私は知っている?
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「子供!」
焦ってガバッと飛び起きると、下腹部が引き攣れたように痛む。
「くぅぅ~、ぃたぃ~~~」
声にならない声を出し、自分のお腹に両腕を回した私は、肩でどうにか息をした。
「セリーナ! 急に動くんじゃない」
優しく抱き寄せられたため、硬い何かに頭が当たる。
――壁? それにしては、温かいような。
痛みが治まり見てみれば、壁だと思ったものは引き締まった腹筋だった。
この硬さ、嫌いじゃない。
……じゃ、なくて。
恐る恐る顔を上げると、薄青の瞳と目が合った。
がっちりした体格の黒髪の男性が、私を心配そうに見つめている。
……誰?
「セリーナ、無事で良かった。ずっと探していたんだ」
絞り出すような声と、細められた目。
頬がこけてはいるけれど、彫りの深い男らしい顔立ち。
ドキッとしたのは、彼が知らない人だから?
それとも、手をいきなり握られたからだろうか?
「セリーナ……」
その人は、流れるような自然な仕草で、私の手の甲に唇を寄せた。
私は慌てて手を引っこ抜く。
「セリーナ? でも……」
「マーレ! 気がついたんだね」
「母さん!」
老婦人が、男性の後ろから顔を出す。
彼女は私の母親代わり。「マーレ」と名付けてくれたのも、この女性だ。
黒髪の男性はなぜ、私を「セリーナ」と呼ぶのだろう?
「あんたが助かって良かったよ。お腹の子供も……」
老婦人が突然、声を詰まらせた。
私は愕然とする。
「そうだ、子供! 私の子供は?」
すると、体格の良い男性が身じろぎした。
「私達の子供は無事だ。もう少し遅ければ、危なかったらしい」
――もしかして、彼はお医者さん?
その割には立派な服を着ているし、私を呼び間違えてるし。腰に剣を下げているから、医師と言うより剣士みたい。
「ふう、良かったぁ……って、私達?」
「ああ。君のお腹には子供がいる。父親は、もちろん私だ」
「なっ……」
――なんですと!?
あまりのことに言葉を失い、限界まで目を開く。
傍らの男性はそんな私を見下ろして、嬉しそうに笑う。
――たくましくって整った顔のこの人が、お腹の子の父親? 本当に?
確かに理想のタイプではあるけれど、全然記憶にない。上品な彼には、がさつな私よりもお姫様の方が似合いそう。
「ええっと……」
目で助けを求めると、いつの間に現れたのか、父親代わりの漁師が口を開く。
「わしも驚いた。まさかマーレ、いや、セリーナ様がお貴族様だったとは」
「お貴族様ぁ!? ……くっ」
大声を出したせいなのか、またもやお腹が痛む。
私は前屈みになって、痛みを堪えようとする。
「セリーナ、無理をするな」
ポンポンと私の頭を叩く大きな手と、響く低い声。
もう少しで何かが浮かびそうなのに、記憶はするりと逃げていく。
「医師の診察によると、当分安静が必要とのことだ。早急に連れて帰りたかったが、諦めよう。引き続き、ここで養生してくれ」
「そうだよ、マーレ……じゃなかった、セリーナ様。いくらでも、ここにいていいよ……ください」
老婦人の言葉が変だ。
輪をかけて変なのが、この男性の態度。
他人の家にいるくせに、どうしてこんなに偉そうなのだろう?
「セリーナ、どうした? 元気がないが、まだ痛むのか?」
黒髪の男性が、心配そうに顔を歪めた。
痛みはすでに消えている。
気になったのは、別のこと。
以前の自分は、貴族っぽいこの男性と関わりがあるらしい。
「探していた」と言われたから、私は自らの意思で逃げ出したようだ。
この人とケンカでもしたのかな?
そもそも平民の私が、高価な服を着た男性とどうやって知り合ったんだろう?
家政婦だった覚えはないし、愛人なんてもっとピンとこない。
いや、それよりも何よりも――。
「あのう……私、セリーナと言うんですか? 良かったら、あなたのお名前も教えてください」
「何っ!?」
今度はその男性が、目を大きく見開いた。
「すんません。マーレ……セリーナ様の記憶がない、と伝えていませんでした」
「そうです。気が動転して、肝心なことを忘れておりました」
漁師夫婦が体格のいい男性――グイードというらしい、に平謝り。
私のせいで、申し訳ない。
「いや。ところどころ会話がかみ合わなかったことに気づかなかった、私が悪い。どうか顔を上げてくれ」
おや? この人、意外にいい人?
「騎士様、すんません」
年老いた漁師は、恐縮した様子。
グイードという名の男性が、彼と同じような黒い服を着た人達を従えているからだろうか?
一方私は、気もそぞろ。
呼び戻された医師の診察を受けているのに、集中できない。
「この村に来たきっかけも、それまでのことも全く覚えていないんですね?」
「はい? ええっと……そうです。気づいた時には、ここにいました」
自分がどこの誰かもわからずに、高熱でうなされた日々。そんな私を看病し支えてくれたのが、気のいい老夫婦。
だから、これ以上二人に謝らせるのはやめてほしい。
「ちょっと! グイード様、もういいでしょう?」
声をかけた途端、長身の男性が振り向いた。
ついドキッとしたのは、彼がすがるような目をしたせいだ。
「セリーナ、思い出したのか?」
「違います! さっき名前を教えてくれたでしょう? それより、二人は私の恩人です。解放してください」
「すまない。責めたわけではないのだが……」
唇を噛み、悔やむ彼の姿は珍しい。
――ん? 珍しい?
「セリーナを助けてくれたから、もちろん相応の礼はする。話を聞こうとしただけで、美しい君の心を痛めるつもりはなかった。すまない」
言いたいことはわかるけど、「美しい」って要らなくね?
こんな時にも褒め言葉を挟むとは、さすがは……。
――さすがは……何?
グイードの視線が気になった。
淡い青は、私だけを見つめている。
彼が接近した途端、胸の鼓動が音を立てて走り出す。
「グイー……ド……さ……ま?」
「セリーナ」
私はこの声を、この人を知っている?