3.ハリド男爵家からの招待
初めて錬金術を使ってから数ヶ月、季節が二つほど変わるくらい経ったころのことだ。
あれから少しずつ話せるようになったので、
「まほう、やりたい!」
と言ってみたところ
「まだ危ないから5歳くらいまで待ってね」
とリフィアに断られた今日この頃である。
仕方がないのでひたすらに錬金術を練習している。
空気中の水蒸気を水にしたり、それを凍らせたり、また水蒸気に戻したりと水まわりを練習中だ。
まだ手のひらサイズしか無理だが、そのうち洪水を起こせるくらいになりたい。
できるかは不明ではあるが。
そんな折の夕食の席のことだ。
アズモンドがなにやら真剣な面持ちでしゃべり始めた。
「ハリド男爵主催の食事会に招待されることになった」
ハリド男爵は現在俺たちの住むウォーブマン男爵領の西側にあるハリド男爵領を治める領主であり、リフィアの実の父でもある。
「お父様もパパを経由せずに私に手紙でもくれればいいのに」
「いくらハリド男爵とウォーブマン男爵の仲が良好とはいえ他領の騎士を自領に招くんだから正式な文書を家長宛に渡すのは当然のことだろう」
「むぅ」
念のため言っておくとパパというのはアズモンドのことでお父様というのはハリド男爵のことだ。
リフィアとアズモンドはパパ、ママと呼び合っている。
おそらくパパやママという言葉を俺に覚えさせるために始めて、俺が言うようになってもそれが抜けてないのだろう。
アズモンドの言うことにリフィアは一応納得はしたが不満があるという表情だ。ちなみに具体的には頬に空気を含んで軽く膨らませている。かわいい。
しかしながら貴族の慣習に疎い俺にとってはよくわからなかった。
おそらく引き抜きやら防衛やらの関係で色々あるのだと思う。
「 食事会とは言っても正式な、堅苦しい感じのものでなく、ちょっとした交流会のようだよ。男爵も久しぶりにママに会いたがっていたよ」
「お父様が会いたいのは私じゃなくてレイよ。別にいいけど」
アズモンドは苦笑いだ。
表情から察するにどうやら本当に男爵は俺に会いたがっていたようだ。
どこの世界でも孫には甘いものなのだろうか。
「それでその交流会に来るのは、ウォーブマン男爵家と僕たちアラミス家とハリド男爵家とハリド男爵家の筆頭騎士家のガードス家だそうだ」
つまりアラミス家以外は男爵家と筆頭騎士家ということになる。
男爵の娘と結婚するくらいだから薄々感じていたが、アズモンドは騎士としては相当高位なのだろうか。
「リフィアには今更言う必要は無いとは思うが、僕達が一番下位の家柄だから、」
「わかってる。ちゃんとするわ」
アズモンドがママではなくリフィアと呼び捨てにした、それほど重要なことだと言うことだろう。
リフィアもさっきとは打って変わり真剣な表情だ。
リフィアもアズモンドに嫁ぐまでは男爵家令嬢だったのだから、貴族との接し方は心得ているのだろう。
「レイもちゃんと大人しくできるな?」
「はいっ、らいじょうぶれす!」
「よし、偉いぞ」
そう言いながらアズモンドは俺の頭を撫でた。
大丈夫とは言ったものの貴族との接し方など全くわからんが、とにかく丁寧に対応すれば良いのだろうか?
まあ、多少のことは一歳児のすることだから許されるだろう。
本当に大丈夫かは不明である。
ーーーー
そして当日。
ハリド男爵家までは馬車で4時間ほどかかるらしく、夕食に間に合うように午後一番での出発である。
むこうに一泊して明日帰ることになるようだ。
アズモンドが今日馬車を引く御者に挨拶している。
「それじゃあよろしく頼みます」
「いやいや、騎士様、頭を下げるなんてやめてください、やりにくいですよ」
「そういうわけにはいきませんよ。あなたは私の部下ではないですし」
なんでも今回の御者はハリド男爵家から派遣されてきた人のようだ。
アズモンドは騎士爵を持っている割に町の人間と接するときもそうだがいつも腰が低い。
威張り散らすよりはいいが、戦闘を生業にしている割にはどうにも優男の印象だ。
もしかしたらそのやわらかい物腰が評価されて、騎士になれたのかもしれないが父親としては微妙に頼りない。
ーーーー
馬車に乗り込んでから2時間ほどたった。
今、馬車は林道を走っている。
こういうところを見ると前世の最後の瞬間を思い出して、嫌な気分になるな。
両親や同級生なんかは健在だろうか。
今更気にしてもしょうがないが。
前世といえば車に比べてやはり馬車の乗り心地はあまりいいものとは言えないな。
こういう道だと整備も不完全でなおさらだ。
とは言ってもこの馬車には耐震の魔法がかかっているそうで、前世の中世頃のものと比べれば、かなりマシになっていることだろうが。
四人乗りと思しき馬車で隣には黄色のドレスを着たリフィア、正面には騎士の礼装と思われる白い軍服のようなものを着たアズモンドが座っている。
アズモンドは妻の実家に行くことにか、男爵に会うことにかはわからないが緊張しているようで硬い表情をして背筋をピンと伸ばし座っている。
それに対してリフィアはうつらうつらとしているようで、さっきから頭を周期的にカクンカクンと揺らしていた。
立場の違いもあるだろうが二人の対照的な性格が現れていて、面白いな。
などと考えていた時だった。
ヒヒーンという馬の鳴き声と共に馬車が急停車した。
舟を漕いでいたリフィアはびくりと飛び起き、アズモンドは腰の剣に手を回す。
御者が馬車のドアを開けて叫んだ。
「みな様方、お逃げください!熊の魔獣です!」
魔獣!?
話には聞いたことはあったがまさかこんな所で遭遇するとは、なんて不運か。
俺は顔を青ざめさせた。
ここはウォーブマン家からもハリド家からも遠く騎士の駐屯地も近くにない。
つまり救援なしで魔獣から逃げ切るか打倒しなければならない。
魔獣は魔石を体内に有した獣のことで通常の動物よりも体力も多く、種によっては魔法をつかえるものもいるそうだ。
普通の熊さえも普通に考えれば危険なのにその魔獣となればとても人が敵うものではなく、熊ほどの大きさの魔獣の盗伐となれば避難誘導も含めて騎士団一個小隊でかかる仕事だと聞いた気がする。
せっかく転生したのにここでまた死ぬかもしれないと思うと恐怖で体がすくむ。
しかしながらなぜかさっきまではカチカチに固まっていたはずのアズモンドはむしろ肩から力が抜けて先ほどまでよりリラックスした様子になっていた。
「クリムゾンベアか。御者さん、馬を逃げないように繋いでおいて下さい。リフィアとレイは馬車から出ないように」
そう言い残し、アズモンドは馬車から降り、腰の剣を抜いた。
一人で戦う気か!?
あんな化け物と!?
さっきチラリとまどから覗いた魔獣の姿は全身真っ赤の毛の体長2m以上もあるような巨大なクマだった。
人一人など簡単に殺せてしまう。
クソッ!
こういう時のために錬金術の練習をしていたというのに、まったく敵う気がしない。
炎は出せてもあんな巨大な怪物を倒せるほどではないし、武器を作れてもあんなものを倒す技量はない。
「ママっ、パパをとめて!」
俺はリフィアに向けて叫んだ。
どう考えても逃げるべきだ。
「大丈夫」
リフィアは俺を抱き上げて窓に目を向けさせた。
「パパのカッコいいところをよく見ていてあげて」
リフィアは俺に向けてウィンクすると自分も窓の外のアズモンドに目を向けた。
訳がわからない。
夫が剣一本であんな化け物と戦おうとしているのに、止めないなんて。
そもそもアズモンドも戦うにしても俺たちに逃げるように言うべきであり、馬車に残れという指示はめちゃくちゃだ。
俺は困惑しながらも言われた通りにアズモンドをみる。
それ以外無力な俺にはできそうなことはなかった。
剣を下段に構えて一歩ずつ歩いて熊に近づいて行くアズモンド。
その姿はいつもと全然違う。
ピリピリとひりついた空気がここまで届くようだ。
いや、空気とかそんな曖昧なものじゃない、この皮膚を焦がすような感覚は魔力だ。
アズモンドの体から漏れでた魔力がここまで届いているみたいだ。
熊は二本足で立ち威嚇するようにでグウゥとうなっている。
そしてお互いの距離が残り5mほどになった瞬間熊は右腕を大きく振り下げながらアズモンドに突撃した。
やばい、あんなのを食らったらひとたまりもない。
ギンッ!!
虚空に鈍い音が響く。
全く見えなかったがアズモンドが振り下ろされた熊の爪を剣で弾いたようで、熊の腕は大きく上方に跳ね上がった。
アズモンドがさらに一歩踏み込む。
「すまない」
アズモンドが何か呟き、腕がブレた。
そしてザンッというキャベツを両断したような音がする。
どうやらアズモンドが熊の腕を切断しながら剣を切り上げたようだ。
クルクルと熊の右腕が血を撒き散らしながら空中に舞った。
グギャアァァ!!
熊は右腕の切断面から大量の血を流し、それを左手で抑えながら横に倒れこむ。
熊はしばらくびくびくと痙攣するかの様に震えていたが、そのうち血だまりの上で全く動かなくなった。
全身に帰り血を浴び、白い礼装を真っ赤に染めたアズモンドは剣に着いた血を払い、腰の鞘に収めた。
「どう?パパかっこよかった?」
「うんっ!」
リフィアは自分のことのように誇らしげだ。
しょうじき死ぬほどかっこよかった。
ぱっと見へたれっぽいアズモンドがどうやって家格が上のリフィアを射止めて、周囲に認めさせたのかと思っていたがこれを見せられれば納得せざるを得ない。
前に聞いた話から鑑みるとアズモンドは個人で一個小隊レベルの武勇を有していることになる。
ハリド男爵が囲い込もうと娘を差し出すのも当然のことかもしれない。
どんなチート騎士様だよ、アズモンド。
ジョブによる補正でもあるのか、体を強化する魔法でも使っているのかわからないが、人間の動き、筋力ではなかった。
それにあの放出された魔力、絶対なにか神秘の力を使っている。
もし今後錬金術を戦闘に使う事を考える場合、少なくともこれと戦えるレベルにならないといけないと思うと戦慄しか感じない。
まさかこれが標準ではないにしても騎士はみんなあれと同類なんだろうか?
アズモンドは熊を引きずって道の外に出した後、先ほどまでの張り詰めた気を散らして馬車に歩いてきた。
「リフィア、すまないけど洗浄の魔法で洗い流してくれるかい?」
「ええ、ちょっと目を瞑っててね」
リフィアがなにやら呪文を唱えるとアズモンドの足元から水が逆巻き、全身を覆った。
見る見るうちに綺麗だった水は真っ赤に染まり、数秒ほどすると霧状になって無散した。
チュッと軽くアズモンドの頬にリフィアがキスをした。
「終わったよ、パパ」
「ああ、ありがとうママ。ははっ、せっかく綺麗になったのにほっぺに口紅がついちゃうな」
アズモンドは照れ臭そうに顔を赤らめた。
リア充爆発しろ。
「それであの魔獣なんだけどこの辺りであのレベルのものが出るなんて聞いたことがないんだ。まあ、わかってたらこの道は閉鎖されてるはずだしね。ここはもうハリド男爵領だからとりあえずこのまま向かって、着いたらハリド男爵に報告しないといけない」
アズモンドは先ほどまでとはまた違った真剣な表情になった。
「もしかしたらちょっと厄介なことになっているかもな。食事会は中止かな」
ザアアアという風が木を揺らす音が、不吉なものの足音のような気がしていやな感じだ。