愛していると言いたくて
いつもありがとうございます。
ジュール視点、ラストです(・∀・)。
「リーナを王都に移送する!」
大声で喚くオーロフを、医者が必死にとめている。
「セリーナ様は、頭の中が傷ついているかもしれません。その場合、長時間馬車に揺られるだけでも命取りになります」
オーロフの顔がみるみる青ざめた。
彼は腫れ上がった僕の顔を睨みつけると、地を這うような声を出す。
「ジュール。リーナを奪っておきながら、こんな姿にしたお前を私は許さない」
憎まれることで彼女が元に戻るなら、僕はいくら憎まれてもいい。でも、現実は……。
「もっと詳しい医者を連れてくる必要があるな」
すぐ横でムッとする医者を気にするでもなく、オーロフが毒づく。彼はセリーナの髪を撫でると、名残惜しそうに自分の身体を引き剥がす。
「いいか、ジュール。こんな状態のリーナに手を出せば、今度こそお前を……」
「ないよ。世話はするけど、そんなことは考えていない。第一、僕にそんな資格があるとは思えないし、彼女の同意も得ていない」
「……む。わかっているなら、いいんだ。だが、お前を許したわけではないからな」
*****
慌ただしく立ち去ったオーロフが、ここに戻ってくることはなかった。南で大規模な森林火災が発生したというから、対応に追われているのだろう。
彼がいないおかげで、セリーナとの平穏な日々が続いている。
日常は嬉しくもあり悲しくもあった。
僕だけがセリーナを独占できると思う一方で、いくら話しかけても反応のない君に、時々胸が痛くなるのだ。
くるくる変わる表情の素直なセリーナ。
料理が上手くできたと、得意げな君。
とりとめのない僕の話を、楽しそうに聞いてくれる君。
カード遊びで子供のようにはしゃぐかと思えば、しかめっ面で考え込む。
「どうして君はこんなに可愛いんだろう。今すぐ食べてしまいたい」。そう言った僕に、「ええっ!? 本当に食べる気?」と、目をまん丸にして慌てたこともあったね。
君のいた風景はいつでも目に浮かぶのに、肝心の君がまだ目を覚まさない。
ベッド脇の椅子に腰かけた僕は、セリーナの髪に手を滑らせた。以前の君ならこんな時、くすぐったいと首をすくめたり、恥ずかしそうに頬を染めたり、気持ちよさそうに目を閉じて、笑みを浮かべただろう。
艶のある水色の髪や長いまつげ、絹のように滑らかな白磁の肌、全てが以前のままなのに。ここにない君の心は、今どこを彷徨っているの?
「セリーナ、返事がないなら今日は本を読もうか。それとも、恋に気づけなかった愚かな男の話でもする?」
自嘲気味に言うけれど、やはり返答はなかった。
最近ひとり言が増えたが、気にならない。僕の言葉や想いは全部セリーナに向けたものだし、ここには彼女と僕の二人だけ。おかしいと笑う者は誰もいない。
「もっとも君は、僕の話などうんざりだと考えているかもしれないね」
それでも毎日世話を焼き、僕は彼女に語りかける。
セリーナの転落事故には、僕の姉が関与していた。だが、姉に責任能力はなく、かといって世話役に責を押しつけるつもりもない。全ては僕が招いたことで、哀れなセリーナは巻き込まれてしまったのだ。
カロミス侯爵――父には経緯を説明した書簡を出し、僕とセリーナの婚約を正式に認めさせた。オーロフは烈火のごとく怒り狂ったが、セリーナに付き添えない多忙な彼より僕の方が自由がきく。婚約者という立場があれば、同じ屋根の下で世話をすることも可能だ。
騎士団の退職願は受理されなかったものの、たまりにたまった休暇を使う良い機会とも言える。そのまま辞めさせられても構わないので、僕は婚約者として彼女の側にいようと決めた。
「……そうか。届けさせた本は、昨日で全部読み尽くしたんだっけ。また、新たに取り寄せないといけないね。君はどんな話が好き?」
いくら耳を澄ませても、君の答えは聞こえない。自分の声と波の音しか聞こえない日々に、僕の心は折れそうだ。彼女の白く細い手を取って、自分の頬に当てる。
「やっぱり、愚かな男の話を聞いてもらおうか。心ない言葉で最愛の人を傷つけた、僕の話を――」
眠ったままの彼女を見つめ、今までの出来事をポツポツと語る。
公爵家の夜会で初めて出会った時のこと。自分の強さを瞬時に認めた彼女に、一瞬で心を奪われ、手に入れたいと思ったことを。
「僕に稽古をつけてほしいだなんて、君も相当変わっているよね。まあだからこそ、互いの距離が縮まったのだけれど……」
自分を頼ってくれて嬉しい。だが、騎士並みの稽古にも音を上げない君には驚いた。
「ずっと側にいてほしいと願って、一番良い腕輪を選んだ。回復したら、また街に買い物に行こうね。その時は、以前作らせたドレスも引き取ろう」
セリーナとの幸せな記憶が甦り、感情が揺れ動く。
ここでの不便な暮らしにも、文句を言わなかった彼女。健気に働く姿を見て、ますます好きになったのだ。
「君の言葉は何一つ忘れていないよ。どうして僕はあの時、すぐに応えなかったんだろう」
「好き」がわからないと言った自分が、つくづく嫌になる。ためらわず、素直に「好きだ」と告げていたら、君はこんな目に遭わずに済んだのかもしれない。今なら必ずこう返す。
『ジュール様は、私のことが好きですか?』
――好きだよ。この世の誰よりも、愛しく思っている。
『少しでも恋しく思ってくださいますか?』
――少しどころではない。恋しくて、君がいないとどうにかなりそうだ!!
胸をかきむしられるほどの激しい恋慕に、僕の涙は留まるところを知らなかった。気づけば透明な雫がセリーナの腕を伝う。けれど僕は目元を拭いもせずに、語り続ける。
「セリーナ、君が目を覚ましてくれるなら、僕は自分の命を差しだしたっていい」
情けなくも声まで震えるが、どうせここには誰もいない。
愚かな男の本音を、君には知っていてほしい。
「……でも、それだと君に会えないな。じゃあ、一日だけでいいから目覚めた君の貴重な時間を、僕にくれないか? 心の底から愛していると、言わせてほしい」
話は一方通行で、徐々に心が削られていく。
だがそれでも僕は、口を閉じたくなかった。
君の目覚めをいつだって、願っているから――。
セリーナの白く細い指をギュッと握りしめた。
瞼を閉じ、彼女の手の平に想いを込めてキスを落とす。泣き顔を晒したままだが、もはやどうでもいい。セリーナ。今君が目を開けら、びっくりするかもしれないね。
「…………ぇ」
かすかな声が聞こえた気がして、僕は驚き目を開く。そこにはやはり、穏やかな寝顔のセリーナがいる。
――気のせい、か? 外にいる鳥の鳴き声をセリーナの声と聞き間違えるなんて、僕はどうかしている。
やはり無理かと諦めかけた、その直後――。
僕の目が、震える彼女の瞼を捉えた。
「セリー…………ナ? セリーナッ!!」
僕は信じられない思いで、彼女の名を呼んだ。