招かれざる客
動揺して固まる私の脇をすり抜けて、その女性が階段を上っていく。
従者らしき男性は、慌ててその後を追っていた。
――待てよ。よく考えたら、ジュールの元カノっていう可能性もあるし……。
それなら彼女は、招かれざる客ということになる。
もう一度用件を聞いて、特になければお帰りいただこう。
「おかしいわね。こっちのはずなのに……」
金髪の女性は方向音痴なのか、ジュールの部屋とは逆方向にずんずん向かう。おつきの男性は特に注意もせず、ただ彼女の後ろをついてまわっている。
――いやいや。そっちはジュールの趣味で、剣が飾ってある部屋だから。正解は、さっきまで私が掃除していた部屋だ。
片っ端からドアを開ける彼女を見て、私は気づく。
――もしかして、ジュールの部屋を知らない? 適当に言っただけなんじゃあ……。
彼女は私が開けっぱなしにしていた扉に近づくと、勝ち誇ったような声を上げる。
「あった。ここだわ! 大きなベッドがあるはずだもの」
――……やっぱり元カノ?
彼女の立場がどうであれジュールに留守番を任された以上、二人がここに来た理由を尋ねなければならない。私は迷わず部屋に入り、窓辺に立つ女性に歩み寄る。
「こちらにいらした理由を、まだ伺っておりませんけど?」
「あら。大事な人に会いに来るのに、どうして理由がいるの?」
『大事な人』という言葉に、私の胸が鋭く痛む。痛みを逃そうと息を吸い込んでいたら、おつきの男性が低く呟く。
「エリシア様は、ジュール様の姉君です」
私は思わず、息を止める。
――え? 彼のお姉様って、階段から落ちてこの世を去ったのでは!?
目の前の女性を凝視した。確かに金髪で、ジュールと同じく整った顔ではある。
けれど彼は、こう言っていたはずだ。
『……突き飛ばしたら、運悪く階段から落ちてしまった。そのため姉は……』
それから、こんなふうにも。
『事故として処理をしたものの、そんな僕に家を継ぐ資格などない。両親は理解し、兄とは和解した。セリーナ、変な話を聞かせてごめんね』
そして、そのせいで好きという感情がいまだによくわからない、と締めくくったのだ。
「お姉様が事故で亡くなったというのは、私の勘違い? それとも双子?」
エリシアという名の女性が、肩をすくめる。
「そう。ジュールはあなたに、そんなことまで話していたのね。姉というのはもちろん私。といっても、彼と私の間に血の繋がりはないわ。可哀想に、あの子ったらまだあの日のことを悔やんでいるのね。私はとっくに許しているのに」
彼の姉が生きていたと知って、私はホッとする。
それなら彼の罪の意識は、お姉様に怪我をさせたせい?
なんにせよ、ジュールが身内を失っていなくて良かった。
眼前に立つ女性は、目元が彼にそっくりだ。なのに「血の繋がりはない」と言い張るあたり、かなり無理がある。
「ええっと、ジュール様からはお父様が同じだと伺っています」
「あら、まだそんなことを? あの子ったら、違うわよって何度言えばわかるのかしら」
「でも、お顔も雰囲気もそっくりですよ」
思ったままを言ってみた。
顔立ちの他、金色の髪質もよく似ている。
「ふふふ。付き合っていれば、似てくるって言うでしょう? たぶんそれね」
「……付き合う?」
おかしい。ジュールはずっと騎士団の寮にいたので、出歩く暇はなかったはずだ。こっそり抜けだし、女性と会っていたという噂も聞いたことがない。
「そうよ。私が寂しくないようにって、ジュールは毎晩、夢の中に出てきてくれたわ」
………は?
「それから、休暇中の滞在先を知らせる手紙もくれたの。私に出すのが恥ずかしいからって、宛名を兄に変えなくてもいいのにね。もちろん私は気づいたわ。だからここに来たのよ」
……………はい? それって単に、お兄様宛の手紙というだけでは?
返答に困って従者っぽい男性を見ると、彼は無言で首を左右に動かした。
――何それ。突っ込むなってこと? もしやジュールのお姉様って、相当思い込みの激しい人では!?
何も答えない私に満足したのか、ジュールの姉が艶やかに微笑む。そのまま扉を指さして、偉そうに告げる。
「彼に必要なのは私で、あなたじゃないの。わかったらさっさとここから……いえ、この家を出て行って」
「……えっ?」
「一度でわからないなんて、頭が悪いのね。ジュールを追いかけ回すのは、侯爵夫人の座を狙っているからでしょう?」
言いがかりも甚だしく、私は怒る前に呆れた。
「残念ね。彼が侯爵になるには、正統な血筋の私と一緒にならなければいけないの」
「ええっと……姉弟で結婚はできませんよ。それに爵位は、ご長男が継ぐはずですよね?」
当たり前すぎるツッコミを入れると、彼女の顔が途端に険しくなった。
「どこにそんな証拠があるの?」
「証拠、とは?」
「姉弟だからって何? 出生記録はねつ造すればいいし、兄が邪魔なら消せばいい。……そうか。今、一番邪魔なのはあなたね」
…………あ。これ絶対、まともに聞いたらいけないやつだ。
彼女が落ち着くまで、そっとしておいた方がいいかもしれない。
けれど、ジュールの部屋がこのままの状態ではみっともない。私はバルコニーに置きっぱなしの掃除道具を片付けることにした。
屈んで汚れた布を手にした瞬間、何かがぶつかる。
「わわっ!」
なんとジュールの姉が、私に体当たりしたのだ。手すりに向かってよろけた私は、文句の一つでも言ってやろうと振り向く。
「あのね、さすがにこういうのは……」
彼女の顔を見て、私はギョッとする。
さっきまでの美しさはなりを潜め、息は荒く目の焦点も合っていない。
「あんたさえいなくなれば、ジュールは私のものよ!」
いや、違うと思う。
……っていうより、おつきの人は何をしているの?
肝心の彼は、まだ部屋の中にいた。彼女の背中越しに、おろおろしている姿が見える。
「エリシア様を興奮させてはなりません!」
――やっと喋ったと思えばそれかい! その情報は今要らないから、おさめる方法教えてよ。
ため息を吐きながら腰に手を当てると、エリシアが私を睨みつけた。再び突き飛ばそうと、様子を窺っているみたい。
――別にいいけど? 突っ込むバイクを躱したこともある私にとって、人一人避けるのなんて簡単だ。
「あらよっと」
彼女が突進してきた瞬間、タイミングを合わせて身体をひねった。
「きゃあっ」
「エリシア様!」
エリシアとやら、ケンカを売った相手が悪かったね。
バルコニーの手すりにぶち当たる彼女を見て、おつきの人がようやくこっちにやってきた。
――ひどい音はしなかったから、怪我はしていないはずだけど?
やれやれと肩をすくめたら、彼女が悲鳴を上げる。
「ここ、海の上じゃない。怖いわ!」
自分から突っ込んで来たくせに、なんじゃそりゃ?
バルコニーの手すりにしがみつくエリシアは、震えているようだ。
――まあね。ここは崖の上だし、目の前は海。もしかして、高所恐怖症なのかな?
怖いならさっさと離れればいいのに、エリシアは付き添いの男性の手を拒絶する。
――よくわからないけど、侯爵家の令嬢って異性の手を握るのもダメなのかな?
教育が厳しくて、肉親以外の男性には触れたらダメなのかもしれない。
私は仕方なく、彼女の側に寄る。
いくら変わった人でも未来の義姉だ。できれば仲良くなりたいと、私は彼女に手を差しだす。
「大丈夫ですよ。ほら、掴まって…………うわっ」
握られた手を強い力で引っ張られたため、思わずよろけた。さらに勢いよく背中を押されて、バランスを崩す。そのせいで私の身体は、バルコニーの手すりを越えていた。
「くっ……」
とっさに手すりの根元を片手で掴むが、足場を支えるものは何もない。足下の遙か先には、青い海が広がっていた。
おなじみの方も新たに読んでくださる方も、本当にありがとうございます。
(*^-^*)♪