公爵令嬢 ベニータ
「何よ、何なの、あの女! 後から出て来たくせに、何ちゃっかりヴァンフリード様の隣に収まっちゃってるの!」
「まあまあ、ベニータ様。落ち着かれませ。あまり大声を出されますと部屋の外まで聞こえてしまいますわ」
「はあぁぁぁ? 侍女ごときがこのわたくしに意見するわけ? お前、いつからそんなにエラくなったのかしら?」
「も……申し訳ございません! どうか、どうかお慈悲を。お許し下さいませ」
ルチアの部屋を退室し、戻って来た城の控え室。
屋敷から連れて来た侍女が勝手に口を開いた上、批判めいた事まで言ってきた。注意するとようやく間違いに気付いたようで、わたくしの足下に土下座する。
……フン! 身分の低いゴミが!
よりによって高貴なわたくしに勝手に話しかけて、賢しい口をきこうとするだなんて!!
まあいいわ。
今の所は軽い罰だけにしてあげる。
これは教育。下賤な者が高貴な者に逆らうだなんて許されないのよ?
わたくしの許しも無く勝手に口を開いた侍女。
その床についたままのの手を、靴でギリギリ踏みつけた。
ああ、そう。今度は何も言えないの。
痛いのに怯えて声も出ないその様子ったら哀れ過ぎて笑えるわ!! お前達にわたくしの苦労の何がわかるの?
「二度目は無いわよ。これに懲りたら、二度とわたくしに生意気な口をきかないことね」
口うるさい侍女が何度も頭を下げ、慌てて退室した。まあ、いいわ。あの女のせいで気分が悪いにも関わらず、この程度で済ませてやった私は本当に心が広いわね。
それにしても、あの女……セリーナとか言ったっけ? フン、ダサい名前。大人しそうな顔して私のヴァンに取り入った、下劣なあの女をこれからどうしてくれよう。
生まれながらに高貴な身分のわたくしは、成人したら当然王太子妃に、いずれは王妃に収まるものと思われて育ってきた。そのため付き合う友達や食べ物も制限され、厳しい教育だって受けてきたのだ。マナーや作法は完璧で、教養も高く会話だって洗練されている。
赤い髪にルビー色の瞳という派手な外見のせいで苦労したから、おとなしくおっとり上品に振る舞う術を身につけた。いつ王家に入ってもおかしくないよう、小賢しい王女とだって仲良くしてやったのに。
高い身分と教養、完璧なマナーと容姿のおかげで16になり成人してからは、パーティーへの招待やダンスの誘い、婚約の申し込みなどが引きも切らない。
なのになぜ、肝心の王太子がいつまでたっても私に求婚して来ないの?
奥手なのかと思ったけれど、遊んでいるとの噂もある。男好きかと疑ったけれど、ルチアに鼻で笑われた。それなら何で? 『ラズオルの赤薔薇』と謳われた私の魅力に、なぜ落ちないの?
せっかくブラコン妹の前で、理解ある良き友人を長年演じてやってるのに! 彼女が兄の周囲の女性を極端に嫌がるから、おとなしく振舞ってもいる。
それなのに、顔だけの腹黒女に身体を使って籠絡されて、横からかっさらわれてしまうだなんて!!
まあ王太子にしてみれば、いつもの如く遊びなのかもしれないわね? 100歩譲って側室に迎え入れる気なんだとしても、後から潰せば良い事だわ!
でも、間を置かずに城に来ているわたくしを無視して、あんな女を大切にして構ってやってるだなんて。
……やっぱり気にくわないから、早めに排除しておこう。大した事のない伯爵家の娘だったかしら? それならお父様に言って、何とかしてもらえば良い。
身分も知性も無い女が、気軽に王太子に近付いて良いはずがない。ヴァンフリードもきっと彼女の大人しそうな外見に騙されているだけで、目が覚めれば絶対にわたくしを選ぶはず! あの女の本性はきっと最悪で、品性のカケラもないに違いない。
それに――。
先ほどのあの余裕ぶった発言は何なの?
『お二人ともお兄様って呼んでいらっしゃるのですね? こんなに可愛らしい方に慕われて、王太子様も幸せですこと』
それって何よ! 自分は違うって言いたいわけ?
わたくし達にとっては兄でも、私は違うわよってそう言いたいわけ?
伯爵程度の貴族の娘が公爵令嬢のこの私に喧嘩を売るだなんて、良い度胸をしているわよね?
だからわざと確認してみた。
『懇ろな関係』だなんて恥ずかしい言葉をわざわざ言ってやったの、このわたくしが! なのにあっさり認めたばかりか、ルチアに確認までしていたあざとさ。
「あの夜から」だなんてわざわざ明言しなくても、意味はわかっているでしょうに。本当に、なんて下品な女なの!
こんな事なら大人しいフリなんかしてないで、さっさと王太子を手に入れておくんだったわ! 友達のいない孤独なルチアに合わせたせいで、随分時間を無駄にしてしまった。
生まれながらの王族で、ぬるま湯に浸かっているだけの彼らには、わたくしの努力はわからない。王城内は駆け引きが全て。もう、大人しくしてなんかいられない。
でも、そうね。先ずは身の程知らずのあの女を潰す所から始めましょうか? 罠にかけたつもりの王太子の目の前で、恥をかかされ困る姿。そんな彼女を見るのはきっと楽しい事でしょう。それとも、彼を寝取られた方が効果的かしら?
久々に高揚し、わたくしは紅い唇の端を舐めた。
*****
「リーガロッテ公爵令嬢ベニータ様、一体どちらへ?」
「あら? あなたはええっと……」
「王太子付き秘書官のオーロフと申します。こちらにご用事でしたか? 部屋の主は不在ですが……。王城内とはいえ高貴な女性がお一人でいらっしゃるのはおかしいですね? よろしければ目的の場所までお供をさせていただきましょうか」
あら、よく見ればイイ男じゃない? しかも、ヴァンフリードの秘書官だと自ら名乗った。間違えたフリして王太子の部屋に潜り込もうかと思っていたけど、彼を押さえておけば王太子の予定はわたくしに筒抜けだわね。今後何かと便利かも。
わたくしの記憶に無いから、彼はきっと侯爵以下。普段なら相手にしない存在だけど、あの女を追い落とす為なら仕方が無い。真面目そうだし、少しなら遊んであげても良いかしら。
「助かりますわ。ルチア様のお部屋から馬車に戻る途中で、意地悪をされて迷ってしまいました」
「……そうですか」
「……」
「……」
おかしいわ! 会話が全く続かない!
普通ならここで「誰に? 」とか「それはお辛かったでしょう」って続くはずよ? しかもあなた、わたくしの名前を知っていたわよね? 気があるのにわざと冷たくして、わたくしの気を引こうとしているの?
「あの……」
「何か?」
変化の無い表情は取り付く島も無く、冷たい金色の瞳も何を考えているのかわからない。年上のこの男を言いなりにするのは、案外手こずるかもしれないわね。
「いえ。でも、わたくしに意地悪をしたセリーナ様……あ、わたくしったら。ヴァンフリード様の愛妾になる予定の方のお名前を、うっかり出してしまうだなんて」
もちろん、わざと。
知っているならこの秘書官も必ず反応するはずよ。
「今、何と?」
ほらね? ようやく顔色が変わったわ!
彼女の悪口を色々吹き込んでおけば、秘書官も悪い印象を持つ。これからはきっと、あの女を王太子に近付けまいと警戒するはずよ。
「いえ、これ以上はお許し下さい。王太子様の愛する方を悪く言いたくありませんの……」
「ほぉ……どうして愛する方だとお思いに?」
やっぱり食いついてきた!
同情を買うような儚げな印象は、わたくしの特訓の賜物だもの。
「どうしてって……。先ほどセリーナ様ご自信が堂々と自慢なさっていらっしゃいましたわ。『私とヴァンは懇ろな関係だから手を出さないで』って。あんな下品な方が王太子様のお相手だなんてとても信じられませんけれど……」
どぉ? 少し脚色したけれど、言いたい事は伝わったはずよ。
悲しそうにまつげを伏せ、わざと少し震わせた。
こうすれば、あなたもきっとわたくしを慰めようとする。
「そうですね、信じられません。あのバカが、そんな難しい事を言い出すなんて……」
「え? バカ? あの、それってどういう……」
「失礼、ベニータ嬢。緊急の要件を思い出しましたので私はこの辺で。あと少しで出口ですので気をつけてお帰り下さい」
言うなり端正な顔立ちのその男は、足早に立ち去る。その姿を、わたくしはただあっけに取られて見送った。
キーーッ!! 何なのこの扱いは!
全くどいつもこいつも。
わたくしを蔑ろにして許されると思っているわけ?
気に入らないわ。わたくしの周りの全てが気に入らない!
こんな日は早く屋敷に戻って憂さ晴らしをしなくっちゃ。
さあ、どうしてくれようか?