ジュールの過去
「君にだけは話しておきたい。僕がこうなった原因は…………姉だ」
「お姉様?」
「ああ。僕には兄と姉がいて、二人は父と前の奥さんとの子供だ。そして僕は、後妻となった母から生まれた」
「そう……ですか」
今さらっとすごい話を聞かされた気がする。
お母様が後妻ってことは、ジュールは連れ子で、お姉さんにいじめられたとか?
「僕の母は父の愛人で、侯爵夫人が亡くなった途端、嬉々として侯爵家に押しかけたそうだ。兄と姉はそんな母に戸惑ったらしい。だが、侯爵である父は親族の反対を押し切って母と再婚し、僕が生まれた」
再婚後に生まれたのなら、なんの問題もないような……。
話の腰を折るのもなんなので、私は黙って首を縦に振った。
「両親は僕を異常なほど可愛がった。一番下だからなのかと、当時の僕はなんの疑問も持たずにいたんだ。兄や姉にも甘やかされ、好かれていると思っていたし」
大人になった今でもこれだけアイドル顔なら、小さい頃は相当可愛かっただろう。特別甘やかしたい気持ちも、まあわからなくはない。
「その考えは間違いで、穏やかな兄は我慢していただけだった。父が『家督をジュールに譲りたい』とほのめかした時、耐えきれずにとうとう本音をぶちまける。『どこの馬の骨ともしれない女の子供ですよ! あなたの子だと言うのもどうだか』と」
「ひどい!」
「いや、ひどいのは僕だ。兄の気持ちに気がつかず、愛されるのが当然だという態度で彼を追い詰めた。あの母なら可能性はあると、疑ったことがないわけではない」
ジュールはいったん言葉を切り、ため息をつく。
目につらそうな光が宿っているから、この先は話したくないのかな?
「ジュール様、無理ならこの辺でいいですよ」
「いいや。僕は誰かに話したかったのかもしれない。ここからが本題だけど、いい?」
彼の本音がわかるなら、なんだって嬉しい。私は頷き、続きを待つ。
「いくら甘やかされていたとはいえ、自分が次男だとわかっている僕は、侯爵家を継ぐ気などなかった。兄に問題があれば別だが、特にないしね。僕にとっては、兄に嫌われていたことの方が衝撃だった。しかしそんな僕に、姉が追い打ちをかける」
「お姉様までひどい言葉を?」
ジュールは苦笑し、首を横に振る。
「違う、逆だ。彼女は父に賛同し、次期当主に相応しいのは僕だと言い始めた」
「お姉様が? お母様、ではなく?」
「母はもちろん喜んだが、姉の方が熱心だった。僕は驚き戸惑うものの、姉は本当に自分を可愛がってくれているのだと、安堵した。後から大きな間違いだったとわかるが……」
なんだろう? 話が全然読めない。
「その日を境に、兄と姉の態度が変わった。兄は僕を無視するだけで、まだいい。問題は姉で、急に媚びたりすり寄ったりするようになってきたんだ」
「えっと……それってお姉さんとして、ですよね?」
「だったら良かったんだけど」
「…………え?」
この先はちょっとだけ、聞いてはいけないような気がする。
「僕は初め、姉の行動は父の関心を買うためだと思っていた。僕に構うことで父の目が自分にも向くと、考えたのかと。姉は僕を追いかけ回し、抱きついたり撫で回したり、ひどい時には寝室で待ち受けたりもしていた。『あなたを守れるのは私だけ』と、呟いて」
ジュールの瞳が暗い陰りを帯びる。
私は彼の言葉を聞き逃すまいと、耳を澄ませた。
「おかしいと感じたのは、その頃からだ。弟の部屋で、どうして薄着一枚で待つ必要がある? どうやら姉も兄と同じく、僕が父の子ではないと判断したらしい。そのせいで世迷い言を言い始めた。『私達は愛し合っているから、一緒になってもなんの問題もない』と。実際は問題しかないのに」
「ジュール様、実はお姉様が好き……」
「まさか、冗談でもやめてほしいな。弟として慕ったことならあるが、異性として意識したことなどもちろんない。それに父は、僕を自分の子だと認めているし、僕自身もそう思う。兄も後日、『カッとなって言い過ぎた』と謝ってくれたしね。姉だけが僕を、弟だとは認めない。寮のある王立学院へ滑り込むように入学したのは、彼女から逃れるためだ」
「そう、ですか」
つまりジュールは、母親違いのお姉様に迫られたせいで、女性不信になったと?
「学院卒業後、騎士になる報告をしに実家へ寄るが、姉はまだ諦めていなかった。いきなり僕に抱きついて、『私を見て』と。さすがに気持ちが悪くて突き飛ばしたら、運悪く階段から落ちてしまった。そのため姉は……」
顔を歪めたジュールは、罪の意識を抱えているようだ。それならお姉様はもう、この世にいないのね。
「事故として処理をしたものの、そんな僕に家を継ぐ資格などない。両親は理解し、兄とは和解した。セリーナ、変な話を聞かせてごめんね。つまり『好き』とか『愛している』と言われても、僕がそれを信じられない。好きという感情は、いまだによくわからないんだ」
びっくりするような内容だったけど、彼の抱える苦しみが、ほんの少しわかった気がする。
私はジュールの頭を自分の胸に抱き寄せ、よしよしというふうに軽く叩いた。
「ジュール様、話してくださってありがとうございます。私は急ぎません。これからゆっくり、温かい感情を育てていきましょうね」
ちょっと偉そうだったかな?
でも、これくらい言ってもいいよね。
「ありがとう、セリーナ。君は僕の想像以上だ」
背中に腕を回されて、強く抱き締められた。
私の胸の鼓動は、彼にも聞こえているはずだ。
ジュールのことをもっと知りたい――。
願いが叶ったはずなのに、寂しくなるのはどうしてだろう? 「好き」への道のりが、長くなりそうだから?
「いやいや、頑張ればそのうちきっと……」
呟く私の頭を、ジュールは優しく撫でてくれた。
*****
僕、ジュールはセリーナの真向かいに座り、夕食をとる。
勘違いをただしたからか、それとも僕が過去を告白したせいなのか。彼女はすっきりした様子で、食欲も旺盛だった。
「ジュール様、サーモンの焼き加減が絶妙です」
「ありがとう。付け合わせのピクルスのお代わりはどう?」
「いただきます」
軽く摘まむだけの令嬢とは違い、美味しそうに食べるセリーナは、見ているだけで気持ちがいい。視線が合うと、彼女は緑色の瞳を輝かせ、笑みを浮かべてくれた。
楽しい時に笑い、悲しい時に泣く。
頭にくれば怒り、小さなことでも喜ぶ。
他人のために身体を張ったこともあったっけ。
自分の感情に素直なセリーナは、今も僕の心を動かす。可愛いと思うし、側にいたいというのは本心で、彼女には僕自身を見てほしい。
ふと思う。「僕を好き」だと言った姉は、僕のどこを好きだったのか?
実は、セリーナにも語っていないことがある。
階段から落ちた姉は頭に怪我を負ったものの、その後は順調に回復した。精神的な疾患を除けば、今も元気に侯爵家で暮らしている。僕がめったに家に帰らないのは、そのためだ。姉と向き合うには、もう少し時間がかかるだろう。
あの時僕は、落ちていく姉を助けなかった。
焦りと安堵が一瞬のうちに頭の中を席巻し、結局安堵が勝ったのだ。救いを求めて伸ばされた手を、ただ見つめるだけ。
そのくせ、床に流れ出た血の赤を『綺麗』だと感じてしまう。白い肌と赤い血のコントラストは、妙になまめかしく見えた。
僕もどこかおかしいのかもしれない――。
姉と向き合い、そう悟ることが怖かった。
だから余計、家には帰れない。
そんな僕をセリーナは認め、優しく癒やしてくれる。
口先だけならいつだって「好きだ」と言えるだろう。けれど大事な人だからこそ、思ってもいない感情を口にするのは嫌だ。
いつか――
好きになるなら君がいい。
未来をともに歩むのも。
可愛いセリーナは僕のもの。
今は、この想いだけが真実だ。
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