君は僕のもの
「ジュール様……」
呟いて、自分から彼の胸に顔を寄せる。ジュールは喉の奥で笑うと、私の髪を優しく撫でてくれた。
こうしていると、三ヶ月も意識が失かったなんて嘘みたい。全身がだるくて動けないのは、以前も経験したことだ。
この世界に来たばかりの頃――セリーナとなった私は、ベッドから起き上がるのさえしんどかった。あの時と状況は同じでも、今はここで生き抜く術を知っている。だから大好きなこの世界で、私らしく楽しく過ごしていこう。
「セリーナ、痛いところはない? 医者を呼んで、明日には診察してもらおうね」
さっきより身体が動くようになったので、ゆっくり首を縦に振る。医者を呼ぶ前にもう少しだけ――彼に甘えたい。
「セリーナ、そんなふうにくっつかれたら……。さっき、僕が言ったことを覚えている?」
「もちろんです」
愛の告白なら、そう簡単に忘れはしない。
私ももちろん彼が好き。
「それならいいのかな? 『君の心が戻るまで、手は出さない』って言ったけど」
「あれ、そっち?」
「そっちって? ……ああ。当然愛しているよ。だからこそ君の心が戻った今、遠慮はしない」
「……えっ!? だ、だけど私は病み上がりで、婚約だってまだで……」
もしや私、ジュールとこのまま?
彼は低く笑って片目を瞑る。
「愛する君を傷つけまいと、これでもかなり我慢をしているんだ。君に嫌われたくないしね」
ジュールが私のおでこに唇を押し当てた。
途端に顔が熱くなり、どぎまぎしてしまう。
でも待って。彼のことは好きだけど、結婚前の、しかも婚約もまだの男女が深い仲になるというのは、さすがにいただけない。
私は決意を込めて、彼を押し戻す。
ジュールはあっさり身を引くと、医者を呼ぼうと部屋を出て行く――かと思いきや、戸口で振り向き歌うように口にする。
「それからセリーナ。君と僕はとっくに婚約しているよ。体力が戻り次第、式を挙げようね」
「はい。わかりまし……って、ええぇぇぇ!?」
海辺の古城に、私の絶叫が響き渡った。
「信じられないほどお元気で、ようございました。ご領主様の嘆きは、相当なものでしたから」
翌日の午後。診察が済んだ私は、詰めていた息を吐く。「この調子なら、明日にはベッドを出てもいい」と、医者にお墨付きをいただいたからだ。けれど一つだけ、疑問を感じたことがある。
「ご領主様?」
領主様って言われても、お会いした覚えはないんだけど……。
「カロミス様……」
医者が困惑したように横を向くと、ジュールは片手で口を覆う。
「地位や財産に興味のない、得がたい人なんだ。彼女には僕から話すよ。駆けつけてくれて、ありがとう」
「恐縮です」
ジュールはそう言って、医者を階下まで見送った。
部屋に戻ると、ベッド脇の椅子に腰かける。
「さて、と。セリーナは僕のことをどこまで知っている?」
「どこまで? えっと、強く優しくカッコ良く、頭も良くて笑うと可愛い。あと、器用で掃除もできて、お料理も美味しくて……」
「褒めてくれてありがとう。でもそうじゃなくって、肩書きのこと」
「肩書き? ……あ。近衛騎士団の副団長で、王立学院では義兄と同期ですよね。それと……侯爵家のご次男?」
「まあまあだね。財産については?」
なんだろう。急に尋問するなんて、どうして?
「財産……近衛騎士のお給金と、このお城でしょう? あとは、この前買った高価な腕輪!」
張り切って答えた。
ともに暮らしてわかったけれど、ジュールは贅沢をしない。騎士団でも寮に入っていたし、自炊もできる。もしかして、お金がないのを気にしているのかな?
婚約用に高い腕輪を買ったので、あれは相当な出費だったはず。この城も、きっと維持費がかかるだろう。財産なんてなくっても、私は大丈夫。彼とならどこにいたって生きて行く自信がある。
「あの……私も働きましょうか?」
「働く? 何か誤解があるようだね。まあ、そういうところも好きだけど」
ジュールがにっこり微笑んだ。
好きって言われて嬉しいけれど、誤解ってなんだろう?
「セリーナ、君の家に僕が挨拶に行った日のことを覚えている?」
「挨拶? 買い物の誘い……と見せかけて、実は父と話していた日のことですか?」
「見せかけて、とはひどいな。僕は本気で君を手に入れたいと考えた。あの時すでに、恋に落ちていたんだと思う」
頬がにやけて緩まないよう、私はとっさに両手を当てる。
「僕はこう告げた。『家督は兄が継ぎますが、領地の一部と屋敷、鉱山の権利を保有しています』とね」
「屋敷って、ここですよね?」
「ああ。今まで伏せていたけれど、僕は父から子爵位を、兄からこの屋敷と付随する土地を譲渡されている。この辺一帯は僕のもの。つまり、領主とは僕のことだ」
「そうですか…………って、はあぁ!?」
「管理の者は家令だよ。君は、管理人と勘違いしていたけどね。普段は彼が取り仕切るが、僕らがいる間は村から通っている。今のところ、領地の経営は順調だ」
突然のことで頭がついていかない。
ジュールが偉いっていうのは、なんとなくわかった。
「質問してもいいですか?」
「いいよ。なんでも聞いて」
「順調とおっしゃられても、この辺に特産品があるようには見えないのですが……」
「村の奥に鉱山がある。その山では、金や銀、白金などがよく見つかるな」
「白金……あれ? それってまさか、プラチナでは!?」
「そう。この前行った宝石店の店主とは、元々知り合いだ」
「あの高級店!」
彼の口から真実が明かされるにつれ、どんどん血の気が引いていく。お金がないなんてとんでもない。ジュールは、とんでもなくお金持ちだ!
「わわ、私、お金目当てではありませんので……」
「知っている。会うなり僕の強さを見抜いたり、宝石や貴金属より武器で喜んだりする令嬢は、僕も初めてだからね」
――そりゃあ、まあ。お金持ちより強い人が好きなので。
「前にも言ったと思うが、僕は君を試すような真似をした。ここで暮らしていけるのか、地位や財産ではなく僕自身を見てくれるのか、と」
「肩書きやお金には、興味がありません!」
「わかっている。だからこそ僕は、ますます君に惹かれた。婚姻後、セリーナは領主夫人となる。多くをこの地で過ごすことになるけれど……それでも構わない?」
「もちろん! 留守中のお掃除は任せてください」
王都で近衛騎士という立派なお仕事があるジュール。留守がちな分、私が頑張ろう。
胸を張って答えたのに、彼は苦笑する。
「いや、もう掃除はしなくていい。使用人をわざと引き上げさせたが、そろそろ呼び戻そう。快適に暮らすため、家の中にも手を入れよう」
「そう……ですか」
もしかして、領主の奥さんってすっごく暇?
退屈しないで暮らせるかどうか、観察してたってこと?
眉根を寄せて悩んでいたら、ジュールがクスクス笑う。
「セリーナは顔に出るから、わかりやすいね。そうだな、領主夫人の仕事は大変だ。使用人をまとめたり、僕が不在中の管理をしたり。あと、客人をもてなしたりもするけれど……。それは僕が嫌だから、全員追い返していいよ」
「……はあ!?」
「君は僕のもので、他の誰かと分け合う気はない。それだけは覚えておいてね」
「ジュール様……」
ジュールの強い意志が感じられた。だったら私も、彼に言っておこう。
「それならジュール様だって、私のものですよ。離れていても、浮気はしないでくださいね」
――近衛騎士はモテるから、これくらいいいよね?
目を丸くしたジュールが、私に頬をすり寄せる。
「なんて可愛いんだ! 君をこんなに愛する僕が、浮気なんてするはずないだろう? 頼まれたって嫌だよ」
ホッと息を吐く私の耳に、ジュールが囁く。
「領主夫人には、もう一つ大事な仕事がある。今から教えてあげるけど……なんだと思う?」
『転生したら武闘派令嬢!?〜恋しなきゃ死んじゃうなんて無理ゲーです』(双葉社)書籍版1&2巻は、これとは異なるヤンデレ系乙女ゲームの話です(イラストは双葉はづき先生)。
9/15発売のコミック版は、書籍を元にしています(⌒▽⌒)