気づいた想い
ジュール視点です。
それは、ふとした思いつきだった。
「やはりセリーナを連れて行こう。部下が送る手はずとなっている文書を確認した後は、時間が空くはずだ。彼女に何か買ってあげたい」
小さな村には、工芸品の木剣や練習用の弓を売る雑貨店もある。女性へのプレゼントは宝石や髪飾りなどが一般的だが、セリーナなら武器の方が喜びそうな気がする。
僕は彼女を誘うため、道半ばで引き返す。
屋敷の入り口が見えるなり違和感を覚え、慌てて馬から飛び降りた。
正面の扉が開け放たれているのに、階下に人の気配はない。セリーナは、きちんと戸締まりをする性格だ。
階段を駆け上り、彼女の姿を探す。
手近な部屋にセリーナはいない……どこだ?
その時、自分の部屋から人の話し声のようなものが聞こえた。
急いで飛び込みギョッとする。
――いったい何が起こっている? どうして二人がここにいるんだ?
そこにいたのは僕の姉と、姉の世話役だった。
姉は僕に目をとめて、喜色をあらわにする。
「ちょっと、放しなさいよっ。あら、ジュール」
「ジュール様! 実は……」
世話役は姉を後ろから羽交い締めにして、必死に押さえ込もうとしている。開いたままのガラス戸とはためくカーテンに、嫌な予感が増す。
「セリーナ!」
バルコニーに出た僕は、曲がった手すりを見た途端、心臓が止まりそうになった。
「セリーナ!!」
「ジュール様……」
覗き込んだ先に、彼女はいた。
片手で手すりの根元を掴み、必死に堪えているようだ。
呼びかけに応えたことには安心するが、状況は芳しくない。早く助けなければ力尽きて転落し、海に呑み込まれてしまう!
「はあ……って、うわっ」
「危ないっ!」
ため息をついた彼女の手首をとっさに掴む。
まだ油断はできない。
ただ、いたずらに怖がらせると、セリーナが萎縮してしまうだろう。
「セリーナ、まだだ。引き上げるまで頑張って」
「はい」
努めて優しい声を出し、力任せに引っ張った。
バルコニーの床は不安定で、崩れた石の欠片が胸部に当たって邪魔をする。
「くっ……」
あとほんの少し。
セリーナの顔が近づいて、ホッとしたその瞬間――。
「ひゃあっ」
「なっ……」
突風が吹きつけて、セリーナの身体が大きく傾く。あっと思ったと同時に、彼女の指が僕の手をすり抜けた。
「セリーナッ!」
身を乗り出して腕を伸ばすが、届かない!
「セリーナーーッ」
絶叫する僕に、彼女は微笑み唇を動かした。
「愛しているわ」
そう呟いた気がして、僕は信じられない思いで目を開く。
白いエプロンが鳥のように風に舞い、海に向かうセリーナの姿がどんどん小さくなっていく。
――君を失うなんて、耐えられない!
恐怖ですくんだ足を無理に動かし、僕は彼女を救出するため走った。
「どこ触ってるのよ! ねえ、ジュールからも言ってや……きゃあっ」
「うわっっ」
室内で揉める姉とその世話役が邪魔で、二人を思いきり突き飛ばす。全速力で階段に向かった僕は、怒りに歯を食いしばる。
――お前ら、僕の大事なセリーナに何をした!
精神に疾患があろうと関係ない。
セリーナがこの手に戻らなければ、僕は今度こそ姉を許さない。
「頼む、間に合ってくれ!」
無茶な願いだとわかりつつ、足をとめる気にはなれない。
――このまま二度と会えなくなるなんて、そんなの嫌だ!!
庭に転がり出て崖下を覗く。
すると、はるか下の岩棚に塊のようなものがぼんやり見えた。海に落ちる直前、風がセリーナを引き戻したのだろうか?
「セリーナであってほしい。どうか無事でいて……」
連結した縄を腰にくくりつけ、僕は屋敷に続く途中の道から慎重に崖を下りていく。
岩棚に近づくにつれ、塊の正体がはっきりしてきた。それは、倒れた人の姿をしている。
「セリーナ!」
やっぱり彼女だ。
思わず叫ぶが返事はなく、水色の髪が広がり着衣の裾がめくれ上がって、太ももまで見えている。
いや、そこはどうでもいい。大事なのは――。
「そんな、嘘だ!!」
彼女に駆け寄り傍らに膝をついた直後、僕は流れ出る赤い血に気がついた。傷は後頭部にあるらしく、水色の髪を赤く染め上げていく。血の赤はまるで、過去の幻影を見ているようだ。
あの時僕は、階段から落ちていく姉を助けなかった。救いを求めて伸ばされた手を、ただ眺めるだけ。床に流れ出た赤を、あろうことか『綺麗』だと感じていた。
だけど、今は違う。
セリーナから流れる血なんて、これ以上見たくない!
ぐったりした身体に弱々しい呼吸。
血の赤だけが鮮やかだ。
赤く染まった髪に触れ、白い顔を見下ろした。
頭の傷を調べようとするけれど、手の震えがとめられない。
「セリーナ、セリーナ!!」
呼びかけても反応はなかった。
かろうじて息をしているものの、身体はどんどん冷たくなっていく。
僕は着ていたシャツを裂いて頭の傷に巻き付けるが、その間、彼女はピクリとも動かない。
セリーナを起こし、静かに胸に抱き寄せる。
「お願いだ、セリーナ。目を開けてくれ!」
悲痛な叫びに彼女は応えず、白く細い腕が力なく落ちた。
「嫌だ、セリーナ! 僕をおいていかないで…………」
見上げた空には白い鳥。
崖に打ち付ける青い波の音が、すぐ側で聞こえている。
一緒に過ごした灰色の古城も、僕らの帰りを待っているのに。
頬を温かな雫が伝う。
荒れ狂う想いと止まない涙。
海からの風は強く、涙を全て吹き飛ばす。
失って初めて気づいた想いに、後悔ばかりが先に立つ。
「お願いだ。目を、開けてくれ」
やっぱり彼女は応えない。
セリーナを残してここを出た、僕のせいだ!!
――このまま二人で、空と海の青に溶けてしまえたら。そうすれば僕らは、やっと一つになれるだろうか?
まともな思考を放棄した僕は、彼女を抱えて途方に暮れる。
崖に打ち寄せる波の音だけが、辺りにいつまでも響いていた。
いつもありがとうございます(*^-^*)
ゆっくりの更新ですが、もちろんまだ続きます。