魔鎧の恐怖
1
長い通路を慎重に歩きながらスルトは考えていた。
事前に集めた情報ではこの支部の幹部の人数は12、先程斬り捨てたのが10。
出入り口には神殿区域を通らなければ向かえない。
他に出入り口が無いかは侵入前に周囲を探索済みである。
戦闘中は絶えず出入り口方面に気を配っていたため、残った者は逃げてはいないはず。
つまりまだあと2人はこの洞窟内で息を潜めているはずだ、魔術的に隠された出口があるのなら別だが、この規模の支部ではコストのかかるそういった仕掛けはまずない。
娘のミアと旅の途中、神隠しが起きている村々からの依頼を受け、魔神教団の暗躍を知った。
そこで人攫いに来た教団員を尋問し可能な限りの情報を集め、幹部の人数などを知ったのだ。
だが、アジトの場所を訊き出そうとした瞬間に捕虜は炎に包まれて事切れた。
教団員は情報漏洩防止のために、条件指定の呪いか何かがかけられているらしい。
ミアが囮となり教団に誘拐され、それを秘密裏に追跡する事でアジトの位置を割り出した。
潜入したミアの脱出を手伝うため、耳目を集めるように出来るだけ派手なわざを使いアジトへと突入したが、予想以上の教団員の人数にいささか驚いた。
それにあの幹部達。
先程屠った幹部達は皆かなりの使い手であり、中でも鉤爪の4人の連携とムチの男は良かった。
久しぶりにひやりとする場面もあり、中々充実した時間だった。
自分がにやけているのに気付いたスルトは口に手を当て隠す。
(ふふ、顔に出てしまうとはまだまだ未熟。)
手を下ろしたスルトは再び真剣な表情へと戻った。
しかしあの少年……ゼンと言ったか。
私の剣光を全て目で捉えるとは。
その割に人死にに慣れていないようだったが……と考えた所で思い直す。
人死になど、普通は慣れるようなものではない。
そんなもの見ないに越したことはないのだ。
あの子は鍛えればちょっとしたものになるかもしれん、などと考えながら洞窟内の一番奥へたどり着く。
そこには呪紋による魔法的防御が施された仰々しい扉があった
帽子を深くかぶり、ゆっくりと剣に手をかける――。
スルトの剣士としての勘と経験が、この先に潜む危険を察知していた。
2
スルトが幹部を追って洞窟に消え5分ほどが経った頃。
ゼン、アルバ、ミアの三人はミアを先頭にして外へと向かっていた。
そこまで広いとは思っていなかったのだが、この洞窟は想像より範囲が広いようだ。
気圧のせいだろうか?頭が重い。
(アルバ、この世界ではこんなでかい洞窟が多いのか?)
(うむ、ここは元々ウォードジゥの住処だったものを改造したようだな。)
(ウォードジゥ?)
聞きなれない言葉に首を傾げる。
(地虫だな、地中や山の中を掘り進み住処とする巨大な虫よ。)
(虫かぁ……。)
心底嫌そうな顔をするとその心中を察したのか、アルバは安心させるように続けた。
(最早数を減らしすぎて姿を見る事はほぼないと言っていいが、時々住処の跡が見つかるのだ。死骸や捕食された物が変じた希少な鉱石なども掘れたりするので、新しい住処の跡が見つかったらちょっとしたお祭り騒ぎになるな。)
「お二人さん!」
アルバにこっそりこの世界の事を聞いていると、退屈そうなミアが喋りかけてくる。
「アタシも混ぜてくれないかな〜暇でたまんないよ〜。」
身体を揺する度、ポニーテールが揺れる。
神殿区域から出る際、また結び直したのだ。
ポニーテールを結んでいるリボンに、マナ抑制の仕掛けがあるという事をアルバに教えてもらった。
マナとは、この世界や生物全てに充満する魔法的な力を持った力の源の事……らしい。
「じゃあ……ミアさんって何をしてる人なんですか?」
「おっ!よくぞ聞いてくれました!」
ミアは得意げに胸を張る。
「私はね、ヴァンクリア王国で騎士をやってるの!!……見習いだけど……。」
最後の方は小さくて聞こえなかったが、この世界はやはり騎士団なんかがいる所謂中世ファンタジーな世界のようだ。
「ここには騎士団の任務か何かできたのか?」
アルバが聞く。
騎士といえば恐らく貴族だと思うのだが無駄に尊大に聞こえるアルバの喋り方は失礼にならないのだろうか。
「うーん……任務っていうか、試験っていうか……。」
「試験?」
少し気になったので聞いてみる。
「正式な騎士になるには先達の騎士と一緒に旅をして、自分が騎士に相応しいかを旅の中で示さないといけないの。」
「大変そうですね……あれ?つまりスルトさんも騎士なんですか?」
訪ねたゼンの方を見て固まるミア。
顔面は蒼白になっている。
まさか……。
「いやっあの……父さんは…ただの旅の剣士で……。」
口をパクパクと動かすが声がついてきていない。
相当な機密を喋ってしまったのかもしれない……。
隣ではアルバが笑いを堪えていた。
釣られて笑いそうになったが、どこか息苦しい感じがしてやめておいた。
「んっ?何か聞こえない?」
ミアが声を上げる。
最初は誤魔化すために発した言葉だと思ったが、どうやら違うらしい。
ガリガリとなにかを削るような音に、段々と近付いてくる足音。
しかし、この足音の大きさはただ事ではない。
心なしか地面も振動しているような気がする。
地面に手を付け暫し様子を探っていたミアは、血相を変えて叫んだ。
「魔鎧が来る!!」
3
魔鎧が来る。
その叫びが意味する所を理解出来ないゼンは、後ろを振り向いてみたりするがなんの事か解らない。
(マガイってなんだ?ミアさんも随分焦ってるようだけど。)
聞いてみようと思い隣を向くと、アルバもかなり焦っている様でゼンがささやく声も届いていない。
どうやらかなり危険な状態らしい。
ミアはリボンを外しポニーテールをほどくと、またあの圧力を復活させた。
靡く髪は淡い燐光に覆われている。
「2人共我慢してよ!」
そう叫ぶとゼンとアルバを小脇に抱え込み、猛烈な速度で走り始めた。
その間にも後ろからの足音と振動はどんどん強くなっていく。
抱えられたまま後ろを覗いてみると――。
こちらも猛烈な勢いで走るスルトさんが居た。
少し離れてはいるが、帽子を押さえながら走ってくる姿はスルトさんに間違いない。
しかし、あんなに強いこの人達が逃げるしかないマガイとは一体何なのだろう。
言い知れぬ不安と、息苦しさを抱え、スルトさんの後ろ、暗闇に飲み込まれていく通路に目を凝らす。
暗闇に浮かび上がったのは生気を感じない白い瞳、鋭い牙、巨大な爪を持った前脚……まるで狼の化物のような。
いや、姿形はまだいい、ファンタジーなら狼の化物ぐらい出てくるだろう。
しかし問題はその大きさである。
この洞窟の通路は、横幅は大人5人は並んで歩けるほど広く、縦幅に関しても2メートルは超えていると思う。
そんな通路にぎっしりと、その狼の化物が詰まっているのだ。
顔だけでも恐らくゼンやスルトさんより大きい。
詰まっているだけならまだいい、その巨体と前脚で壁面を削り、地面を掘りながら猛然と追いかけて来ている。
「出口だ!」
アルバが叫ぶ。
ミアは速度を上げ半ば倒れ込むように脱出すると、洞窟の出入り口から距離を取るべく跳躍する。
もちろんゼンとアルバの2人は抱えたままだ。
洞窟の周囲は荒れ地に若干の木が生えたような荒野だった。
手近な場所に降ろしてもらったゼンたちは、スルトの脱出と化物の出現を確かめる為出入り口を睨む。
スルトが出口から飛び出してきた直後、その小さな出口を叩き割りながら洞窟の中より狼の化物が現れる。
大きさは10メートルはあるだろう。
必要以上に盛り上がった肩から生える凶暴なまでの太さの前脚、前脚に比べて半分の長さしかない後脚。
アンバランスな化物だな、と最初ゼンは思った。
だがしかし、その狼の化物は上体を持ち上げていき……
直立した。
こうなっては、アンバランスに見えた前脚も筋骨隆々の腕となり、貧弱に見えた後ろ足もしっかりと地を噛み支える脚になる。
よくよく見ると、身体のそこかしこに分割線のようなものが入っておりおおよそ生物には見えない。
「ちょっと聞いてないわ……『コーボルト』じゃないの……。」
ミアが汗を拭いながら言うと、いつの間にか横にやってきたスルトが並び剣を抜く。
「奥にもっとヤバイのが居たぞ、一応天井を落として来たがあれでどうにか出来るとは思えん。」
スルトの言葉に絶句するミア。
「『ゴブリン』あたりなら良かったが『コーボルト』となると……危ないかもしれんな……。」
アルバは自分の力がどれだけ戻っているか、拳を握ったり閉じたりして確認している。
「あれがマガイってやつなのか?」
「そう、あれが魔鎧だ。悪魔の軍勢の死骸を用いた巨大なる鎧、その力は最低位の『ゴブリン』ですら騎士団一個小隊にも匹敵する。」
「えっちょっと待って、この世界のゴブリンとかって皆あんなサイズなの!?」
答えるものは居ない、『コーボルト』が動き出したからだ。
身体の各所から煙を吐きながら生物的に動くそれは、例えるなら機械の獣といった様子である。
「ミア!先陣は私が!」
そう叫ぶとスルトが魔鎧目掛けて疾走する、その速度は構えた剣が白い線に見えるほどだ。
十分な助走、その勢いのまま剣光を閃かせればそれは空気すら断ち切り真空の刃と化す。
岩山にすら大穴を穿つ、スルトの奥義である。
超巨大なカマイタチは空間を歪ませながら『コーボルト』に直撃する。
直撃の際の爆風で砂煙が舞い上がる。
「やった!」
ゼンはその爆発の威力に思わず歓喜の声を上げた。
しかし……。
影が砂煙の奥で動き出していた。
「うおおおおお!」
ミアが吼える。
砂煙からほぼ無傷といっていい状態の『コーボルト』が走り出す。
立ち向かうようにミアも駆け出す、その一歩ごとに地面が抉れていく。
「嘘だろあの技を受けてノーダメージなのかよ!」
ゼンが悔しそうに叫ぶ?
「あれが魔鎧の特性だ、アレのアストラル装甲は物理攻撃は通りにくい……。」
アルバは冷静に解説する。
「そんなの無敵じゃないか……。」
「いや、見てみろ。」
飛び上がったミアの放った拳を受けて、コーボルトの胸のあたりがひしゃげた。
巨大な腕を振り回すが、小さなミアには中々当たらないようだ。
「ダメージ与えてる!」
「ミアは身体にマナを流して強化する技を使っているからな、アストラル装甲はマナによる攻撃には弱いのだ。」
アルバはそう言いながらも、苦い表情をしていた。
振り下ろされた魔鎧の右腕に、ミアが回し蹴りを打ち込む。
右腕は肘の先から折れ、そこから内部機構がこぼれ落ちる。
「好機ッ!」
ミアの後ろから走り抜けたスルトが、マナの光を纏わせた無数の剣閃を奔らせた。
「せぁぁぁぁっ!!」
無限に広がる孔雀の羽根のような光の筋は狙い寸分過たず、魔鎧の関節部分に吸い込まれ、全てを両断する。
「コーボルトが生身の人間に!?」
大破状態の『コーボルト』から声が聞こえてくる。
胸部装甲が剥がれ落ち、搭乗していた赤黒いローブの男の姿が顕になる。
ゼンの横に着地したスルトは肩で息をしている。
「人が乗っていたのか……!」
「魔鎧とは悪魔の軍勢と戦う際に、人が用いた装備だからな……。しかし、我も生身でコーボルトを倒す人間など多くは知らぬぞ……なんだあの二人は……。」
「おらぁぁぁぁっ!!」
気合いの咆哮と共に跳躍したミアが魔鎧に踵落としを見舞う。
搭乗していた者も、その魔鎧も、その一撃で完全に停止したらしい。
そのままコーボルトを蹴飛ばし、スルトの横に着地するミア、明らかな疲労が見える。
「はぁっはぁっ……もうムリ、マナ切れ……。」
酸欠のような状態になっているミア。
「だらしないぞミア、これからまだひと仕事あるんだからな。」
そう言うスルトも息が上がっているようだ。
「マナは有限で、しかもほぼ体積が直接貯蔵量に比例する上、使い切るとおぬしの世界での我みたいな事になるのだ。」
アルバがこっそり教えてくれる。
「なるほど……じゃあ今オレがちょっと息苦しいのもマナ切れかな……?」
「何?」
「ミア、2人共、今のうちに逃げるよ!」
ゼンもアルバもミアも異存はなかった、スルトの言っていたもっとヤバイやつが洞窟の奥から到着する前に逃げなくてはならない。
『コーボルト』相手でもマナが切れ掛かっているのだ、更に上となると勝ち目など見えない。
4人が騎士団詰め所がある街まで走り出そうとしたその瞬間、目の前にあった洞窟が爆発した。
炎の中に巨大なヘビのような影が揺らめく。
それは1本、また1本と増えていき、遂には5本にまで増殖する。
首の一振りで炎を消し去り、巨大な多頭蛇の化け物が姿を現す。
「我が支部を全滅させてくれた報い、私の『ハイドーラ』で受けさせてやる!!」