王太子ヴァンフリード
完全無欠の王子。
冷酷無比の鉄面皮。
王太子になる以前、まだ小さかった頃の私は、ほとんど笑わない表情の乏しい子どもだった。だって、長子とはいえ父には私の他に6人もの子供がいる。小さな頃から帝王学を施され、当たり前のように王位に就くと思われていたからこそ、気を抜く事など出来なかった。けれど幸い、学んだ事は面白いように頭に入り身についたから、他の弟妹達に圧倒的な差をつける事など造作もなかった。
ヴァンフリード=アルバローザ
それがこの国、ラズオルの現王太子である私の名前。父は国王、母は正妃。それだけに、いずれ王となってこの国を治める事は私にとっては義務であり定められた運命だった。
『弱音を吐いてはいけません。他者に侮られてもいけません。弱味を見せて付け入らせる隙を与えるなどもってのほかですぞ』
選りすぐりの教師達に講義の度にそう言い聞かされて育ってきた。常に気を引き締めようと努力した結果、私の顔からはいつしか笑みが消えていた。
『誰よりも強く、賢くあれ』その考えに固執して本心を隠す事を覚えた私は、無表情を貫き通した。それを大変だと特に感じた事も無かった。
ヘラヘラしている今とは違い、昔の私は偉そうで可愛げの無い子どもだったのだ。
そんなある日、妹のルチアが誕生した。
同じ母を持つ妹は私よりも5歳下。産まれ落ちた瞬間から可愛らしく、皆に祝福され愛されて育った。私と同じ銀色の髪、青を溶かしたような青紫の瞳で、会う者全てを魅了した。
何もせず、ただ小さいというだけで皆に愛され大切にされる存在。それにひきかえ私は――。
定められた運命を疑問にすら思わずに素直に受け入れていたものの、この時ばかりは後から生まれた妹の事を、少し疎ましいと感じてしまった。けれども無論、表情には出さない。完璧な自分を演じないと。
だから時間が空けば母の所を訪ねたし、妹とも兄としてきちんと接していた。
「あらあら、ルチアはお兄ちゃんが大好きなのね?」
母はそう言ってよく私達をからかった。
実際、妹は無表情な私のことも兄として慕ってくれているようだった。
くるくる変わる妹の表情、愛らしい仕草。私を見てニッコリ笑う顔も小さな手で必死に引き留めようと袖を掴む様子も、確かに全てが可愛らしい。けれどもそれを愛しいと思えない私は、きっとどこかが狂っている。
こんな私をルチアは知らない。
本来の私は、とても冷たい人間だ。
三年前――私が王太子になる直前に、母が病でこの世を去った。私は既に周囲に自分を認めさせていたから、他国の王族であった母の後ろ盾が失くなろうとも即位に支障が出る事は無かった。
ただ、無くなる間際に母が私に遺した言葉。
「ルチアを頼むわね。貴方はたった一人のお兄さんなんだから」
その一言だけが胸に刺さった。国王である父は弱い人間で、今や大勢いる側室達の言いなりだ。その中には自分の子ども以外を排除しようと画策したり、王太子である私に乗り換えようと迫ってきたりする者までいる。取り巻き達の勧めによって次々と側室を囲った結果、父は政務にまで口を出されるようになってしまっていた。
王太子となった直後から私は徐々に王城内の改革を進めた。公務の方は何となくこなし、むしろそちらに力を入れていた。
その中には身分ではなく能力重視の優秀な人材の登用も含まれている。そうして選ばれ、配属されてきた一人がオーロフだった。彼の前任が面白みに欠ける男だっただけに、私は特に彼には期待をしていなかった。
けれど彼は私を鍛え直し、良い意味で片腕となってくれた。
有能な彼や部下達のお陰で今や政務のほとんどを、王太子である私が担っている。無論、父の取り巻きや側室達に口を挟む隙は与えない。その結果、権力目当てで私に近付く女性が増え、妹を懐柔しようとしたり邪険に扱う者まで出てきてしまったのだ。
母が危惧していたのはこの事だったのか。
女性に本気になってはいけない。
私は妹を、守らなければならない。
王太子であるという己の本分を忘れてもいけない。
妹のルチアから、私も学んだ事がある。
それは、笑顔で武装した方が無表情の時よりも本心を隠し易く、人を言いなりにし易いということ。他人に好意的に受け止められるから、交渉を優位に運ぶこともできる。
他人の評価は面の皮一枚で全く変わるらしい。
『冷酷だ』という以前の私の評判は鳴りを潜め、今では『柔和な』とか『穏やかな』といった形容詞がよく付くようになり、他人を思い通りに動かす事が容易くできるようにもなった。
妹の笑顔に邪気は無いものの、屈折した私には本物の笑顔は浮かべられない。常に笑みを絶やさないよう心がけてはいるけれど、オーロフやジュールなど一部の者には私の嘘くさい笑顔は通用していないように思う。
ただ私は、妹のルチアの前では相変わらず、良い兄を演じていた。だからなのだろう、妹のわがままをわがままとも思わずに、好きなようにさせていた。
偽りの愛情しか持てない兄の、それが妹に対するせめてもの罪滅ぼしだと、変な考えを持っていた。
そう。私はそれをオーロフの義妹であるセリーナにあっさりと見破られてしまった。そればかりか私自身が妹のルチアを危険な目に合わせてしまっている、と指摘されてしまったのだ。
セリーナ=クリステルは不思議な女性だった。
さらさらした長い水色の髪に輝く大きな緑の瞳。見た目はおとなしく可愛らしいのに、中身は勇敢で誰にも媚ない。鈍感なのかと思いきや、人の心の動きには聡い。
出会った直後から私は、彼女から目が離せなくなってしまった。彼女の言動や行動は突飛で面白く、気付けば自然と本物の笑みがこぼれてしまっていた。クスクス笑ったり、ワクワクするような浮き立つ気持ちは、一体いつの時以来だろう?
彼女は本当に面白い。
頭脳明晰で天才と謳われるあのオーロフを「バカでしょう?」と一刀両断にしていた。いくら義兄妹とはいえ彼をバカ扱いして平気な人物を、私は初めて見た気がする。
私の事も知らず、王太子だと知ってからも態度があまり変わらなかった。嫌々会場に同行し、焦る様子も可愛かった。だからつい意地悪がしたくなって、私は彼女をからかってしまった。
私に近付く女性を嫌うはずの妹も、なぜか彼女の事だけは最初から認めていたようだ。まあ、最後は彼女に叱責されてルチアは泣いてしまったけれど……。
私の身分を意に介さず、断固として自分の意見を曲げないセリーナ。口調がやや乱暴になりがちだが、言っていることは概ね間違ってはいない。
冷たい心、色褪せた世界――。
けれど私は彼女にだけは、なぜか興味を掻き立てられる。
王太子となって2年半。
久々に遠慮なく怒られたせいで私も作り笑顔を忘れてしまった。でも、彼女の心からの言葉はなぜか耳に心地良かった。そのせいで、気付けばひとりでに素直な思いを口にしていた。
「そうだね、私もまだまだだったね。今後は心してかかるようにするから、君も協力してくれる?」
さあ、セリーナ。
可愛く素敵で面白い君。
私の前に現れて心を揺さぶる不思議な女性。
君への興味は尽きず、まったく私を飽きさせない。
そんな君を、これからどうやって手に入れようか?