2.研究所にて
翌日バイクで研究所を訪れた俺は、入り口の案内板を見て教授の部屋を探した。どうやら地下一階らしい。西大寺教授、こういう場所取りみたいな下品な争いには、とことん弱いほうなのだ。建物自体はできたばかりで美しく、壁面から漂う塗料の匂いが、気持ちいいような悪いような空気を醸成している。階段を降りると、地下一階の廊下にはまだビニールシートが貼ってあって、開けっぱなしの配電盤やら裸線むき出しのままの蛍光灯やら、電気系いまだ完成せずの印象をうかがわせていた。俺は目的の部屋の前まで来ると、軽くドアをノックした。
「うーん、どうぞ」キーこそ高いが、全然やる気なさげな声が答える。
「おはようございます、田村です」
「うーん」
部屋の大きさは十二畳くらいだろうか。本部の教官室よりはずいぶんと広い。入ってすぐのところに昨日送った段ボールが山積みになっていて、奥のほうには教授のデスクと本棚、手前の角には多分俺のだろう、小振りな机が置いてある。
「ボクと同じ部屋の中なんて、いやーな感じでしょ。へへ」
教授がにやにやしていう。
「でも大丈夫。あとでパーティション入れるし、ボクは多分この部屋じゃなくて、だいたい奥にいると思うから」
「奥? この部屋にまだ奥があるんですか?」
「あるよ。実験室がね。いやこれがね、君には言ってなかったけど、すごいんだ」
ははあ、と返事をしてみたものの、ただスゴイといわれても困ってしまう。
「見せてあげよう。そろそろ君も、ぼくがここでどういう研究をしているか、知っておいてもいい頃だ」
『しているか』? 『するつもりか』ではなく? そんな疑問が頭をかすめたが、教授はキーリングをチャラチャラと鳴らしながら部屋の奥壁に近づいた。そこは一見なんの変哲もない普通の壁のようだったが、壁面に一カ所、丸いシリンダーの鍵穴がついていた。教授はそこに鍵のひとつを差し込み、かちりと音を立てて手首を回した。途端にゴトリと音がして、壁の中央がドアくらいの大きさに四角くへこむ。教授が壁を押すと、果たせるかな、壁は突然扉となって、向こう側に大きく開いた。その奥はまっくらな通路になっており、数秒もすると、その暗黒空間から流れ出た冷たい空気が俺の足を洗うのがわかった。心なしかカビ臭い。
「ついておいで。これがあるから、ここに来たんだ」
驚いたことに、通路の壁や天井は、研究所と比べて遙かに古いコンクリートでできていた。防空壕か何かの跡だろうか。壁面からはぴたぴたと水が滴り、床のはじに切られた水溝に添って、細い流れがちょろちょろと光っている。天井には数メートルおきに、古くさい裸電球が下げられていた。
「教授、ここは?」
「戦前に作られた観測坑だよ。昔はここに傾斜計なんかを置いていたらしいが、土地が不安定で放棄されたらしい。それをN県が買い取って拡張し、秘密研究所を作った。そこで研究を請け負っていたのが、このボクさ」
「教授がですか?」
「そうだよ。ずっと前から」
通路は不意に行き止まりになった。つきあたりは合金の扉になっていて、そこだけ新しいピカピカのノブが、薄い明かりに冷たく輝いている。
「ここだ。えーと、ドアを開ける前に言っておく」
「なんですか?」
「ここを入ったら最後、君もボクも運命共同体だ。君はボクの研究計画の一員となり、脱退は許されない。もしそれが嫌なら、扉は開けない。引き返すけど、どうかな」
「何なんですか突然。そんな話、私は聞いてなかったですけど」
「そりゃあ、言ってなかったからね」
「このドアの向こうになにがあるか、知ってからでは遅いんですか?」
「遅いなァ」
「ちょっと待ってください。考えを整理します」
何なんだこの仰々しい雰囲気は。この向こうになにがあるっていうんだ?
「一応言っておこう。学位を狙うなら、これには参加したほうがいい。あと、これに参加すれば君にもN県から補助金が出る。いいことずくめだよ」
「もし……拒否したら、どうなるんです?」
「それは、聞かない方がいいな」
どうやら一枚噛むしかないらしい。大学とはそういうところだ。
「じゃあお願いします。俺もそれに参加させてください」
「OK。君のことだ、そう言ってくれると思っていたよ」
教授はキーリングをちゃらちゃらと鳴らし、今度は別な鍵をドアノブの下に差し込んだ。ガチャリと音がした。教授がノブを回してドアを押すと、奥にちらちらと点滅するダイオードの光列が目に入った。
「入りなさい。ようこそ禁断の城へ」
次の瞬間、部屋の照明が点灯した。俺は思わず息を呑んだ。