表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

5.罠

「10:33、容疑者確保!」

 さすがにこれには驚いた。 

「イテテ! なにするんですか! バケモノは俺じゃない、通路の向こうの――」

 警官は三人がかりで俺を組み伏した。あっというまに手錠をかけられる。

「あなたには黙秘権がない。あなたの供述は、こちらに都合のよい部分だけが採用される。あなたには弁護士の立ち会いを求める権利はない。当然、公選弁護人はあなたとは何の関係もなく――」

「公選弁護人って、日本じゃないでしょ。こんなときに何の冗談です」

 コールテンの男が笑っていった。

「面白いだろ。要するに、君は裁判所を経ないで裁かれるってことさ」

「なんですって?」

「具体的に言うと、君はこの研究所を出ることができない。このまま消えてもらう」

「消えてもらうって、帰れってことですか?」

「草葉の陰に消えてもらうってことだよ」

「そんな、なぜ」

「中途半端に知りすぎてしまったからさ。よくあるだろう? こういうシーン」

「わけがわからないですよ」

「いいだろう。映画やドラマでも、死者には知る権利が与えられるものな。じゃあ、道すがら説明しようか」

 警官たちは俺を引きずりながら、通路を実験室のほうへ歩き出した。

「ちょっと、あそこはヤバイんですって。全員殺されますよ。ねえ!」

「大丈夫さ。ここにいる者は、全員県内通勤者だ」

「はあ? 意味わかんないですよ」

「奴はN県民には手を出さない。なぜだかわかるか? 奴はN県民の血税で作られたソルジャーだからだ。よし、ここで止まろうか」

 実験室まであと五メートルというところで、一行は歩みを止めた。

「あれはね、N県が名誉を回復するために作られた、殺人兵器なんだよ」

「殺人兵器だってことだけは、何となくわかりました」

「『せいんとくん』は西大寺教授がつけた愛称だ。正式名称は、『ルサンチ・マン一号』という」

「ルサンチマン……」

「ルサンチ・マンだ。俺たちN県民は、一千年以上もの間、いろいろ辛酸をなめ続けてきた。一千三百年前、ここには素晴らしい都がおかれた。ヒラジロ京だ。だが、K府が、当時はY城国だが、とにかくK府が、俺たちから永遠の都を奪ったのだ。それがヒラヤス京だ。わかるかね」

「それがどうしたっていうんです。あと、あいだにちょっとだけマイナーな都があった気がしますけど」

「十年程度で放棄された都なんぞどうでもいい。とにかく、都を奪われて以後、俺たちN県民にはなにもないんだ。一千二百年前に奪われた絢爛な都の記憶、それにすがって生きるしかないんだ。わかるか、この悔しさが」

「わかりませんね。そもそも何もないなんてことはないでしょう。古墳とかあるじゃないですか。K府にはああいうの、あんまりないですよ。あと大仏とか。鹿のいっぱいいる神社とか。桜で一杯の山もありますね。ステキステキ」

「わかってないな。総合力じゃあN県はK府に太刀打ちできない。外国からの知名度でも横綱と幕下くらいの差がある。それというのも、都が、都がね、要するに都が……」

「わかりましたわかりました。悔しいんですね。それはわかりました。それで、なんであんなモノを作る話になるんです?」

「我々は県民の総力を結集して、ルサンチ・マン一号を作りあげた。君の教官だった西大寺教授、あのひとも元はこの県の出身でね。あの怪物を量産すれば、K府とT都を滅ぼして、N県はもういちど都の夢を見ることができる」

「T都まで……」

「そうだ。我々は、あの栄光を取り戻すまでなんぴとにも容赦しない。君はK府の人間だそうだね。いい生け贄だ。君も彼の血や肉となって、我々に協力したまえ」

 そういうと、コールテンの男はひとり前に進み出て、戸口の前に立った。

「ルサンチ・マン一号、食事を持ってきたよ。この男を食べたら、今日はもう寝るんだ」

 怪物は頭上のツノで天井をつつき、そこに穴を開けることに成功していた。床にガラクタを積んでその上に立ち、穴を広げようとむちむちした手で天井板をいじくっている。ハッチは天井からくりぬかれて、部屋の片隅に投げ捨てられていた。部屋の外からは、袈裟を着た怪物の、ヘソから下しか見えなかった。

「食料を持ってきた。この男を食って、今日は寝なさい」

「んー? なに? いま、いそがしい」

 『せいんとくん』は腰を屈めて、天井から下に首を覗かせた。ぎょろりとした目がこちらを睨む。俺の腰は、もうなかば抜けかけていた。

「ごはん? なら、こっち、おくれよ」

 じりじりと後ずさりする俺を、警官たちが部屋の中に突き飛ばした。俺はよろけて、部屋の中にへたり込む。すぐ目の前に、どすりと裸足の足が降ろされた。恐る恐る見上げると、マンションの給水塔くらいはあろうかという巨大な頭が、俺の上にのしかかってきた。正気、正気を保たねば。待て、俺の思考。俺の判断を助けやがれ。どこかに逃げ道はないのか、どうにか生き残る方法はないのか? えっとその、えー。

 『せいんとくん』は俺の腰をつかみ、両手でぐいと持ち上げた。大きな顔が目の前に迫る。ステンレスの手錠が、俺の正面でジャラジャラと鳴った。ええいもう、失禁許可いいすかキャプテン!

「このひと、ちがう。ちばのひと。ぼく、たべない」

 怪物は突然そういうと、俺の足を床に降ろした。俺は驚いた。コールテンの男も驚いたようで、慌てて『せいんとくん』に言い返した。

「そいつはK府民だ。お前の敵だ。いいから食ってしまえ!」

「ぼく、かんけいないひと、たべない」

「いうことを聞け、ルサンチ・マン! そいつがそう主張したのか知らないが、それは嘘だ。そいつはK府民だ!」

 怪物は、俺の顔をまじまじと見た。

「うそ、ついた、の?」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや」

「ほんと、なんだ、ね?」

「ほんとほんとほんとほんとほんとほんとほんとほんと」

「じゃあ、やっぱり、ぼく、たべない」

 そういうと、『せいんとくん』は俺の手錠の鎖をつまみ、ハナクソを丸めるみたいに指の間で転がした。とたんに鎖がすり切れた。恐るべきパワーだ。そしてこの怪物は天井に開けた穴の真下に歩いていくと、俺を天に向かって放り投げた。

「ばいばい」

 俺は青空に向かって上昇し、空中の一点で停止した。と思うまもなく落下して、芝生の上に激しい音を立てて着地した。そこは原っぱの真ん中に作られた、小さな築山の上だった。傍らには大きな穴が開いていて、そこから二本のツノが見え隠れしている。下でなにかを叫ぶ声が聞こえた。

 俺は起き上がると、向こうに見える研究所の駐車場に向かって走ろうとした。バイク。バイクまで逃げおおせれば、この気違いじみた土地からおさらばできる。だが体がいうことを聞かない。腰が抜けていたのだ。そういえばそうだった。俺は両手を芝生に突いて、四つんばいで駐車場へと向かった。畜生、だめだ、これでは間に合わない。

 そのとき、尻のポケットでピロリロリという電子音が鳴った。携帯メールの着信音だ。こんなものがあることをすっかり忘れていたが、今はメールを見る余裕なんてない。

 だが、そのメール着信が俺を救った。別なことに気をとられたのがよかったのか、突然腰が正常に戻ったのだ。立ち上がれる。俺はすっく、とは言えないが、よたよたと立ち上がると、リタイア寸前の箱根走者のように走り出した。逃げろ、逃げろ、ラン・フォー・マイライフ!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ