飛竜に乗って
「あれだけモッテモテな人が、私を選ぶとは思えない。やっぱ無理だよね」
考えながら、自宅の庭を行ったり来たりする。突然辺りに影が差し、不思議に思って空を見上げた。なんと翼のようなものが、太陽を覆っている。
「あれは……飛竜?」
黒い飛竜が上空で大きく旋回し、我が家の近くに降下する。直接見たいと考えて、私は走り出す。
「お嬢様、勝手に行かれてはなりません。お嬢様!」
侍女の制止を振り切り、正門の方角へ。
誘拐の時はお腹が空いて意識も朦朧としていたため、せっかくの機会を逃してしまった。日頃から義兄に内緒で庭を走り回っているので、体力には自信がある。
門を開けて外に走り出たら、そこに巨大な黒い飛竜がいた。
「うわあぁぁ、すっげぇ!」
感動のあまり、思わず叫ぶ。
さっきまで落ち込んでいたのが嘘のように、嬉しくなった。
飛竜の目は赤く、真ん中が黒くて昼間のせいか今は細くなっている。きちんと躾けられているらしく、恐る恐る近づく私を見てもまったく動かない。
「やあ、セリーナ」
「グイード様!」
乗っていたのは、グイード。
黒の軽量鎧を着こなして、今日も大人の魅力が全開だ。彼は飛竜の背から飛び降りて、私の前に立つ。
「ちょうど屋敷が見えたから、寄ってみた。美しい君が出迎えてくれるなら、もっと早く来るんだったな」
グイードは、さも当然のように褒め言葉を挟む。
だから、ご婦人方が列を作るのかな?
お世辞だとわかっていても、褒められれば悪い気はしない。君が大事だと、言われているようで――。
ここで飛竜と、好きな人に会えるとは思っていなかった。私は熱く火照った頬を伏せ、懸命に言葉を探す。
「お上手ですね。私の方こそ、お会いできて嬉しいです」
これくらいならセーフだろう。
ただでさえグイードはいろんな女性と噂がある。こういったセリフは、言われ慣れているはずだ。
「セリーナ……」
なのにグイードは目を丸くして、驚いている。
…………あれ?
「私に? それともグラン?」
グランというのが、この飛竜の名前らしい。
グイードの端整な顔を直視できず、私は大きな飛竜に目を向けた。
「グランっていうんですね! カッコいいし素敵です!」
「私じゃなくて残念だ。グランに嫉妬してしまうな」
こんな時、気の利いたセリフの一つでも返せれば、大人の会話が成立するのだろう。だけどグイードは「カッコいい」という言葉など、きっと聞き飽きている。それに私も、その他大勢の仲間入りをするつもりはなかった。
本心を隠そうと、へらりと笑う。
するとグイードが、黒髪をかき上げた。
「笑顔の君には、誰も逆らえないな。飛竜が気になるなら、どうぞ。顔は危ないから、首を触ってあげるといい」
――本当に気になるのは、飛竜ではなくあなた。
もちろんこんなところで、本音を暴露するわけにはいかない。
グランと呼ばれた黒い飛竜は、私の気持ちがわかっているのか知らんぷり。
でもいいの、触れるだけで。
グイードが私の手を握って飛竜の首に導いてくれたから、それだけでドキドキする。
飛竜の手触りは、トカゲか蛇みたいな爬虫類と同じだと思っていたら、全然違う。ガチガチに堅いウロコは、一枚一枚がとても大きい。安定感もあり、背中に鞍のようなものを付けて、座れるようにもなっている。
「すごく立派です。さすがはグイード様の飛竜ですね!」
「ありがとう。私への褒め言葉として受け取っておくよ」
相棒を褒められて、グイードは嬉しそう。
あら? でも……。
「お仕事中だったのでは? 国境沿いの件は片付いたんですか?」
「もちろん。この後は自由だ。良かったら乗ってみる? この辺をぐるっと回ってみよう」
それはすっごく楽しみだ。
でも、勝手に家を離れるのはちょっと……。
そう思っていたら、侍女がタイミング良く護衛を連れて来た。
「お……お嬢……様……この……方は?」
走って来たせいで、肩で息をしている。
「飛竜騎士団の団長で、ついでに王弟のグイード様よ」
「ついで、とはひどいな」
グイードが口に手を当て面白そうに笑う。片や侍女と護衛は慌てて深くお辞儀をする。
ああ、そうか。
王族相手はこれが正しい挨拶なのね?
今までの私、本当にダメダメだった。
「セリーナ、どうした? 浮かない顔をして」
グイードのかすれた声が耳に響く。
その声音一つで、胸が弾む。
「ええっと……別に何も。それよりリリア。ちょっと外出してくるから、後はよろしくね」
「外出、ですか? 未婚の女性が、伴も連れずにいけません!」
「かたいこと言わなくても……」
「それなら、わ……私もお連れ下さい」
でもリリア、思いっきり怖がっているよね?
「悪いね、二人乗りなんだ」
グイードもここぞとばかりに加勢する。
だけど誘拐事件の際は、三人乗りだったような……。
「旦那様や奥様、オーロフ様の許可が出ません!」
義兄の名前が出た途端、ビクッとなった。
私、どんだけ義兄が怖いんだ?
「大丈夫。リリア達が黙ってくれればバレないって」
私達のやり取りを聞いていたグイードが、口を開く。
「暗くなる前に帰すと約束しよう。セリーナ嬢に何かあれば、全責任は私が取る」
何かあればって――。
墜落するとか着陸先で迷子になるとか?
だ、大丈夫、なんだよね?
王弟様には逆らえないのか、結局それ以上何も言われなかった。
グイードに手を貸してもらい、鞍の上に跨がった。本来ならお上品に横座りが正解だけど、それだと気が張り楽しめない。どうせ下にかぼちゃパンツみたいなもの……ドロワーズだっけ? を履いてるし。
グイードがしっかり背中を支えてくれるから、安定感も抜群だ。彼の合図で黒い翼を羽ばたかせ、飛竜のグランは空へ舞い上がる。
「す、すごい! 最高!!」
樹々や邸宅があっという間に小さくなった。カーペットの模様のような赤や黄、緑といった色とりどりの畑が眼下に拡がる。山や川も小さくて、まるでおもちゃだ。
飛竜のスピードはバイクを飛ばしていた時よりずっと速く、気分がスカッとする。
「怖くないか?」
「まさか! ずーっと乗っていたいくらい」
興奮して、ニコニコしながら振り向いた。グイードの顔には笑みが浮かび、淡い青の瞳も煌めいている。彼に見惚れていた自分に気づき、私は慌てて前を向く。
「そう。だったらこのまま、君を攫って行こうかな」
耳元に直接囁かれたため、思わずビクッとしてしまう。ただの冗談が、愛の言葉っぽく聞こえるなんて……。
「喜んで」は、なんか違う。こんな時、なんて返せばいいのだろう?
「まったまた~。グイード様ったら」
大きな声で、照れ隠し。
恋愛経験ゼロとはいえ、冗談を本気にするほどバカじゃない。
会えばいつも、優しい言葉をかけてくれるグイード。たとえひとときでも、彼と一緒にいられるなんて幸せだ。
大好きな人とともに、空を駆ける私。
空の青はグイードの瞳の色に似ているな、と考えて、一層嬉しくなった。