剣聖の力
1
魔神教団が潜む洞窟内の最も深い場所、幹部のみが入る事を許された薄暗い部屋。
そこに一人の男が佇んでいた。
赤黒いローブのフードを上げ、少しズレた仮面をつけ直す。
今日は予定外の事ばかり起きる。
まず、魔神様復活のための儀式で奇妙な服を来た子供を2人喚んでしまった。
それだけならいい、この儀式で召喚されたという事はいずれ魔神様の血肉となる者のはずである。
つまり普段ならば即処刑し、生贄として血肉を捧げる所だ。
だが、その子供の内の一人は驚くべき事に我等の殺気に気付いた上で立ち向かって来たのだ。
しかも、侮ってかかったとはいえ豪腕で鳴らしたアドカースを倒すとは。
マナは全く感じないが、あれは恐らく何らかの加護を受けたものであろう。
そう見て取った私が咄嗟に気絶させていなければ、更に強く歯向かって鉤爪4兄弟あたりが殺してしまうかもしれなかった。
もう一人もなかなかのマナを持った者であり、この者もすぐさま捕らえた。
魔神様の呼び水となり得る者を殺してしまうのは大いなる損失である、予定外ではあるが生贄として確保しておく事にした。
最後の予定外は偶然村娘がこの神域の近くに山菜取りに来ていたことだ、近隣の山が痩せここまで出てきたのだろう。
大地の生命力の減少は魔神様の復活が近いという兆しであり、歓迎すべきものだ。
この支部の長として、私が必ずや魔神様を呼び出してみせる。
もし及ばずとも眷族の一体ぐらいは呼び出し、従えてみせよう。
『コーボルト』や『ハイドーラ』だけでは来る日の戦力には到底足りない。
眼前の最高戦力を見ながら、さらなる貢献と献身を捧げる自分の敬虔さに震える。
魔神教団、その支部を預かる身である男が決意を新たにしたその時、轟音と震動が洞窟を襲う。
男は急いで音のもとに走った。
たどり着いた先では構成員達が集まり、天井を見上げていた。
儀式を行う神殿区域、その天井が一文字に砕け散っている。
「何事か!」
「長!何者かが襲撃を!」
「この岩山を割ってか!?」
長は目を剥いた、この岩山には生半な攻撃では傷すらつかないはずで、それを破るような魔法攻撃を教団側が察知できないはずはなかったのだ。
「そのようです!」
その問いかけに幹部が答える。
「人数は?王国騎士団でも出張ったか?」
その質問にも、幹部は少し躊躇った末答える。
「……一人のようです!」
「なんだと……?」
信じられないといった様子の幹部だったが、一人であったとしてもここの防備を突破できる可能性はある。
その可能性を長は聞いた。
「魔鎧か?」
「それならば物見が気付くはずでは…?」
その可能性は消えた、あんなものを見落とすなど、どんなに目が悪いとて不可能だろう。
魔王級ならあるいはそうではないのかもしれないが、そんなものがこのような片田舎にあるはずはない。
「そうか、そうだな……。」
その時、天井に開いた裂け目から何者かが飛び降りて来る。
襲撃者は人間、しかも一人の……剣士だった。
2
凄まじい衝撃が襲った直後、教団洞窟内の牢屋。
轟音が轟いたのが合図だったのか、目の前の村娘の雰囲気が変わる。
ゼンとアルバのやり取りを見て微笑んでいた先程までの表情は消え、戦士の顔へと変化した。
彼女はゆっくりとした動作でリボンを外しポニーテールを解く。
その瞬間内に秘められていた何かの力が解き放たれたのがゼンにも判った。
そして、次に目の前で起きた出来事に目を疑った。
彼女はおもむろに付けられた手枷を膂力でもって粉砕したのだ。
足枷はもっとひどかった、彼女が手で握り込むだけでとても可哀想な音がしてそのままひしゃげてしまった。
更に自分の牢の檻も、ゼンとアルバが捕らえられた牢屋の檻も飴細工のようにぐにゃりと曲げ折る。
こんな事が出来る女性を他に知らない、否、レスリング世界選手権連覇を果たしたあの人なら……
ゼンが元の世界に居た最強存在を思い返していると、隣で震えるアルバの声が聞こえてきた。
「なんというマナ、なんという力だ……。」
アルバもゼンと同じような気持ちらしい。
あのような力はこの世界でも非常識だというのが判り安心すると同時に、目の前の女の子は一体何者なのかという疑問が湧いてくる。
「一緒に逃げるよ!」
こちらを向いた元村娘の彼女がゼン達に声をかける。
「手枷出しな、ホレ。」
よこせとでも言うように、ちょいちょいと上を向けた手のひらを動かす。
ゼン達が手枷を前に差し出すと、彼女はその鍵の部分を握り潰した。
「アタシはミア!ワケあってここに潜入してたのさ!」
にこやかに自己紹介する彼女はとても鉄を素手で握りつぶす様には見えない。
「オレはゼンといいます。」
「我はアルバだ。」
お互いの自己紹介を済ませたあと、少しの間扉に張り付き外の様子を伺っていたミアだったが、外部の安全を確認したようで、こちらに手招きするとスルリと扉を出ていった。
呆気にとられていたゼンはアルバと顔を見合わせる。
「あれは……?」
「我にだって知らぬ事もある……。」
「おーいキミたち!来ないのかー!」
少女らしさが残る声が扉の外から呼んでいる。
先程の光景と、いかにも年頃の少女然とした声とに戸惑いながらもゼンとアルバは扉から出て彼女を追いかけた。
ゼン達は暫く走って神殿区域に到着した、そこには幹部や教団の信徒たちも集まってきている。
皆一様に天を仰ぎ、何事か怒鳴り合っている。
「お父さんってば、また派手にやったもんだなー……。」
ミアが呆れたように呟く。
ゼンも教団の面々が見ている方向に目をやると、洞窟の天井に大きな裂け目が出来ている。
裂け目からは日の光が漏れて暗い洞窟内を照らしている。
何かがあれをやったのだろうか?お父さんとは?
その時、ゼンは他の教団員より身なりが良い赤黒いローブを着た男達12人が揃っているのを発見した。
恐ろしい手練達、一人ひとりが恐らくゼンの何倍も強く、勝てたのは運でしかない。
その中でも一際偉そうな男が部下と何やら会話しているようだが、全く聞き取れない。
その部下が何やら見つけたらしく、天井を指差す。
その方向を見たゼンは、天井に出来た裂け目から人が降りてくるのを見た。
天井はゼンの通う中学校の屋上ほどの高さである。
普通ならば、あの高さから落ちた人は死んでしまうか良くて大怪我なのは間違いない。
しかしその人影はふわりと音もなく着地して見せた。
マントが翼のようにはためく、まるで天から舞い降りたかのようだ。
着地してじっと右膝を立てて左膝を地につけ動かない影に対し、教団側は先制攻撃を仕掛けた。
まずは下っ端であろう教団員達が手に様々な武器を持って殺到する。
その数30は下らないだろう。
その人数が向かってくるにも関わらず降りてきた人物は微動だにしない。
ついに剣を持った教団員が斬りかかる。
その刹那、白い光が一瞬光る。
教団員は何が起こったのかわからぬまま腕を振り下ろす――しかしそこに振り下ろすはずの剣は無く――腕すらも無かった。
また幾筋かの白光が煌めく。
そのたびにその人物に近付いていた教団員達が腕や足を失い、痛みにのたうち回る。
今や人影は立ち上がり、つば広の帽子を左手で押さえながら、ゆっくりとした歩幅で前進していた。
まったく自然な様子で、散歩でもするかのように悠然と歩いている。
普通の散歩者と違うことといえば、革鎧を身に纏い、外套を羽織っている事ぐらいである。
だが、見る者が見ればその右手がほぼ絶え間なく剣光を閃かせているのに気付くだろう。
その周囲で白光が煌めく度に血煙が舞い散る、そのうちに教団員は全員どこかしら欠損し、痛みに耐えられず倒れたまま呻くのみとなった。
「うわぁーお父さん前より強くなってるし……。」
ひどいものを見るような目で眺めながらミアが呟く。
「あの御仁、本当に人間か?」
アルバも相当に驚いているようだ。
あんなものを見せられて驚かない人間のほうが多いのではないだろうか。
「一瞬で3回も……いや、3回目は血を払う為に振ってるのかな……。」
「えっ?」
ゼンの呟きに驚いたのはミアである。
「見えるの?」
顔をこちらに向け、険しい顔をしつつ聞いてくる。
「えっ?」
今度はゼンが驚く、何か見てはいけないものを見てしまったのだろうか?
怖い顔をしているミアだが、なにかの極秘事項だったりするのかもしれない。
もし、あのような人に狙われたら自分なら一閃目で間違いなく死んでしまうだろう。
「あっあいつら!」
そのミアの気をそらすようにゼンは指さした。
そこでは赤黒いローブの男達、恐らく幹部教団員が帽子の男を取り囲んでいた。
10人の幹部達がゆっくりと帽子の男を取り囲む、帽子の男は左腰に吊るした鞘に剣を収め静かに佇んでいる。
数秒か数十秒か、静かな睨み合いが続き――。
その静寂は幹部達の攻撃により破られた。
幹部の一人がローブの袖口からムチをし
ならせ、猛然と打ち付ける。
更にもう一人が同様にローブの袖口から十数本のナイフを一気に投擲する。
帽子の男は身体を右に捻ってムチを避けると、飛来したナイフをいつ抜いたかわからぬほどの速度の抜刀で叩き落とした。
高い金属音が響き渡る。
避けたムチは使い手の意思によって軌道を変え再び男を襲う、まさしく変幻自在の鞭術である、だがそれも空を切っていた。
男が軽く跳んでムチを回避したその空間に突如巨大な炎が燃え上がった。
見れば10人の内2人が魔法陣のようなものの上に乗りなんらかの力を込めている。
空中にいる男に向かって更に数十本のナイフが飛来する。
それを空中で横に回転しながらの剣閃で叩き落とした男は、勢いそのまま左手を魔法陣の幹部達に鋭く伸ばす。
すると魔法陣に乗り集中していた幹部達が血を吹き出しながら倒れた。
なんと先程男に飛来したナイフの数本が喉笛に突き刺さっている。
ナイフを空中で叩き落としながらも、数本左手で掴んでおり、それを魔法陣の幹部達に投擲したのだ。
8人へと数を減らした幹部達は手に武器を構え襲いかかる。
ムチを持った幹部は更に大振りにムチをしならせる、着地した帽子の男に直撃させる腹積もりである。
だが男は地面に剣を突き立て、それを支えに再び跳躍した。
ムチは男に届かず、さらには大振りにしたせいで戻りが遅くなる。
帽子の男は跳躍で一気に距離を詰め、ムチの根本を押さえつける。
そして一瞬剣を閃かせると、後ろに迫っていた剣を持った幹部二人と撃ち合う。
ムチの男は自分の首が落ちた事も気付かず事切れた。
剣幹部2人が左右から恐ろしい速度の剣閃を送るが、男の1本の剣によって全て防がれてしまう。
剣を持った幹部の1人は先程ゼンと戦った男のように見える。
かなりの実力者と見受けられたが、その攻撃は全く届いていない。
幹部の2人は渾身の力を込めた一撃を見舞おうと剣を握る腕に力を込める。
その一瞬の力の変化を見逃さなかった男は、隙とも言えぬほどのその隙を必殺の瞬間へ変えた。
身体をかがめ、バネのようにして加速、幹部2人の間をすり抜ける瞬間に両者の胴を一刀で断ち切った。
2人の間を走り抜けた男は、仲間が邪魔でナイフを投げあぐねていた幹部へと肉薄し、その剣を一閃させる。
残り4人となった幹部達だったが、4人とも袖口から鉤爪のようなものを取り出す。
4人で帽子の男の周囲を取り囲むと猛烈なスピードで回り始めた。
その包囲の輪から次々と鎖の付いた鉤爪が突き出される。
男が一人に攻撃に移ろうとすれば別の二人が防ぎ、また別の一人が攻撃する。
男も全ての攻撃を避けてはいたが攻めあぐねているように見える。
男は剣を収めた。
もしや諦めたかと思ったがそれは違った、飛来した鉤爪を片手で一本、もう片手でもう一本と捕まえたのだ。
そのまま恐ろしい膂力で鉤爪の主を引きずり出すと、力づくで振り回した。
一人は壁まで吹き飛んでめり込み、そのまま動かなくなった。
もう一人は飛来した別の鉤爪を受け止めて死んだ。
仲間に鉤爪を刺した事で武器を失った鉤爪幹部の一人に一足飛びで駆け寄った男は抜刀一閃で葬る。
残る一人は逃げようか躊躇したが、最後は挑みかかって胴体を斬り落とされた。
剣を収めた男は帽子をかぶりなおし、マントと質素な革鎧に付いた埃を払った。
終わってみれば男は傷一つ負うことなく、手練の幹部達を葬ってしまったのである。
3
「お父さーん!」
ミアが先程まで死闘が演じられていた祭壇付近に走り寄る。
ミアを追ってゼンとアルバもその人物に近付いていく。
歩きながら周りを見ると、首が無い遺体や胴体で真っ二つになった遺体が転がっている。
いやでも赤黒い血溜まりや、そこかしこに転がった人だったものを見てしまう。
ミアもアルバも平気なのだろうか?
「お父さん、相変わらずえげつない強さね……。」
「ミア、お疲れさんだったな……その子達は?」
ミアからお父さんと呼ばれた帽子の男はゼンの方を見やり、しわが刻まれた目を細めた。
恐らくゼンの服装が気になっているのだろう。
「あの子達は捕まってた生贄みたい、一緒に救けちゃいましょ。」
「あんな子ども達まで捕まっていたとはな……怖かったろう。」
「あっそうだ、あの変な服の子なんだけど……」
こちらを向いてミアとその父親らしき男が何事か話し合っている、ミアの言葉を聞いた男が一瞬、鋭くこちらを射抜くような視線を送ったのをゼンは気が付かなかった。
それどころではなかったのだ。
濃い血の匂い、痛みにのたうち回り呻く人達。
斬られた男の生首が見ている気がする。
目の前にある胴から下が無くなった死体は、ゼンと戦った男だ。
もう限界だった。
ゼンはこみ上げてくる不快感に堪らず這いつくばり、胃の中のものをぶちまけた。
「あらら、お父さんのせいだよ。」
「子どもが見るようなものではないからなぁ……。」
男は人差し指で鼻の頭をかき、そのままゆったりと歩きだす。
そのままゼンに近寄り屈み込むと、その大きな手で背中を擦る。
「すまんなぁ少年、そっちの子は大丈夫か?」
「大事ない。」
ゼンだけでなくアルバの事も心配してくれているようだ。
戦っている時は鬼のようにも見えたが、今はとても優しい普通のおじさんといった風だ。
背中をさする手のひらから、どこか優しい暖かさを感じる。
その暖かさを感じていると、段々と気分が良くなっていく気がする。
「ありがとうございます、もう大丈夫です……。」
あれは尋常な勝負での決着、武の道を志した時に覚悟していたはずだったが、そんな覚悟はやはり、所詮子どもの強がりに過ぎなかった。
ゼンも一歩間違えば目の前に横たわる真っ二つの男に殺されていたかもしれないのだ、今更になって恐ろしくなる。
支えられて立ち上がったゼンは、自分の足が震えているのを自覚する。
振り向くとアルバが心配そうにこちらを見ていた。
その瞳を見つめ、思い出す。
この子を守るってあの時決めたじゃないか、オレの覚悟はこの程度だったのか?
せめて無事ここを出るまでは強く在ろう。
そう決意すると、足の震えは止まった。
その姿を見ていた男は、何かに納得したかのように頷く。
男に促され、ゼンはアルバと共にミアの所まで歩いた。
彼女は心配そうにゼンの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「はい……ご迷惑をおかけしました。」
「いやいや仕方ないって!お父さんがこんなえげつない事をしたのが悪い!」
そこまで言って、彼女は何かに気付いたように口に手をあてる。
「あっ、紹介するね!この帽子のおっさんが私のお父さん!知ってるかもしれないけど王国じゃ『剣聖』なんて呼ばれてて……。」
「おいおい、昔の話はいいだろう。」
帽子のおっさん……もとい剣聖が困ったような顔でミアの話を遮る。
「私はスルト、旅の剣士だ。」
そう自己紹介すると、帽子のつばを人差し指で押し上げ笑顔を見せる。
彫りが深く、どこか猛禽類を思わせる顔立ちだ。
ゼンとアルバも自己紹介をすると、スルトは2人の頭をポンポンと軽く叩く。
「私達が君達を必ず無事に帰してあげよう、"竜王の背に跨がるエルマイアのように"安心してくれたまえ。」
「は……はい。」
聞き慣れない言い回しにアルバを肘でつつく。
(あれってどういう意味なんだ?)
(むっ、そういえば格言などは共有化されぬのか……大昔に竜王という竜がおってな……。)
誰よりも正直で誠実な男エレマイアが、試練を乗り越え偉大なる竜王の助けを借りて恋人に会いに行く――
という伝承から転じて、何よりも安全な道行きの事をそういうらしい。
前の世界風に言えば、"大船に乗った気分"と言った所だろうな。
そんな話をアルバとしている内に、ミアと何事か話し合ったスルトはこちらに手を振るとそのまま立ち去って行った。
残党を探しに行ったのだろう。
そういえば戦闘の途中から幹部が2人、いつの間にか消えていた。