腕輪の意味
頭によぎった甘い思いを吹き飛ばすため、私は首を横に振る。
ジュールに案内されたのは、高級そうな店だった。
豪華なシャンデリアに大理石の床、凝った装飾のテーブルがいくつか置いてある。テーブルには赤い絹がかかっていて、その上にブレスレットやネックレス、耳飾りなどの宝飾品が並ぶ。赤や青、黄や緑などの宝石が輝きを放っているので、価値のわからない私でも一目で高価だと理解した。
ジュールは迷わず奥に進み、身なりの立派な男性を呼びとめる。
「店主、腕輪がほしい。合うものを出してくれないか?」
「かしこまりました。おめでとうございます」
店主の言葉にジュールが微笑む。
なんでおめでとう? まさかジュールが百人目の来店者?
くす玉もなく、特に騒がれるわけでもない。おめでとうっていったい……
首を捻っていたところ、店主が何かを二つ取り出した。それはバングル型の銀の腕輪で、中央にはそれぞれ宝石が埋め込まれている。片方は緑でもう一方は琥珀色。
ジュールってば、一度に二つも買うつもり?
「緑が僕でこっちはセリーナだね。はい、どうぞ」
「へ? いえ、私は結構です」
欲しくはないので断った。一つでも高そうだし、自分の分まで買うのは明らかに無駄遣いだ。
けれど、店主の顔は引きつっている。
もしかして……
「ジュール様。腕輪って、セット価格のみの販売ですか?」
「せっと価格、とは? よくわからないけど違うよ。君にも受け取ってもらおうと思って」
「はい? あの、さっきからもらいすぎなので要りません」
「なっ……」
答えた直後、店主が絶句。
ジュールは苦笑し、肩をすくめた。
「店主、彼女の言うことは気にしなくていいから」
「かしこまりました」
いやいや店主、かしこまっちゃダメでしょ。
宝飾品に興味はないから、本気で要らないのに。勝手に納得しないでほしい。
「あの、私は本当に……」
抗議しかけて大事なことに気がついた。
ジュールの分だけ払うにしても、これっていくら?
手持ちのお金で足りるかな?
「ええっと、実はそこまで用意していなくて……」
正直に打ち明け唇を噛む。
すると、ジュールが店主に耳打ちし、店主は私を見ながら首を縦に振る。この様子だと、私の分は無事にキャンセルできたみたい。
店主はすぐに、びっくりするほど安い金額を提示した。
「1000で結構です」
「それくらいなら……。でもあの、桁を一つお間違えでは?」
「いいえ。この価格でいいですよ」
まさかこれって、おもちゃの腕輪?
間違えて私の分まで買ったとしても、そのくらいなら余裕で払える。ジュールが選んだ腕輪の緑は、本物の宝石っぽく見えたのに……。この値段ならガラス玉だ。
腕輪は剣より安いらしい。
ホクホク顔で支払いを済ませ、店内をなんとなく眺めた。キラキラするこれら全てがガラスの輝きだとは、いまだに信じられない。ジュールのおかげで、良い買い物ができたようだ。
「セリーナ、せっかくだから付けてくれる?」
ジュールが店のカウンターに革袋を置き、上着の袖をまくってたくましい腕を出す。
買ったばかりの緑の宝石が入った銀の腕輪を通してあげると、彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、セリーナ。あと、これは僕からだ」
「……えっ?」
ジュールは琥珀色のガラスが入った銀の腕輪を手に取って、そのまま私の手首に嵌めた。表面を優しく撫でる彼の仕草に、ふいに胸がキュッとなる。だけどやっぱり、もらいすぎだ。
「ジュール様。さっきも申し上げましたけど、ここまでしていただくのはちょと……」
「なんで? 記念日だから、相応しいものを贈るのは当然だろう?」
買い物って、この国ではそんなにすごいこと?
さっきのドレスを除けば、男性から身につけるものをもらうのは初めてだ。本音を言えば嬉しいし、ちょっぴりくすぐったい。
とりあえずもらっておこうかな? 分割払いは後から相談してみよう。
街中を二人でのんびり歩いていると、突然の豪雨に見舞われる。
慌てて手近な店のひさしの下に駆け込むけれど、服はびちょびちょ。湿って肌に貼りつくせいで、はっきり言って気持ちが悪い。
前屈みになって濡れたスカートの裾を絞っていたら、ジュールが低い声を漏らす。不思議に思って見上げると、彼は口元を手で覆っていた。
「セリーナ。なかなか扇情的な眺めだが、目の毒だ」
「戦場的? それはどういう……あっ!」
自分の姿を確認すると、胸元が透けて膝から下も丸見えだった。もちろん下着を付けているので、セーフだ。けれど、貴族女性の基準からすれば下着が見えるとはしたないし、人前で素足を見せてもいけない。ジュールは私に呆れているようだ。
「ジュール様、みっともない恰好をお見せしてごめんなさい」
「みっともない? まさか」
「ふわっ」
ジュールが私の腕を取り、自分の方に引き寄せた。次いで私の腰に手を回し、強い力で抱き締める。
「な、な、何……!?」
「何って? わかってわざと見せたんでしょう? 僕を誘惑しているんだよね」
「……違います!」
足を見せただけで『誘惑』って、どういうこと?
焦って彼の胸板を強く押す……が、逃げられない!
「うきゃっ」
変な声が出てしまう。だってジュールが、私の首の付け根を舐めたから。
鎖骨付近に雨水が溜まっていたのかな?
口で言えばいいのに。これではただの…………キスだ!
頬が火照り、胸が掴まれたように苦しくなる。動揺して固まっていると、ジュールの唇があちこちに押し当てられていく。それはどんどん下がっていき……
「……つっ」
胸元に達した彼の唇が、そこに花びらのような痕を残す。
これってまさかのキスマーク?
可愛い顔に似合わず、強引……って、違うから!
もう、濡れた服などどうでもいい。今すぐやめてくれないと、頭の中が沸騰してしまう。
「ジュール様! あのね……」
文句を言うため開いた口を、ジュールにあっさり塞がれる。
「ふっ、ううう~~」
いきなりのキスに、頭の中は真っ白だ。心臓の鼓動がうるさいくらいに鳴り響き、顔が一気に熱くなる。
息ができずにジュールの胸をどんどん叩くけど、彼は離してくれない。それどころか、角度を変えて深い口づけを……
――ダメだ。苦しくって倒れそう。
「ぷはっ」
彼を渾身の力で突き飛ばすと同時に、大きく息を吸う。反動でよろけた私を、ジュールは腕一本で支えてくれた。
「ふはっ、はっ……はっ……」
必死に息を整える私の前で、額に落ちた金色の髪をかき上げたジュールが、自嘲気味に呟く。
「ごめんね。セリーナがあまりに可愛くて、我慢ができなかったんだ。君はもう、僕のものなのにね」
「うえ? ……っくしゅん」
大事なところでくしゃみが出る。なんともカッコ悪いけど、冷えたので仕方がない。
ジュールが自分の上着を脱いで着せかけてくれたため、私は肝心なこと聞き忘れてしまった。
――どうして私にキスしたの? 僕のものって、どういうこと?
ジュールは我が家に寄らず、そのまま帰宅の途についた。私の帰りを待ち構えていた両親は、家の中に入るなり質問攻めにする。
「セリーナ、街は楽しかったか?」
「買い物のこと? もちろん楽しめました」
「濡れているから、風邪を引かないうちに着替えないといけないわね。顔が赤いけど、大丈夫?」
「ええ」
初めての買い物は見るもの全てが珍しく、昼食も美味しくて。剣もいいのを選べたし、腕輪まで手に入れた。顔が赤いのは、雨に濡れた後を思い出したせいだ。
思わず頬に両手を置くと、母がめざとく腕輪を見つける。
「まああ、セリーナったら! 腕輪をいただいたのね」
「……え? ええ、まあ。確かに買ってもらいましたが、私もジュール様の分を……」
「もう交換したのか。それはめでたい。早速オーロフにも連絡しよう」
「お父様、めでたいって何が?」
口にした途端、父と母がピシリと固まる。
理由を聞いて、私は言葉を失った。
両親曰く、この国では結婚の約束をする場合、婚約指輪ならぬ『婚約腕輪』を交換するそうだ。
相手の瞳の色を入れて――