魔神顕現
1
瓦礫の上に立つ30メートルはあろうかという巨体は、歪ながらも人型と言えた。
鱗のような装甲に覆われた胴体から長い蛇のような首が3本も、上空に突き出している。
するりと伸びた両腕は地につくほど長く、その先はやはり蛇のような形をしている。
肩幅より広くせり出した両足は太く、前傾姿勢をとる巨体を支える。
これがたった一領で騎士団一個大隊に匹敵するほどの戦力を持った中級魔鎧『ハイドーラ』の姿であった。
「どうしてハイドーラなんか動かせる人間がこんなトコにいるのよ!」
ミアは目前の魔鎧の威容に焦りの色を隠せない。
戦闘中は燐光を纏っていた髪も、今は普通の金髪に戻っている。
「貯めてたマナも使い切っちゃったっていうのにー!!」
そんなミアの叫びが聞こえたのか、ハイドーラの5つの首、その眼球がじろりとミアを見下ろした。
「貴様達が……我が神域をぉぉぉ!許さん!許さん!許さぁぁぁぁん!!」
狂気をはらんだ絶叫が、ハイドーラの内から放たれる。
「乗っているのはどうやらあの支部の長らしいな……。」
魔鎧の前面に歩き出しながらそうひとりごちたスルトは腰に下げた剣の柄を握り、力を込め叫んだ。
「皆逃げるぞ!あの様子ではじき魔鎧者になるかもしれん!!」
その言葉が合図となったのか、スルトが居た場所にハイドーラが右腕を振り下ろす。
凄まじい振動が巻き起こり、スルトが先刻立っていた地面が破壊される。
その攻撃を跳躍して回避したスルトはミアとアルバ、それにゼンが撤退を開始したのを確認すると左腕を振りかぶりつつあるハイドーラへと向き直る。
ゼン達を狙い攻撃を仕掛けようとしたハイドーラだったが、地面に叩きつけたばかりの右腕の違和感に気付く。
帽子の男がその右腕を駆け上ってくるではないか。
地面に埋まった右腕を振り上げその無謀な突進を防ごうとするが、その時にはもうその男は剣を振り上げ三つ首の真ん中へと飛び込んで来ていた。
眩いばかりの光がスルトの剣から巻き起こる、先程コーボルトを切り裂いた技を発動させたのだ。
万物を断つ剣閃、その奔流はしかし、ハイドーラには届かなかった。
三つ首の蛇がそれぞれ咆哮を上げると、眼球から怪光を放ったのである。
怪光と剣閃がぶつかり合い、大爆発を起こす。
マントで爆風を防いで後方へ飛んだスルトは空中で体勢を立て直した。
分かっていたことだが、やはりこの程度で中級魔鎧には歯が立たないようだ。
ミア達が逃げる一時だけでも時間を稼げれば、自分はどうとでも逃げられる。
最悪、奥の手を使ってでも。
爆風が巻き起こした煙を切り裂き、ハイドーラが鎌首をもたげた。
スルトもゆっくりと落下しながら剣を構える。
その時、三つ首の端の一本が何かを発見し咆哮をあげた。
そちらの方向を振り向いたスルトは、救出した子どもの内の一人……ゼンが苦しそうに蹲る姿とそれを助け起こそうとするミア達を見出した。
ハイドーラがゆっくりとそちらの方向へと向き直り、右腕の蛇を振りかぶる。
驚くべき伸縮性を持つハイドーラの腕ならば、あの距離であっても届くだろう。
スルトは一瞬で剣を鞘へ収めると、つけているマントに込められたマナを全て解放する。
空中を落ちるようにして駆け抜ける。
急速に近づいていく視界の中、こちらに気付いたミアと目があった。
2
ゼンはひたすら走っていた。
横ではアルバ、後ろはミアが走っている。
魔鎧、それはとても巨大で恐ろしい化け物だった。
自分の元の世界であってもあのような巨大な兵器は数えるほどもないだろう。
そんな怪物を生身で倒してしまったスルトやミアは一体どんな修行を積んできたのか。
荒野をひたすら逃げている途中、背後で爆音が響く。
何が起こったのだろうかと振り向きそうになったゼンをミアが制止する。
「振り向いたらダメ!」
「お父さん一人ならなんとかなるから!」
そう続けたミアもかなり息が上がっている。
マナが切れると普通の女の子ほどの力しか出ないらしい。
もつれそうになる足を、必死に動かしながら駈け続ける。
こんなに危険な世界で自分が何が出来るというのだろうか。
ゼンはアルバの言っていた事を思い出す。
「アルバ!オレの力ってやつでどうにかならないのか!」
「むっ……どうにかならぬ事はないが……。」
「ならっ!」
「しかしその力を使うと我の力は失われるのだ!おぬしの元いた場所にも帰れるかわからんし、危険な目にもあう可能性が高いのだぞ!」
「何だって!?」
まさか帰れなくなる可能性があるとは思わなかった、それにしてもアルバとは一体何者なのだろうか?
世界を渡る力があるというが、おそらくこの世界でも普通の力ではないだろう。
ゼンは考えながらも走り続ける。
疲労からか、先程から感じていた息苦しさが強くなっていく。
そして――
息が出来なくなった。
一瞬意識が真っ暗になり、気付いた時には土と砂にまみれた地面でのたうち回っていた。
「息がっ……何が……ゴホッ!」
「ゼン!!」
アルバが苦しむゼンに駆け寄った。
ミアもゼンの肩を支え、声をかける。
「どしたの!?なにこれ、マナ切れ?……なら…!」
戸惑いながらも処置しようとするミアだったが、アルバに遮られる。
「違うな……これは……」
アルバはそう言いながらゼンの額や胸に手を当て探る。
「やはり、ゼンにはマナを取り込む力がない……。」
「えっ!?そんなの、この世界の生き物は全部持ってるじゃない!」
アルバの言葉にミアが驚いている。
しかし、ゼンの中では全て繋がった。
アルバがゼンの世界で突然苦しみだした時に言っていた、マナが存在しないという言葉。
つまり、この世界で生きるものはマナがなければ生存を維持できないような仕組みになっているのだ。
逆にこのマナが溢れる世界では、マナを取り込む力がなければ生存に必要な要素が満たされない。
異世界に行って、そのまま元気に生きられると思うのは甘かったようだ。
「ゴホッ……逃げろっ……」
苦しみの中で声を無理矢理絞り出す。
仰向けになったゼンの視界が捉えたのは、蛇の形をした怪物から腕が振り下ろされ、伸びた蛇頭がこちらに襲い来る瞬間だった。
ミアとアルバが気付き、そちらの方向を振り向く。
今からどう動いても、どう考えても間に合わない。
その刹那。
猛烈な勢いで飛来した何かが、ゼン達と迫る蛇頭の間に着地した。
マントがたなびき、つば広の帽子を被った男が立ち上がる。
「お父さん!」
ミアのその言葉と同時に巨大な蛇頭が、目標を圧殺すべく襲いかかった。
轟音と砂埃、ゼンは苦しみながらも何が起こったかを見た。
スルトが構えた刀と鞘に猛烈な光が走り、襲い来る蛇頭に抜刀とともに叩きつけられる。
ハイドーラの攻撃を真っ向から受けたスルトは凄まじい衝撃で吹き飛ばされた。
だがしかし、ゼン達を狙ったその攻撃は僅かに逸れ、3人は命を拾うことが出来たのだ。
ゼン達をかばって吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたスルトはぴくりとも動かない。
ミアは急いでそちらへと駆け寄る。
その様子を見ていたアルバは苦しむゼンに、優しげだが決意の籠もった瞳を向ける。
「待っておれ、今おぬしをあちらの世界に帰す。」
「なに……?」
「巻き込んでしまった責任があるからな、必ず帰してやるから安心せい。」
そう言うアルバの銀髪がふわりと浮き上がり始める。
「ゴホッ……待て……」
こんな状況で帰ったとして、それで今までの様に暮らせるだろうか。
助けを求めて来た奴を放り出して、逆に助けられて、帰れるはずがない。
ゆっくりと振動が近付いて来ている、ハイドーラという奴がトドメを刺すためにこちらに歩いているのだろう。
もう時間はなさそうだった。
精神を集中しようと目を閉じているアルバの頭を無理矢理掴むと、自分の額に押し付けた。
「何を……なるほど……!」
少し驚いたアルバだったがゼンの考えを察し、再び目を閉じる。
この状態なら考えが読めると出会った時に言っていたのを、恥ずかしい記憶と共に思い出したのだ。
(聞こえてるかアルバ。)
(聞こえておる。)
頭の中に直接声が響いているような感覚。
(すっごくキツイから、単刀直入に聞くぞ。)
(うむ。)
頷くような気配がする。
(オレが力を出せたら、今起きてる問題全部解決出来るのか?)
暫しの沈黙。
(先ほど言った事は覚えておろう。)
帰れないかもしれず、またこういう事に巻き込まれるかもしれないという話だったな。
答えはもう決まっている。
この世界に来てから出会ったスルト、ミアは身体を張ってオレを守ってくれた。
アルバは……。
この考えも聞いてそうだから何も言わないでおこう。
(アルバ、今この状況をどうにか出来るなら……力を貸すぜ。)
アルバは何も答えない。
(聞こえてるのか?)
返事の代わりに額が離れた。
目を開けると、少し目を潤ませたアルバが笑っていた。
「おぬしはバカだ、バカが付くほどお人好しだ。」
アルバの柔らかな銀髪がふわりと浮く。
目と鼻の先では辺り構わず蛇腕を叩きつけながら前進してきたハイドーラが、辺り一帯を焼き払うべく三つ首の眼球にマナを集め始める。
「君たち!逃げなさい!」
なんとかスルトを助け起こそうとしていたミアが叫ぶ。
「ハァァァ!!」
再び燐光を纏って走り出そうとするが、力なく倒れた。
マナが無くなったのだろう。
スルトも動こうとしているようだが、無理そうだ。
地面に血溜まりが出来ておりダメージの深さを物語っている。
「安心せい、おぬしの力は世界最強だ。」
優しい声が響く、アルバを包む燐光は更に光を増しゼンをも包みこんでいく。
その時、ハイドーラの眼球に溜まったマナが限界を超え、極太の怪光線となり放たれた。
光芒一閃、周辺は大爆発に包まれた。
3
「ヒャーッハハハ!!やったぞ!!魔神様!私はやりマシたァァァ!!」
ハイドーラの胸部にある搭乗部の中で長が叫んだ。
魔鎧からの侵食を受け狂気に染まる視界の中で、全ての敵を神の雷で爆砕したのだ。
眼下には燃え盛る大地が広がっており、神の力を祝福している。
しかし……。
その爆炎の中から黒い影が立ち上がった。
その揺らめく影はゆっくりと振り向く。
その大きさは、ハイドーラより少しだけ小さい。
つまり常識外れの大きさである。
コーボルトの2倍はあるだろう。
影はほぼ完全な人型をしていた。
鎧を着た人のようでありながら、肩から生えた突起、胸部よりかなりすぼまった胴部や大きな前腕がその人型を何処か悪魔の様に見せている。
数歩進み炎を抜けた巨人は、さながら黒鉄の装甲に包まれた鎧騎士のようであった。
「キィィィ!!楯突くものは殺す殺すコロスコロス!!」
半ばハイドーラと一体になった長は、心の奥底から次々と湧いてくる憎しみをぶつけるべく、蛇頭の両腕を振り回した。
その蛇の侵攻を、黒い巨人の両腕が受け止める。
瞬間、受け止めた腕に蛇腕が巻き付き力比べの格好になった。
「コノ…私ガ……力負ケダト!?」
ハイドーラの巨大な足が、巨体が、大きさでは劣るあの黒い巨人に引き寄せられている。
「オノレェェェ!!」
両腕を蛇腕で絡め取られ、逃げられぬはずの黒い巨人に向かって三つ首からそれぞれ怪光線が放たれる。
それは一瞬で黒い巨人の頭に着弾の轟音を響かせた。
しかし、ハイドーラを引き寄せる力は些かも衰えてはいない。
爆発の煙の向こうで、黒い巨人の2つの目が赤く輝く。
次の瞬間、凄まじい衝撃とともにハイドーラは宙を舞った。
4
スルトにはなにが起きているのか判らなかった。
最早ハイドーラから放たれた光芒に焼かれ消え去るのみだった命が繋がれた事だけではなく、目の前で起きている事象その全てが理解を超えていたのだ。
突如スルトやミアを守るように顕現した巨人が、ハイドーラの放った怪光線を受け止める。
そしてゆっくりと立ち上がると、その巨体をハイドーラへと向けた。
蛇腕の拘束を受けながらも一歩も引かず、光線を受けながら傷すらつかぬそれは城塞のようだとしか形容できなかった。
黒い巨人は巻き付く蛇腕を逆に掴み返し力任せに引っ張ると、ハイドーラの巨体が宙に浮かび上がる。
巨人はその勢いのままハイドーラを空中で振り回す、あのような巨体を持ち上げるだけでも脅威なのに、あまつさえ振り回すというのは常識に外れすぎている。
その時スルトはハッと気付いた、あの技はもしかすると先程自分が神殿区域で鉤爪の男達に使用したものではないか?
そう考えていると、巨人は勢いよくハイドーラを洞窟跡に投げ飛ばした。
凄まじい轟音と地響きに、もしやこの世界を支える世界亀も起き出すのではないかと思われた。
剣士として修練を重ねたスルトの意識は少年達の姿が消えているのにも気付いたが、先程受けた傷は深く、意識はやがて黒い泥濘の中に埋もれた。