セリーナの勘違い
ふざけているのかと眉根を寄せて見つめるが、ジュールの顔は真剣だった。
「……マジ?」
びっくりしたせいで、思わず元の言葉遣いに戻ってしまう。
いけない、気を取り直してもう一度。
「ジュール様は、私のことが好きですか? 少しでも恋しく思ってくださいますか?」
今度ははっきり口にした。これならジュールもごまかせない。
難しいことを聞いたわけではないのに、彼はなぜか首を捻って考え込んでいる。しばらくして口を開き、こんなことを言う。
「セリーナ。君のことは気に入っているし、可愛いと思う。いろんな表情を見てみたいし、側にいてほしい。それではダメかな?」
「ダメかって、そんな……」
それが『恋』かと聞かれれば、私にだってよくわからない。何が悲しくて、恋愛初心者の私が恋について質問されているのだろう?
……ん、初心者? そうか!
ジュールも私と同じく初心者で、異性に慣れていないみたい。ここは一つ、大人の余裕を見せましょう。
「わかりました。ジュール様も、女性と親しくなるのは初めてなんですね」
「いや? それなりに経験はあるけど?」
「は!?」
だったら私に聞くのはおかしい。
その年で「好きって何」ってどういうこと?
好きじゃないのに優しくして、好きじゃないのにキスしたの?
――ジュールは好意からというより、ここの雑用をさせるために私と婚約するつもりなのかもしれない。
そう考えた途端、全てがストンと腑に落ちた。
稽古をつけてくれたのは、体力があるかどうかを見極めるため。買い物で気前よくいろいろ買ってくれたのは、報酬の前払い。私の両親に婚約の許しを得たのは、いつ連れ出しても良いように。
「管理が難しい」と言っていたから、私を次の管理人にしようとしているのかな? だからここ数日、掃除や食事の仕度ができるかどうか、この場所で問題なく過ごせるかどうかを試していたのか。
怒りのあまり、身体が震える。
乙女の恋心を弄ぶなんて許せない!
拳を握ってジュールを睨めば、彼はコテンと首を傾げた。
「セリーナ、もしかして……何か勘違いしている?」
くうぅ、こんな時まで可愛いなんて反則だ!
だからといってうやむやにはせず、私はすかさず反論する。
「勘違いってなんですか? 好きでもないのに婚約なんて、おかしいですよね。こんなまどろっこしいことをしなくても、人手が必要ならそう言ってくだされば、手伝いに来たのに!」
一気にまくし立てると、ジュールが困った顔をする。
「違うよ。確かに試すような真似をしたのは悪かったけど、それは君をよく知るためだ。甘やかされた令嬢なら、ここでの生活や仕事で留守がちな僕には耐えられないだろう」
「そんな!」
もちろん、甘やかされていない自信ならある。
義兄は勉強しろとせっつくし、行儀作法に厳しいし。両親は頼りにならず、義兄に任せっきり。そのため、勉強しないとご飯抜きだったり、馬小屋の掃除をさせられたり。ちなみに自分と同じ目に遭っている貴族令嬢には、いまだに会ったことがない。
「数日一緒に過ごしても、やっぱり好きじゃないってこと?」
「好きじゃないと言った覚えはないよ。ただ僕は、今まで女性に対して『好き』だと感じたことがない…………わからないんだ」
「ジュール様、まさか!」
女性じゃなくて男性が好きなんじゃあ……
可愛い顔立ちなので、似合うと言えば似合う。
拒絶されて悲しいはずが、私は必死に相手を探す。
彼は近衛騎士だから、同じ騎士か勤務先の人?
城で働くのはうちの義兄もだけど……。
――もしかして!
ジュールと義兄のオーロフは王立学院の同級で、王城勤めも同時期だ。それなら彼が本当に好きなのは……。
「セリーナ。君のくるくる変わる表情は、見ていて飽きないけどね。今回はなぜか、嫌な予感しかしない」
「ジュール様がつらい恋をなさっていたなんて……」
目を瞠るジュールを見て、私は確信した。
胸の奥がチリッと痛み、胸に手を当てる。
「セリーナ。つらい恋って? わからないって、口にしたばかりだと思うけど?」
首を横に振る私の頬に、ジュールが片手を伸ばした。
私はその手を払いのけ、きっぱり告げる。
「慰めは要りません。触らないでください」
目を丸くしたジュールは、行き場の失った手を自分の首に当てた。
「誤解をしているようだから、今すぐ訂正したいけど……。落ち着いた後の方がいいかな。セリーナ、夕食をとりながらゆっくり話そう」
私は唇を噛みしめて、無言で頷く。
そのままくるりと背中を向け、部屋まで走った。
ベッドに伏せてから、どのくらい経っただろう?
私の初めての恋は、始まる前に終わってしまった。ライバルが自分の義兄だなんて、いったいなんの冗談だ? 同性同士の恋愛に偏見はないけれど、それが自分の好きな人となると、話は違う。
ジュールが親切だったのは、私がオーロフの義妹だから。そうでなければ、彼は私に目もくれなかったはずだ。
「私との婚約を決めたのは、オーロフに嫉妬させるため?」
急な『腕輪の交換』には、意味があったらしい。うちに来たジュールが、『つまりオーロフが怒って、君に手を出そうとしたんでしょう?』と見事に言い当てたのは、彼自身がそうなることを望んでいたと思われる。全てはオーロフを義妹から引き離し、手に入れるためで……。
「あれ? だったら私をここに連れてくるのって、おかしくないかい!?」
考えすぎて頭が痛く、脱力感で動く気力もない。
食欲がなく話をするのも億劫だから、夕食はパスしようかな。
ふいにノックの音が響いた。
誰かと問うまでもなく、ジュールだとわかっている。
慌てて起き上がれば、来ている服にはしわが寄り髪はボサボサ。
ま、いっか。どんな姿の私だろうと、ジュールはきっと興味がない。
「……どうぞ」
すぐに扉が開いて、ジュールがひょっこり顔を出す。
「セリーナ。夕食ができたから迎えに……」
ジュールが言いかけ、言葉を失う。
私、そんなにひどい格好?
大股で部屋を横切ったジュールが、私の座るベッドの端に腰かける。
「セリーナ、泣いていたの? ごめん、あの時すぐに誤解を解いておけば良かったね」
自分が泣いていたとは、知らなかった。そういえばさっき、鼻がツンとしたような気もする。
私はごまかすために、低く笑う。
「誤解? でも……」
苦しいけれど、自分の気持ちを伝えよう。
「義兄への想い、応援はできませんが反対もしません。ジュール様が男性にしか興味がないなら、仕方がありませんもの」
散々悩んだせいなのか、言葉はすらすら出た。
頭を抱えたジュールが、大きなため息をつく。
「はああ~~、やっぱり。誤った方向に行くんじゃないかと思ったんだよね」
何それ。いったいどういうこと?
驚く私の視線を捉え、ジュールが苦笑する。
「その場できちんと説明しなかった僕も悪いが……。男性と付き合うなんて、考えたこともないよ。女性を好きになりたいけど、難しいという意味だ」
「女性を好きになりたい? だけど先ほど……」
「好きって何かと、聞き返したこと?」
「……ええ」
もう、ジュールが自分を好きだなんて幻想は抱いていない。あくまで冷静に、彼の意図を聞くだけだ。
「つまり僕は、誰に対しても『好き』という感情を抱けない」
「そうですか…………って、はあ!?」
好きって何とは、好きじゃないという意味ではなく、『好き』を知らない? それならまだ、私に望みはある?
ジュールは私の手を取って、甲を自分の口に当てる。
愛情がなくてもこんな仕草ができるなんて、罪作りだ。
手を引き抜こうとすると、いっそう強く握られた。
ジュールは悲しそうに微笑んで、静かに語る。
「君にだけは話しておきたい。僕がこうなった原因は…………」