褒め褒めキャンペーン
その後もジュールとの稽古は続く。
何度か繰り返すうちに、彼の厳しい指導にもだいぶ慣れてきた。ジュールは猫のようにしなやかで、必要最低限の動き。片や私は彼に翻弄されるため、かなりの運動量だ。その日の夜と翌日は、必ず筋肉痛になる。
腕を上げるだけでも痛いのに、膝を曲げるともっとつらい。そういう日に限って父の来客があったり、母の友人が訪ねてきたり。何度も膝を曲げて優雅に挨拶しなくてはいけないから、はっきり言って泣きそうだった。無理して笑顔を作るので、表情筋が一番鍛えられるかもしれない。
近頃稽古は、あらかじめ家で着替えて行くようにしている。部屋で二人きりになるような、そんなヘマは犯さない。慣れたジュールは冗談で済むけれど、私は無理だ。ドキドキしすぎて心臓まで筋肉痛になったら、どうしてくれる?
――あれ、心臓って筋肉痛になるんだっけ?
そして、今日もジュールと稽古。
近衛騎士、実は暇なのだろうか?
どう説得したのか、ジュールは私の義兄、オーロフの了承を取り付けている。
「リーナ、城まで一緒に行こう。私が仕事をしている間に、教えてもらえばいい。終わったら一緒に帰宅しよう」
「……え? 帰りは別に一緒でなくても……」
「不満があるなら、無理に行かなくてもいいぞ」
「そんな、とんでもない! お義兄様ありがとう」
一日中稽古をすれば、翌日の筋肉痛がものすごいことになりそうだ。まあ、義兄公認だからそれくらい我慢しなくちゃダメかな。
ジュールの待つ訓練場の隅を目指していると、向こうから王太子が歩いてきて、私の目の前で足をとめた。
「おや? 可愛いセリーナ。来ていたのに顔も出さないとは、つれないな。会いたかったのに」
ヴァンフリードは相変わらずだ。
会うたびに口説くけど、周りに美女を侍らせながらなので説得力がない。でも王太子である以上、邪険に扱ってはいけない……と、習った。ここは作り笑いをして、やり過ごそう。
「王太子様、ごきげんよう」
うちの侍女は恐縮し、彼を取り巻くお嬢様方の視線は痛い。さっさと通り過ぎればいいものを、彼はさらに話しかけてくる。
「ねえ、セリーナ。せっかくだから私と……」
「ヴァンフリード様、会議の準備が整ったようです。みなさま先ほどから、探していらっしゃいましたよ?」
王太子の背後でふいに声がした。
ジュールだ!
「そうか。じゃあセリーナ、また後でね」
約束してないし、後なんてないから。
私が適当に笑ってお辞儀をすると、王太子は軽く頷き歩み去った。
「君はその魅力で、みんなを虜にしてしまうね。危なっかしくて目が離せないよ」
ジュールまでそんなことを言うなんて、どうしたんだろう?
もしや城内、褒め褒めキャンペーン中?
「ジュール様の方が素敵です。あの……近衛の制服を着ていらっしゃるから、お仕事中なのでしょう?」
白地に金の模様が入った制服は、アイドルグループの衣装みたい。イケメンに興味がなかった私でさえ、つい見惚れてしまう。
「ああ、これ? 朝までの仕事があったんだ。もう終わったから着替えてくるね。セリーナ、訓練場で待っていて」
「だったらお疲れですよね。もしや寝ていないのでは?」
「側に目の覚めるような美人がいるんだ。寝不足くらい大丈夫」
「でも、それだとお身体が……」
「慣れているから平気だよ。それとも何、セリーナが添い寝でもしてくれる?」
「ま、まま、まさか」
「なんだ残念。じゃあ、先に行って待っていて」
歯の浮くようなセリフと意味深な発言に、私はうろたえる。
一方ジュールは、クスクス笑っていた。
「寝ていないジュール様になら、今日こそ勝てるかも!」
彼の後ろ姿を見ながら呟く。
今日こそいけそうな予感に、私はスキップしながら訓練場に向かった。
開始直後、自分の見通しが甘かったと知る――
「ハッハッハアハア」
すぐに息が上がるが、対するジュールは涼しい顔。
前回の注意点を踏まえ、自宅で自主練を重ねてきた。それでもまだ、本職には遠く及ばない。
「だいぶ良くなったね。予想以上だ」
「ふえ? あ、ありがとうございます!」
褒められるとは思っていなかったので、ついにやけてしまう。弟子として、師匠に上達ぶりを認めてもらえて嬉しい。
鉄パイプを振り回していた頃とは違い、きちんと訓練している今なら、地元のケンカは全て勝てそうな気がする……もちろんしないけど。
「じゃあ次から、剣術の稽古も取り入れよう」
「本当ですか!」
思わず興奮し、答える声が大きくなる。いよいよ待ちに待った剣の稽古だ。初めてだし、すごく楽しみ。
「ただ、女性用の剣が無いんだよね。騎士は支給されるけど、君は騎士ではないし。練習用のフルーレに慣れてしまうと、後々動きづらくなる」
そんなもんかいな。
確かに騎士でもない私が、城の剣を借りるのは変だ。義兄に言えば剣の一本や二本貸してくれるかもしれないが、彼のものを借りると、手入れや管理がうるさそう。かといって自分で用意するにしても、どこで買えばいいのかわからない。
「セリーナは、自分用の剣を持っていないんだっけ?」
「はい。護身用の短剣しかありません」
身を護るための短剣なら母からもらった。でも切れ味が悪そうだし、正直自分の拳の方が使えそうなので、大抵家に置いている。もっとこうスパッと切れたり、刃がギンギラギンに輝いているようなのが欲しい。
「そう。それなら今度、街へ一緒に見に行こうか」
「え? いいんですか?」
これ以上付き合わせて良いのだろうか?
過保護な義兄のせいで私はまだ、街で買い物をしたことがない。服は仕立て屋を呼び寄せるし、小物や本、身の回りの物などもみんな侍女が用意する。貴族はそれが普通なんだと思っていたから、出掛けたくとも我慢していたのだ。
「でしたら、外出許可を取らないと……」
弱々しく口にする。
街には出かけてみたいが、勝手に行くと義兄に怒られる気がする。今の家族に愛想を尽かされたら、私は他に行くところがない。我が家は義兄が実権を握っているから、説得するのは難しそう。
「だったら僕が迎えに行くよ。ちょうど挨拶もしたかったしね」
義兄のオーロフとは城でいつも会っているのに、なんでわざわざ挨拶を? うちに迎えに来なくても、城で話せば早いのに……
ま、いいか。ダメならダメで、剣の代わりに木の棒を振り回そう。
「ありがとうございます。それならぜひ! お願いいたしますね」
「ああ。すごく楽しみだ」
ジュールの目が猫のように細まった。
しかも今日は、一日中機嫌がいい。
これってどういう意味だろう?