母は強し
「だったらもっと、強くならなくちゃ。私は一人じゃないもんね」
母親代わりの老婦人に「妊娠中」と告げられたのは、つい昨日のこと。自分でも不思議なくらい、すんなり受け入れた。
私はお腹を見下ろして、そっと手を当てる。
「なんでかな? 本当に子供がいるって感じる。自分のことも思い出せないのに、変なの」
ふと、頭の中にある映像が浮かぶ。
それは茶色い髪の男性で、彼の背中に向かって、小さな女の子が泣きじゃくっている。
『行かないで! 捨てないで、お願い』
悲痛な声を聞くだけで、胸が痛くなる。
「なんとなくだけど……あの子は私?」
どうしてそう考えたのかはわからないが、当たっている気がする。
「変な恰好だし、まだ子供なのにね。後ろ姿の男性は大人で、変な服を着ていた」
その男性が、お腹の子の父親だとは思えない。
だったら今のはなんだろう?
考えれば考えるほど、混乱してしまう。
私の相手はどこ?
今頃どうしている?
「……ダメだ。な~んにも浮かばない」
優しい漁師夫婦は「無理しないで」と体調を気遣ってくれる。
でも私は、家でじっとしているより外で身体を動かす方が好き。
「とりあえず、洗濯ものを干そうかな。潮風に当たれば、気分転換にもなるし」
洗濯ものの入った籠を抱えて庭に出た。
見上げた空には、今日も大きなカラスが群れをなしている。
「カラスにしては、やけに大きい……違う、あれは飛竜だ!」
光を受けて輝く鱗と、青空を悠々と飛ぶ姿。
それは紛れもなく、飛竜のものだ。
一瞬、胸が締め付けられたように痛む。
「痛たたたた……何これ?」
最後尾の飛竜をとにもかくにも呼び止めようと、空に向かって手を振った。
「おーーい、おーーい」
当たり前だが無視された。
あっさり通過されてしまう。
「待てよ? 今なんで声をかけたのかな? 用もないのに……」
自分で自分がわからない。
興味本位で飛竜騎士を呼びとめるとは、大迷惑だ。
「あれ? 飛竜騎士って? 飛竜の上に人がいるって、どうしてそう思ったんだ?」
空に向かって伸ばした手と、高鳴る鼓動。
焦がれるような感覚は、何を意味しているのだろう?
「もしかして私、飛竜騎士に憧れてた? ……痛っ」
突然、お腹に激痛が走る。
興奮したせいなのか、伸び上がったせいなのか。
鋭い痛みに耐えきれず、その場にしゃがむ。
「くぅ……こんな時に限って……」
父親代わりの老人は、漁に出ている。
母親代わりの老婦人は、婦人会の会合中。
この家には今、私一人だ。
「いや、一人ぼっちじゃない。この子がいる……ううっ」
このままだとダメになる?
せっかく授かった命を、失うのは嫌だ!
「ぐぎぎぎ……」
痛むお腹に片手を当てた。
額に汗をかきながら、もう一方の手で地面を這っていく。
生きてさえくれればいい。
父親がわからなくてもいい。
その分、私が愛情をたっぷり注ぐから。
だからお願い!
私を置いていかないで!!
「あと少し。……ハア、ハア。ゆっくり進めば……きっと、大丈――ぐうっ」
家まであと少し。
なのに激しい痛みに耐えきれず、目の前が霞んでしまう。
「ダ……メ。私は子供を……捨てたり、なんか、しない。しっかりしなきゃ、ダメ……なの……に……」
右手が虚しく空をかき、口の中に土の味が広がった。
そのまま意識が遠のいていく。
*****
「…………ナ。セリーナ!!」
焦ったような低音が、耳元で聞こえた。
だけどかなりしんどくて、瞼を開けられない。
「セリーナ、頼む。目を開けてくれ!」
知らない名前が聞こえた後で、ふわっと身体が浮き上がる。
低い声のこの人は、セリーナという人に私を運ばせているのかな?
「この村に医者は? 早急に探し出してくれ」
「はっ」
違う。間近で声が聞こえたから、この人がセリーナに命じているらしい。
テキパキしゃべる声と、バタバタと走り回る足音。
この村にこんなに人がいるなんて、何があったのだろう?
大勢の中で気になったのはただ一つ。
朦朧とする意識の中、私は自分を抱えた低い声の人物に手を伸ばす。
「う…………」
「良かった。気がついたようだな」
その直後、額に柔らかいものが触れた。
涙が出るほど嬉しくて、苦しいほどに切なくて。
たくましい身体に包まれて、なぜだかとっても安心する。
――馴染みのある感触。……ねえ、あなたは誰?
「ううっ……」
再び襲ってきた痛みに、疑問は全部吹っ飛んだ。
「セリーナ!」
それって私?
違う、私はマーレだよ。
セリーナって誰のこと?
歯を食いしばって耐えているので、口が開けない。
「ぐっ……」
「……様、とりあえず中へ」
「わかった。必ず助けるから、もう少し頑張ってくれ」
なんでだろう?
切羽詰まった声だけど、この人は信じられる気がする。
「ぐうっ」
「セリーナ!」
つらい痛みを逃そうと、私は全身の力を抜くことにした。
手がだらんと下に落ち、またもや意識が遠ざかる。
「セリーナ! そんな、セリー……」
声がどんどん小さくなった。
気づいた時には、痛みも何も感じられない場所へ。
あなたは誰?
それと、セリーナって誰だろう?
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