お仕置きの行方
夜、話があると言われたので二階の主寝室へ。私が転落してしまった例のあの部屋だ。
まだ修理が完了していないため、バルコニーへの立ち入りはもちろん禁止。外への扉はカギが掛けられ、固く閉ざされている。
もうすぐ婚約するからか、夜に彼の部屋を訪れても、屋敷の者は何も言わない。それどころかオルガには「頑張って下さい」と送り出されてしまった。
話をするだけなのに、一体何を頑張れというんだろう?
部屋に入ると、オーロフが立って待っていた。すらりとした姿と整った顔に照明が当たり、陰影を際立たせている。人間離れした顔は美しく、思わず見惚れた。
着替えた彼は、白いシャツと黒のパンツというくつろいだ格好だ。ベッド脇の小さなテーブルには、寝酒も用意されている。
「あれ? 寝るところだったんなら、出直してこようか?」
「何を言う。どれだけ待ったと思っているんだ」
そんなに待たせた覚えはないけど?
話があるって言われたから、すぐにこっちに来た。まあその際、着心地のいい分厚い寝衣は却下され、大人っぽい夜着を用意された。薄桃のレースに生地が申し訳程度のデザインだけど、ガウンを羽織っているから大丈夫。
見えてないけどスースーするから、寝る時はやっぱり、さっきの寝衣に着替えよう。
オーロフに近寄ると、両肩を優しく掴まれた。
「えっと、話って……」
「黙って――」
話を聞きにきたのに「黙って」とは何でだ?
眉根を寄せると顎を持ち上げられ、綺麗な顔が下りてきた。オーロフの唇が、私のそれに優しく重なる。驚いて目を丸くすると、そのまま何度も角度を変え、口づけられた。
「目は開けたままでも構わないが、閉じた方がいいと思う」
あ、そっか。
ガッツリ目を開けたら、変な顔に見えるから……じゃ、なーくーて!
「オーロフ、話があるって言ったんでしょう?」
「ああ。だがその前に、あの日の続きをしよう」
そう言うと、彼は私を横抱きにして、奥の寝室に運ぶ。広いベッドの上に優しく下ろされた。
「ちょ、ちょーっと待った!」
片手を突き出し制止する。
あの日の続きって……もしや、記憶を失くす前のこと? 心の準備をしてない私は、焦りまくりだ。
お仕置きってまさか、これのことなのーー!?
妖しい笑みのオーロフは、私を見据えたままベッドに上がる。私の手を取り、シャツをはだけた自分の胸に当てた。直に触れた彼の肌は熱く、心臓が同じようにドキドキしている。
もう片方の手を私の髪に絡ませたオーロフは、美麗な顔を近づけて何度も口づけた。深まる大人のキスに酔い、頭がくらくらしてしまう。
のしかかってきた身体の重みに逃さないと言われているようで、胸の鼓動が一気に跳ね上がる。情熱的な抱擁に、頭がボーっとして思考が止まる……私、さっき何を言おうとしたんだっけ?
「十分に待った。もういいとは思わないか?」
掠れた声音で囁かれた。その声に、胸がキュンと締めつけられる。
額に瞼に頬、そして首筋に。
キスは徐々に下がっていく。
この感じ、どこかで――
目を閉じ考える。
――ああ、そうか。
馬車の事故の前日、怖くて眠れない私を慰めてくれた時だ。あの日もこうやって、彼は私にキスをした。
いつかきっと。
そう考えた翌日に、私は貴方を忘れてしまった――
本音を言えばあの時も、ほんのちょっぴり先を期待していた。だけど慰めではなく心から、私を望んで欲しかった。好きな気持ちが溢れるほど、今の私は貴方を想い、望んでいる。
「そうね……」
照れくさいけど、同意した。
するとオーロフは、私のガウンの前をほどいてキスをしながら、夜着もずらしていく。彼はいつの間にか、自分のシャツも脱いでいた。淡い照明に彫刻のような身体が浮かび上がり、均整の取れた恵まれた体躯に、私はつい見惚れてしまう。
気づいた時にはあの日と同じように、着ているものを自然に脱がされていた。薄い寝間着が用意されたのって、このためなの? もしかして、家中の者が私の気持ちを知っている?
オーロフの熱のこもった視線に、羞恥で身体が熱くなる。肌を撫でる手は優しく、細められた金色の目が輝き綺麗だと賞賛されているようで、ますます胸が苦しくなった。重なる鼓動は、どちらのものかもわからない。
彼の唇は徐々に移動し、治ったばかりのわき腹の傷に到達する。熱い舌が、傷痕を執拗に往復した。くすぐったいし、さすがにこれは……
――すっごく恥ずかしいんですけどーー!!
「待って! やっぱりもう、無理。結婚前だし、婚約だって、まだ、なのに」
私は息も絶え絶えになりながら、あの日と同じ言い訳で、彼の熱をどうにか冷まそうとする。
だってもう降参!
いくら好きでも恋愛偏差値ゼロの私には、刺激が強すぎる!
結婚……はまだでも、せめて婚約するまでは、待ってもらいたい。
私の言葉を聞いたオーロフは、動きを止めると上体を起こし、立て膝で髪をかき上げた。そんな仕草もあの日のまま。鍛えられた腹筋がバッチリ見えて、目に麗しい。
――私をキュン死にさせようったって、そうはいかないんだから!
けれど彼は平然とベッドを降り、サイドテーブルの引き出しから何かを取り出した。
「リーナ、話があると言ったのは本当だ。これを見て欲しい」
差し出されたのは一通の紙で、一番上に記されていた言葉は……
『婚約証明書』
見れば一番下の段に、オーロフと私の署名まである。しかもこれ、直筆の上に正式な印まで押してあるよね?
「……え、何これ?」
私、いつこんなの書いたっけ?
ふと先日、サインした記憶を思い出す。
「あ……」
「そう、お前にサインをもらった分だ。婚約式は飛ばしたが、なかなか返事が来ないため、私が証明書を受け取りに、直接王都へ出向いた」
婚約式は耳慣れないから、飛ばすのは別に構わない。だけど、証明書にサインがあって、王家のハンコってことは――!?
私は目を丸くして、彼を見返す。
「ようやくだ。これで婚約が成立した」
「え? えぇぇぇぇ~~!!」
知らないうちに婚約していたなんて、びっくりだ! もちろん嫌ではないけれど、貴族の婚約って、もっと時間がかかるものだと思っていた。
「こんなに早くていいの?」
私の言葉に、オーロフがすんごくイイ笑顔で答えた。
「何のために今まで、城で真面目に働いていたと思う?」
「まさかの裏口? 元筆頭秘書官が、ズルしちゃいけないよね?」
「少し手順を飛ばしただけだ。まあ、ヴァンフリード様は、最後までお前に会わせろと言って、印を押すのを渋ったが」
うまく説き伏せたってこと?
いったいどんな手を使ったんだろ?
……っていうより、これでもうオーロフを止める口実が、なんにもなくなった。
「リーナ、今まで長かった。ようやくお前を、私のものにできる」
「わ、わわ、私。ま、まま、まだまだまだ」
「心配はいらない。優しくする」
「こ、こころころ……じゅ、じゅ準備が!」
「二度と忘れたりしないよう、お前に私を刻み付ける」
うーわーヤバイ、この人本気だ!
急に緊張してきて汗がダラダラ、膝もガクガク。
元ヤンともあろうものが情けない。
ケンカよりもこっちの方が、よっぽどハードで難しい。
だけど――
想いを載せた金色の瞳が、まっすぐ私を見つめる。嬉しそうに笑う貴方に、私の心は蕩け、逆らうことなどできそうもない。
貴方は私の愛した人で、これからもずっと側にいて、私を望んでくれる人。
私はオーロフに微笑みかけ、遠慮がちに彼の首に手を回す。
彼に身を委ねた私は、たっぷり愛し愛される。
婚約が成立し、二人で夜を越えた日は、私達にとって一生忘れられないものとなった。