色褪せた世界に差した色
王太子視点です(^o^)
世界は既に決められていた。
国王の第一子としてこの世に生まれ落ちた最初から――。
決められた運命を受け入れて当たり前のように王太子になり、そして間もなく形ばかりの伴侶を得て、当然のように王となってこの国のために一生尽くしていくのだろう。
王城深くに生まれて王家の人間として育った私は、他の生き方を知らない。小さいうちから将来国を治める事が義務とされ、その為の教育も受けてきた。習った事は難なく覚え身に付ける事が出来たから、特に困った記憶も無かった。決まり切った自分の人生に疑問を持った事も、特に嫌だと考えた事も無かった。
頭脳明晰、眉目秀麗、知勇兼備……。
18歳になり王太子となってからはその恩恵を受けようと、貴族達から大袈裟なほどの美辞麗句を並べられる。けれどどんなに言葉を飾られても、どんなに容姿に自信のある令嬢達から言い寄られても、笑って軽く受け流せるようにはなっていた。
とはいえ健康的な男性として、全く遊んでいないわけでは無い。身分を隠して「付き合うつもりは無い」と始めにきちんと断って、後腐れの無い大人の関係を時々楽しむ事にしている。
だが、私の世界はとても退屈で、もう随分前から色を失っていた。近づく男性や女性、誰もが同じように見えるし、会話もパーティーもありきたりで退屈な事この上ない。
それでも真面目に公務だけはこなしていたある日、新しい秘書官が配属される。私より二つ年上なだけ、若くして抜擢された彼は見目麗しい容貌で、何もかも見透かすような鋭い金色の眼をしていた。
オーロフと名乗った彼は、凡庸なクリステル伯爵の長男だ。かなり切れ者だという評判は、以前から私の耳にも届いていた。
しかし、優秀なだけでは面白味が無い。どうせいつものように固くてガチガチでスケジュール管理に厳しいか、顔色を伺うだけの融通の利かない官吏なんだろう。
そう思っていたが、予想は見事に覆された。
いや、優秀な事は優秀だったが、彼は私にも遠慮が無い。私は自分の事をそこそこ出来る方だと思っていたが、彼からすれば「処理の仕方が美しく無い」の一言であっさり片付けられてしまう程度だったようだ。
提出書類や懸案事項、外交文書も何度もやり直しをさせられたし、前の秘書官では目を通せば済んでいた決済書類も、本当に必要かどうかと意見を求められ考えさせられた。
有能な男が私の秘書となった事で、ただ退屈している場合では無くなった。今までのように手を抜き無難な仕事の仕方では、「無能な方だ」とはっきり言われ、軽蔑されたような視線を送られてしまう。この男の要求に応えるために私は必死で頑張った。もう、世界の色がどうかなんて気にする余裕は無い。
いつしか二年の時が過ぎ、政務も楽しくなってきた。その頃には無表情だと思っていたオーロフの表情も、少しだけれど読めるように。
「オーロフ、最近顔色が優れないけれど……何かあった?」
「ヴァンフリード様のお気になさるような事ではありません」
「悲しいよ、オーロフ。私は君の事を有能な秘書官という前に、友人だと思っていたのに」
「有難きお言葉。ですが、高貴なお方が部下と対等というのもいかがなものかと」
「そうかな? 最初は明らかに、君の方が上から物を言っていたよね?」
「そうでしたか? 申し訳ございません」
「いや、別に、責めているわけじゃないんだ。忌憚の無い意見の方が助かるよ。だから、君の顔を最近曇らせている理由について聞かせて?」
本心から彼の窮状が知りたいと思った。もう二年も私の元で仕事をしてもらっているのだ。少しは親しくなれたと思っていたのは、私だけだったのだろうか?
「お心を煩わせてすみません。実は義理の妹が……もう、長くはないかと」
「何だって! それなのに、なぜ君はこんな所にいるんだ? 命令だ。今すぐ実家に戻って、妹さんの体調が回復するまで戻って来るな」
「はっ。殿下のお心遣いに感謝します」
すぐにオーロフは帰宅した。
彼の仕事は忙しく、城に泊まる事も多かったから。
身上書で確認したところ、オーロフの実父クリステル伯爵と今の伯爵夫人は再婚同士。幼なじみだと聞いている。今から十年ほど前、彼には5つ下の妹ができた。ただし身体が弱く、家から出る事はほとんど無かったという。
慌てていたオーロフ。彼が妹を大事にしているという噂は有名だ。それに、他の秘書官でも大丈夫だと判断したのだろう。どうやら私はいつの間にか、彼の容認する基準に達していたらしい。
普段冷静な彼があれだけ悩んでいたのだ。
悲しいけれど、直ぐにも訃報が届くかと思われた――が。
それからほどなくして城に戻って来た彼は、「妹が元気になりました」と部屋に入るなり私に報告してくれた。
「ヴァンフリード様の慈悲のお陰です。ですが、あのバカは知性も記憶も全て失くしてしまったようで……」
その時の彼の嬉しそうな顔を、私は忘れる事ができない。
「バカ」と、罵りながらも誇らしげな表情を。
ああ、もしかしたら二年前の私も、彼にこんな表情をさせていたのかもしれないな。優秀な彼からすれば、私も妹も同じように愚かに見えているのだろう。
私は彼の妹に勝手に親近感と同情を覚え、オーロフから紹介される日を少し期待して待っていた。
*****
いつまでたっても『夜会』はありきたりでつまらない。 自分がそろそろ決まった相手を見つけなければならないとわかってはいるものの、獲物を物色するような香水臭いあからさまな態度のご令嬢達から取り囲まれたのでは、どんどん気分も萎えてしまう。
秘書官のオーロフに愚痴を漏らしたところ、
「仕方が無いですね。休憩なさるなら少しだけですよ」
と、先ほど猶予を与えてもらった。
だからパーティーが始まって早々、そこに先客がいるだなんて思っていなかった。
目に飛び込んで来たのは、水色の髪。
自分の肘を枕に横になっている、見たことも無い女の子。
その娘は私をはっきり見たにも関わらず、緑の瞳につまらなさそうな色を浮かべたまま、一向に表情を変えない。
むしろ、迷惑そうな話しかけるなと言わんばかりの態度で、向きを変えて私を見もしない。
こんな娘は知らない。
オーロフ達秘書官から見せられた適齢期の令嬢達を集めた婚約者候補の絵姿、いわゆる『釣り書き』の中にもその存在は無かった。
自慢するわけでは無いが、成人してからこのかた女性にこれ程までに関心を持たれなかった事はなく、それが却って私の興味をかき立てた。
「ねえ、君、本当に私の事を知らないの?」
「……私もまだまだという事かな? 一応聞くけど君って貴族なんだよね?」
「可愛らしいし見ない顔だけど、今までどこに隠れていたの?」
あれ程面倒くさいと思っていたにも関わらず、私に全く興味がない彼女の事を知りたいと、気付けば自分の方から色々話しかけてしまっていた。
けれど王太子である私が散々話しかけ、褒め言葉まで言ったのに、水色の髪の女性は全く動揺しないどころか明らかにムッとした表情をした。
女性からこんな対応をされるのは初めてで、私自身もどうして良いのかわからない。
彼女が否定の言葉を口にしかけた時、頼りになるオーロフが入ってきて、彼女に目を留めた。
「……おや、リーナ。お前、こんな所で何を? いくら記憶が無いとはいえヴァンフリード様に失礼な態度をとってはいないだろうね」
彼に話しかけられた瞬間、彼女は激しく動揺し、次いで私の正体にようやく気付いたようで、明らかに先ほどとは異なる態度を取っていた。
ああ、この娘が。
彼女がオーロフ自慢の『おバカな妹さん』なんだね?
何者にも興味が無く動じないように見えた彼女が、兄のオーロフだけには頭が上がらないようで、慌てて焦る様子を見ているのはとても楽しかった。オーロフの厳しさを知る者として親近感を覚えていたから、彼女の気持ちもよくわかる。狼狽える様子が可愛くて、ますます構いたくなってきた。
「そうだな。じゃあ罰として、今日一日妹さんには私の横に張り付いてもらって、私の事を覚えてもらおうかな?」
こんなにうきうきするのは、久しぶりの事だ。
ねぇ、知ってる? 君はとっても面白い。
私が自分から女性に声をかけるなんて、今まで無かった事なんだよ?
「セリーナ嬢」
君の名を呼びその手を取った瞬間に、私の世界は少しだけ、色付いたような気がした。
サラサラの水色の髪も印象的な緑の瞳も、お兄さんに怒られて少しだけ赤くなったほおも、全てが新鮮で魅力的だ。
私に全く媚を売らない君。
そんな君の関心を私に向けさせるのは、久々の心が躍る挑戦だ。
遠慮なく大きなため息を吐いた君。
他の女性達とは全く違う君を連れて、私は笑いながら舞踏会の会場へと脚を向けた。