羊の皮を被った狼?
王太子から「ごめんね」というカードと共に、大量の薔薇の花が我が家に送られてきた。この前はビックリして逃げ出したが、考えればこっちにも非はある。なんたって私は、王太子の顔にパンチを繰り出したのだ。
義兄のオーロフに、執務室での出来事を散々問い詰められた。でも、恥ずかしいのでのらりくらりと躱しておく。気が乗らないものの薔薇のお礼を言うため、私は再び城へ行くことになった。
首席秘書官である義兄に案内されて執務室へ。
入るまで緊張でドキドキしていたのに、本人は不在だった。
「まあいいか。別に会いたかったわけでもないし……。殴っちゃったのを謝りに来ただけだもんね」
先に手を出したのは王太子だから、さすがに死刑はやめて欲しい。そもそもあれくらい、余裕で避けられたはずだ。うっかり当たっちゃったってことは、王太子が考え事をしてボーッとしていたか、もしくは私が強くなったとか?
義兄と一緒だったので、今回私は侍女を連れてきていない。帰るために一人で廊下を歩いていたら、可愛らしい顔立ちの騎士とすれ違う。
「あれ? セリーナ嬢、こんなところで何を?」
「ジュール様、ごきげんよう。先日はありがとうございました」
「礼を言われるほどでもないよ。むしろ稽古の途中で放り出して、ごめんね」
「いいえ、お仕事ですし仕方がありませんわ。それにあの後、グイード様とルチア王女に良くしていただきました」
王太子にはセクハラしかされなかったけど……。
まあ、お詫びの薔薇をもらったので、これ以上怒るわけにはいかない。屋敷のみんなに分けても、まだ余っている。我が家は未だに薔薇祭り開催中だ!
「グイード様? おかしいな、彼は僕たちと合流したはずだけど?」
「ええ。ですから、ほんの少しの間だけ。あとは王女様とお茶を飲んでいました」
詳しく説明するのも面倒くさいから、そういうことにしておこう。
グイードと一緒にいたのは事実だが、彼はあの後飛竜で出撃したはずだ。
「そう、それなら良かった。ところで、僕はこの後空いているけど? 君さえ良ければ、この前の続きをする?」
どうしよう?
こんなに早くチャンスが来るとは、思ってもみなかった。稽古に来たならともかく、今の私はドレス姿で動きにくい。とはいえ、騎士の彼から学ぶことは多く、細身の身体から繰り出される強さの秘訣を知っておきたい気もする。多忙な兄は「私が教える」と口ばかりで、あてにならないし。
「で、どうする?」
可愛らしく首を傾げるジュール。
笑顔のおまけ付きで、思わず見惚れてしまう。
これで兄と同い年、しかも近衛騎士団の副団長だなんて、まるで詐欺だ。
「ええっと……お願いしたいのはやまやまなのですが、この恰好では無理かと。またの機会にでも」
どう考えても、このままの姿で稽古は無理だ。
城に行くと言うと、侍女が張り切っておしゃれなドレスを用意してくれた。今着ているものは、スクエアカットの襟と胸の部分は緑色で両サイドにクリーム色の切り替えがある。裾もひらひらしているので、剣術や体術のレッスンには不向きだった。
「そう? 僕ので良ければ服も貸せるよ。ま、無理だと言うなら仕方がないね」
細身の彼は、背が私より少し高いだけで似たような体型だ。いや、ジュールの方が華奢な可能性もある。
「サイズがちょっと……」
せっかくだからという気持ちと、やっぱり無理だという思いが半々。
彼と過ごす時間には、心引かれるけれど。
「僕のがダメだったら、騎士団の他のヤツから調達すればいい。でもこんなこと、年頃の娘さんにとっては酷だよね?」
彼は言いながら、「だめ?」というふうにもう一度首を傾げる。
くぅぅぅ~~! 可愛い過ぎるでしょ。
イケメンというよりアイドル顔は反則だ。
これで私より五歳も上だというのだから、末恐ろしい。
「じゃあ……ちょっとだけでしたら」
「わかった! それなら寮の僕の部屋で着替えるといいよ」
ジュールの猫のような目が光った気がしたのは……
たぶん気のせい、だよね?
白に金色の近衛騎士の制服を着ているジュールは、害のない羊さんかウサギさんみたい。童顔で余計に可愛く見えるから、私は当然のように彼について行く。騎士団寮は女子の入室を制限している、というわけでもないようだ。
彼の部屋で、用意されたシャツとパンツを前に、私は悩む。
「ええっと、ジュール様? 着替えをしたいのですが……」
「うん、わかってる。僕のことなら気にしなくていいよ」
いや、気にするでしょ。
女性の着替え中、夫婦でもない男性が同じ部屋にいるのは、いくらなんでもおかしい。出て行く気配がないジュール。わざとすっとぼけているのかな?
彼の顔は愛らしく、下心があるようには見えない。純粋に鈍いだけかもしれないので、ここははっきり言っておこう。
「着替えを見られるのは、さすがに恥ずかしいです」
「そうか、年頃の女の子だもんね。けど君、一人でコルセットを外せるの?」
しまった。ドレスの下は、今日もばっちりコルセット。これが厄介な代物で、腰を細く胸を盛り上げるため、背中側で紐をギュウギュウ締め上げているのだ。特にうちの侍女たちは、私のスタイルを少しでも良く見せようと使命感に燃えている。おかげで紐がキツく、外すだけでも一苦労。私一人では、もちろん脱げない。
「あの、今日はやっぱり遠慮します。侍女もおりませんし」
「大丈夫。だから僕がここにいるんだよ。着替えにくそうだったら、手伝ってあげるね」
もしやジュール様、女性の下着を脱がし慣れている? まさかの遊び人!?
「いいえ、そこまでは……。ジュール様こそ、早く着替えないと風邪をひいてしまいますよ」
「自分のことより僕の心配? ふふ、君ってやっぱり優しいね」
シャツを脱ぐジュールの裸の上半身には、筋肉がしっかりついていた。
鍛えられた身体を見るのは好きだけど、彼の場合は顔とのギャップがあり過ぎて、不思議な感じがする。
「これくらいで風邪をひくほど、やわな鍛え方はしていないつもりだ。それよりセリーナ、コルセットを外してあげるから、あっち向いて」
言うなり彼は、私の肩を掴んでくるりと回す。
素早くドレスを脱がされたため、私は慌てて着替え用のシャツで前を隠した。
紐を解く慣れた手つきに、モヤモヤした感情を抱く。
どうしてジュール様はこんなに上手くコルセットを外せるのだろう?
騎士は例外なくモテるというけれど、彼も毎晩、どこかで遊んでいるんじゃあ……
「たまらないな。恥ずかしがって震える君は、最高に魅力的だ」
「はい? ……って、うひゃっ」
うなじに柔らかい何かが触れた。
背中の紐はジュールにしっかり掴まれていて、逃げられない。
肩口まで下りてきたのは……ジュールの唇だ!
焦って顔を動かすと、薄茶の瞳と目が合った。その目がキラリと光る。
「ひえぇぇ~~」
慌てて飛びのき後ずさる。
今いったい、何が起こった?
「自分から男の部屋に入っといて、それは無いよね? 大丈夫。白い肌に跡をつけないよう、優しくするから」
「はいぃぃぃ!?」
ジュールはさっき、稽古をするって言ったんだよね?
なのに突然狼に変身するって、そんなの聞いてないよ!
「それとも、跡をつけた方が良いのかな? そうすれば僕のものだってわかるだろうし。ね?」
「ね?」って可愛く言われても……
じょ、冗談、ですよね?
あなた騎士でしたよね?
心臓がバクバクとうるさいくらいに音を立てている。
コルセットはいつのまにか外され、私の上半身は押し当てているシャツが一枚だけだ。
「ねえセリーナ。僕のものになる気、ない?」
妖艶な笑みを浮かべるジュールの、年相応の大人っぽい表情には目を奪われる。
だけど――
「む、無理無理無理ーーー!」
私は壁にへばりつき、首を左右にぶんぶん振った。