言えるウソを、『せいんとくん』を傷つけないウソを探そうと俺が目を泳がせたとき、この悲しい殺人奴隷の命は、肉体から逃げ去ってしまったのだ。


 俺はK府反逆罪のかどで逮捕された。一週間拘留され、徹底的な取り調べを受けた。それに加えて府民としての自覚、市民としての義務、自意識、自己同一性、他者との関係構築能力、あらゆることをテストされた。要するに、俺がおかしくなってあのような行動に出たのか、政治的、思想的意図があって、あるいはN県のスパイとしてああいう行動を行ったのか、確定しておこうというわけだ。だが彼らは結論を出せなかった。そりゃそうだ。俺は単純に、感情的意図によって、『せいんとくん』にクレーン車の接近を教えたのだから。

 拘留一週間目に、俺は都鳥教授の口利きで釈放された。教授は今や府のヒーローであり、ゾミちゃんを脇に従えた姿は、まるで平成のマッカーサーだった。教授が俺を救ったのには、打算があるに決まっている。俺を研究室に取り込んで、失われた可能性のある西大寺教授の成果のカケラを、できるだけ集めておこうというのだろう。いいだろう、乗ってやる。でもタダじゃないぞ。


 そして俺は都鳥研究室で博士号を取り、ぺーぺーではあるが助手のポストを手に入れた。都鳥教授は京野ゾミを皮切りに、ひこなめ、881(やばい)ちゃんなどの人造人間化に成功し、ゲテモノ研究者の汚名を返上した。と本人は思っていたようだが、ゲテモノ研究者としての地位を確立したというほうが正しい。俺は教授の手伝いをしながら、密かに自分の研究を推し進めた。いつか、いつか都鳥教授の影響下から逃れて、ピンでこの研究を続けるために。そして、あのとき俺が裏切った『せいんとくん』を、平和的で愛くるしい人造人間として、この世に蘇らすために。


(了)

奈良県民のかた、ごめんなさい。

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