元ヤン、誘拐される
慣れないことを考え過ぎてしまったせいで、頭が痛くて疲れてしまった。
でもそれと、食べる事とは別問題! そういえば今日は朝からろくに食べていなかったせいか、すごくお腹も空いてきた。「私だけを見て」と今も注意されたばかりなのに、踊りながらついつい軽食の方に目がいってしまった。そんな私に気づいたヴァンフリードが、困ったように笑った。
「私とのダンスの最中に周りの方が気になるのは、きっと君ぐらいだね。本当に、どうすれば君は私の事だけを見てくれるのかな?」
なんと、ダンスの最中はよそ見も禁止だとは!
貴族のマナーは奥が深い……というか正直面倒くさい。
おそらく王太子の顔に今日のメニューでも書いてあれば、間違いなく私の目は彼に釘付けだろうけど。
ああでも冗談ではなく本当にお腹が空いてしまった。
この後は誰が何と言っても絶対に、食べ物を取りに行くことにしよう!
曲が終わり身体が離れた途端、王太子にモゴモゴと断って軽食コーナーに直行した。振り返れば彼はもう、別のお嬢様方や殿方に囲まれて見えなくなってしまっていた。続けて踊っちゃいけないし、さっきと合わせて全部で4回も踊ったからダンスは終了。この後はゆっくり食事タイムにしーようっと!
目下の問題はこの空腹を満たす事。
お皿を手に取り考える。
色とりどりの高級食材は目にするだけでも楽しいけれど、やっぱり食べてみなくっちゃわからないよね?
キャビアやスモークサーモンっぽいものが乗っかっているカナッペやとろけるチーズときのこ、トマトのタルティーヌ。近くにあるのはローストビーフやローストチキン、魚介のマリネ。食べやすいよう小さめのアップルパイやルパーブやフルーツがたっぷりのったガレットなんかも置いてある。光輝くきれいな色のテリーヌは三層にわかれていて、赤や黄色、緑のジュレが私を誘う。
お城の料理はどれもみんな美味しそうだし好き嫌いも無いからどれでも良いや! そう思って取ろうとした瞬間、後ろから声がかけられた。
「失礼ですが、クリステル伯爵令嬢セリーナ様?」
何で? 今とっても良い所なのに……。
「ええ、そうですが。私に何かご用ですか?」
渋々向き直って返事をする。
おのれ~~、食べ物の恨みは怖いぞ!
大した用事じゃなければ成敗してくれる。
「眼鏡をかけた方から、あなたを会場の外にお連れするようにと言付かりまして……」
髪を撫でつけきちんと正装した上品な感じの男性がそう話す。
きれいに盛り付けられたサーモンが、私に食べて欲しそうにこっちを見ているのに。後でも良いかな? 今の私すっごくお腹が空いているんだよね。
「急ぎの要件だそうです」
もう、誰! 私の食事の邪魔をする眼鏡をかけた人って!
モノクルをかけた兄?
それとももしかして……コレットさん?
そうか!!
その時突然、閃いた。
ラノベの『夜明けの薔薇~赤と青の輪舞曲』略して『アルロン』を読んでいるというコレットさんなら、もしかしたら誘拐事件の犯人の名前を既に知っているんじゃないのかな? そしたらこんなに大変な囮作業をしなくても、とっととそいつをとっ捕まえてさっさと吐かせれば良いだけの話。
ああ、何でこんな簡単な事に早く気付かなかったんだろう?
「ええっと、その方はどちらに?」
「ご案内しましょう。お先にどうぞ」
私は美味しそうなサーモンを泣く泣く諦め、おそらくコレットさんだと思われる人物に会うために大広間の外へと急いだ。呼びに来た男性が私の後を付いてくる。早く聞き出したら食べられる。囮の役目が終わって満腹になったら、舞踏会が終わるまでヤンデレ君の誰かに自分を売り込むのも良いかもしれない。
「こちらへ」
案内されたのは城の外だった。
あれ? 外は外でもさっきはただ会場の外って言ってなかったっけ?
何でこんな勝手口みたいな所から?
まあいいや。早く聞き出して用件を済ませてしまおう。
「コレットさん?」
呼びかけても返事がない。
それならもしかして、兄様かしら?
「兄様……」
そう言って呼びかけようと開いた口。
けれど、その声が誰かに届くことは無かった。
突然、一緒に来た男が冷たい布のようなものを押し当ててきたから。すぐ近くで動く2~3人の男の姿も見えたような気がする。
しまった……薬!?
木刀とか鉄パイプなら躱せたはずなのに――。
――……私の記憶は、そこで途切れてしまった。
*****
「……セリーナなのか?」
大きな衣装箱のようなものを積んだ不審な馬車が一台、城を後にした。家名を表すはずの紋章も上手く隠されているから、どこの手の者かもわからない。事前に打ち合わせた段取りに従って、信頼できる騎士の何名かに馬車の後を追わせた。
本当は心配でたまらない。
もしも運び出されたのがセリーナなら、全てを置いてすぐに追いかけていくものを――。報告はまだ上がってこない。王太子は……あいつはいったい何をしている? ずっと見ていると自信たっぷりに宣言したからこそ、あの場を任せていたのに。
ジュールは? ルチア様は無事なのか?
私の読みが正しければ、犯人はヴァンフリード様に最も近い存在を狙うはず。おそらく打撃を与えようとして。もしくは、縁組を妨害しようとして。犯人の大体の見当もついている。けれど、証拠がなければ捕縛し糾弾することはできない。そのために最愛の義妹を囮として差し出すことを了承してまで、今回の計画を立てた。一歩間違えれば元気な姿で戻って来ない可能性もある。そんな事には耐えられない。だから早く、犯人を捕まえないと!
「オーロフ様、会場から報告が。いなくなったのはセリーナ様で間違いないとのこと」
――やはりそうか。
覚悟をしていた事とはいえ、身を切られるように辛い。
すぐに馬車を追いかければ良かった。
後悔ばかりが先に立つ。
「ヴァンフリード様は? ご無事なのか?」
「はい。間もなくこちらに向かわれると思います」
「わかった。引き続き怪しい動きをする人物がいないか、警戒を頼む」
「はっっ」
護衛に頷き追い返す。
入れ替わるように王太子がやって来た。
銀色の髪を乱し心なしか青ざめた顔をしている。
「オーロフ、現状の報告を。どうなっている?」
「所属不明の馬車が一台、先ほど出て行きました。ジュールのところの騎士に後を追わせています。人物は確認できていません。セリーナはおそらく、大型の衣装箱に入れられて運び出されたものかと」
「そうか。それなら場所が特定でき次第、すぐに乗り込もう。会場は引き続き私の護衛が警戒している。先ほどテラスに二人でいた時、セリーナはベニータ嬢を見たと言った。父の側室の可能性と同時にリーガロッテ公も視野に入れて検討してみてくれ」
「かしこまりました。彼らが戻り次第、一刻も早く誘拐犯を特定致します」
例え相手が王の寵愛が厚かろうと格上だろうと容赦はしない。私からセリーナを奪ったその罪は重い。もし少しでも怪我をさせたら、生まれてきた事そのものを絶対に後悔させてやる!
「オーロフ、私は広間を長くは離れられない。すまないが、後を頼む」
沈痛な面持ちで王太子が言う。
そんなのは当たり前だ。今日は彼のための舞踏会なのだから。
けれど、この方が女性の事でこんなに辛そうな表情をするのを初めて見たような気がする。嫌な予感がする。もしやセリーナとの間に何かあったのか?
私のセリーナを本当の意味でこの手に取り戻さなければ、安心はできない。焦る気持ちを無理に押し込め、オーロフはただひたすら報告を待っていた――。




