ラズオルの青薔薇
「リーナーーッ!」
仰向けに落ちた私は、オーロフの絶叫を聞きながらすごい勢いで落下していく。
――……はずだった。
それなのに彼は、何の躊躇いもなくバルコニーの端を蹴ると、自分も宙に飛び出した。茶色の髪が風に煽られ、伸ばした手は私の身体を必死に掴まえようとする。
「オーロフ!」
予想外の事態に、私は焦る。
巻き込まないため手を放したのに、自ら飛び込むなんて!
「くっ、リーナ!」
奇跡的に手が届いた瞬間、彼は私を引き寄せた。そのまま胸に私の頭を押し付け、守るように腕を回す。
その優しさが嬉しく、私はどうにか顔を動かしてオーロフを見た。彼の唇が、なぜか笑みを形作る。
抱き合って落下していく私達。
海面まであとわずか。
その時を覚悟し、私はもう一度金色の瞳を見つめた。
――その瞬間!
黒い物体がものすごい速さで近づく。
「わわっ」
海面に叩きつけられる寸前、私達は間に入った何かの上に着地し、大きくバウンドした。オーロフが守ってくれたおかげで、衝撃だけで痛みはない。よろよろと身体を起こす私を支えながら、目の前の人が口を開く。
「青いものが見えたと思えば、君達か! 飛んできて良かったが、なぜこんなことに?」
「グイード様!」
「……まさか! セリーナ、私がわかるのか?」
「はい。グイード様、ありがとうございます」
全身黒ずくめのグイード様が目を丸くする。
私は頷く……と同時に、ここが飛竜の背で、自分と義兄が助かったのだと知った。
私達を受け止めてくれたのは、グイード様が操る飛竜のグラン。うまく身体をねじ込ませてくれたおかげで、海への激突が避けられたみたい。硬い竜の鱗でなく、積まれた荷物の上に落ちたことも幸いだった。
グイード様が私を飛竜の背に固定した。
彼はゆっくり身体を起こしたオーロフを見て頷くと、視線を前に戻す。
オーロフは、私を庇い背中から着地したので、全身に結構なダメージを受けたはずだ。私は彼に目を向ける。
「グイード様、感謝します。おかげで助かりました」
オーロフの声は、いつものように冷静だった。
痛くないのかな?
ただ、私を見る目がちょっと怖い。
「ま、まま、待って!」
私は急いで言葉を探す。
なんて言えばいいんだろう?
手を放したのはわざとだけど、死のうとしたわけじゃない。あなたを巻き添えにしたくなくて……
上手い言い訳を思いつかず、訴えるように見つめた。
するとオーロフが、髪をかき上げため息をつく。
「リーナ、お前が無事で良かった」
「オーロフ……」
彼を意識した途端、胸の鼓動が速くなる。
私は慌てて視線を逸らし、景色を眺めた。
飛竜は原則二人乗りだというが、三人乗ってももちろん平気だ。
旋回する飛竜のはるか下に、青い海が見える。
――私のせいで、オーロフもろとも海に突っ込むところだった。あと少しで死んでいたかもしれない。
考えると急に恐ろしくなり、震えてしまう。私は落ち着こうと、自分の身体に両腕を回した。
そんな私を心配したのか、オーロフが私の頬と首に優しく触れる。
「リーナ! お前、やはり熱がある」
そうだ。すっかり忘れていたけれど、さっき結構しんどかったような。
ふと、身体から放した手のひらを見ると、血が付着していた。
「なんじゃこりゃあ~~!」
淑女らしくないが、それどころではない。
慌てて確認したところ、わき腹の部分が少し赤くなっていた。
落下する時、尖った木で切ったみたい。
前世でケガには慣れていた。
でも今は、そうでもないような。
熱のせいで一気に気分が悪くなり、めまいもしてきた。
崩れ落ちる私を、オーロフが支える。
「リーナ、大丈夫かっ、リーナ!」
情けないことに私はそのまま、気を失ってしまったようだ。
「う……うう……」
熱に呻く自分の声が聞こえる。
でも平気、今度は何も忘れちゃいない。
冷たいものが額に当てられ、何度も取り替えられた。話し声や人の歩く音――耳には入るが頭がぐるぐるしているため、目が開けられない。誰かが時々手を握り、優しく髪を撫でてくれた。
この感触を私は知っている。
それは、私の大好きな人。
「オーロフ……」
呟くと、頬や瞼にキスが落とされた。
「安心して眠るといい。私がずっと側にいる」
耳元で、彼が優しく囁く。
貴方の隣はいつだって、私が安心できる場所。
こんな私でもいいと言ってくれた。
そんな貴方がいなければ、私は私でいられない――
その後、どれくらいの時間が経ったのだろう?
少しだけ気分が良くなった私は、瞼を開き辺りを窺う。
ここは主寝室。私はどうやら、オーロフのベッドに寝かされていたようだ。
すぐ隣にオーロフがいて、椅子に座ったままの状態で寝息を立てている。
窮屈な姿勢で申し訳ない。
でも約束通り、側にいてくれたのね!
「くうーっ」
なんとか身体を起こそうとするが、上手く力が入らない。どうしてこんなにしんどいの?
その直後、オーロフが目を覚ます。
彼は私の頬に触れ、目を細めて尋ねた。
「気がついたか、リーナ。具合はどうだ?」
「に……オーロフ」
兄様、と呼びかけてやめた。
もう子供のセリーナじゃない。
「力が、入らない……」
弱々しい声になってしまった。
だるいのは本当だし、ちょっと甘えてみたい。
「そうか。熱も高く、怪我をしていたからな。喉は渇いているか?」
そう言われれば、喉がカラカラだ。
返事をするのも億劫なので、黙って頷く。
オーロフは水差しの水をコップに入れ、サイドテーブルに置いた。手を添え私を起こすと、倒れないよう背中にクッションを当ててくれる。そのままコップを渡してくれると思いきや、なんと自分で飲んでしまう。
もしやこのタイミングでお仕置き?
目の前の水を見ているだけ?
そう思っていたら――
彼は私の顎を持ち上げて、いきなり口を塞ぐ。
声を出す間もなく、ゴクンと喉を鳴らす。
た、確かに水は飲めるけど、口移しって……
初心者にはきついし、いくら何でもハードル跳び越え過ぎでしょう!
「ゴホッ、なっ、ちょ……ゴホ、オー……」
「何、もうちょっとおかわり? ああ、いいよ。いくらでもあげよう」
嬉しそうにそう言うと、彼は再び水を口に含む。両手でベッドの背を持って、身体を寄せて口づけるから、逃げようにも逃げられない!
――う……まあね。逃げるつもりはないんだけど。でも、恥ずかし過ぎるでしょ! お願い、そろそろ勘弁して~~。
ちなみにさっきは「何する、ちょっとオーロフ」と、言いかけた。妖しい笑みと連続口移しで、さらに熱が上がりそう。
次に起きた時、オーロフの姿は無かった。
代わりに侍女のオルガがいる。
「まあぁ、お嬢様! お目覚めになってようございました。旦那様はお客様の相手をしていらっしゃいます。ですが、ご心配なさっていたので、お知らせしてきますね!」
言うなり彼女は部屋を出て行く。
私は、というと関節が痛むものの、だいぶ気分は良くなった。
寝不足だった分をぐっすり眠って取り返したらしく、頭もスッキリしている。腕は重いが上げられそう。自分の身体を見下ろすと、小さな擦り傷と右腕とわき腹に手当ての跡があるくらい? 他は心配ないようだ。
その時、扉が開き三人ほど入ってきた。
「リーナ、目が覚めたか。ほら、グイード様も心配してお見えだ」
声をかけたオーロフの隣にグイード様、そして見知らぬ男性がいる。
「グイード様。その節は、どうもありがとうございました」
なんとかお辞儀らしきものをする。
助けられて何日経ったか知らないが、人間礼儀は大事だ。
「ああ。君の役に立てて良かった」
低い声と笑顔が相変わらず素晴らしい。
ベッドわきの椅子に座ったグイード様が、自然に私の手を握る。
「だいぶ回復したと聞いたが、なるほど、顔色も良さそうだ。城から落ちる青いものが見えた時、君かと思って焦った。ギリギリだが間に合って良かった」
「すみません……」
「いや、礼はいい。ラズオルの貴重な青薔薇を失うわけにはいかないからな」
やっぱりお世辞は挟むのね?
でも、タイミングが違えば、今頃私は海の底。
あの時は確か、青いショールが先に落ちたんだっけ。まさかあっちが貴重な青薔薇? なんてね。
「あの場に偶然、グイード様がいらして良かったです」
「偶然? 君はまだ、何も聞かされていないのか。私があの場にいたのは、オーロフに呼ばれたからだ。彼が君を心配し、医師に見せたいと言ってきた」
「医師に?」
「詳しい説明は後で。今日は君のために、医師を連れてきた。診察してもらうといい」
グイード様と一緒にいた、見知らぬ男性は医者だった。
彼は精神学の権威だとかで、私にいろいろ質問する。
すでに記憶は戻っていたので、私は自分を子供だと信じていたことや、抜け落ちていた事柄を話す。
もちろん、転生前の話は秘密だ。
それは私とオーロフだけが知っている。