お前が望むなら
オーロフはベッドの端に腰かけて、私の頬に手を伸ばす。
「大丈夫か? うなされていたのではないか?」
心配そうに見つめる金色の瞳。
私の事を気にかけてくれていたのだと知って、嬉しくなる。
でも、部屋のカギをかけたのに、どうしてここに入れたの?
「……どうして?」
「リーナ、昼間に怖い思いをしただろう? 眠れないのではないかと、心配だった」
「カ、カカ、カギ!」
「ああ、鍵がかかっていたが問題ない。爵位と共に屋敷の権利も全て譲り受けた。部屋の鍵は私が管理している」
「だ、だけど……前、前、前!」
もはや、自分でも何を言っているのかわからない。
それなのに、頭の良いオーロフは察したようだ。
「結婚前だが、私達は婚約間近。私がお前の部屋に入るのを、咎める者は誰もいない」
オーロフが、苦笑しながら肩をすくめる。
窓から射し込む月明かり。淡い光に照らされた彼の容貌は、彫刻のように美しい。けれど、少し低い声と私に触れる手の暖かさが、彼を血の通った人間だと証明している。
自分の部屋でくつろいでいたせいか、オーロフは寝衣の前を少し開けていた。喉仏や鎖骨、胸の筋肉がはっきり見える。
――綺麗な顔だけど、やっぱり男の人なんだなぁ。
「どうした、リーナ。そんな目を向けるとは、私に興味があるのか?」
うわっっ。
一気に顔が赤くなる。
きょ、興味も何も、好きな人の身体を間近で見るのは初めて。
私は頬に両手を添えて、横を向く。さっき変な事を考えていたせいで、急にオーロフを男の人として意識してしまった。そんな自分が恥ずかしく、居たたまれない。
オーロフが、掠れた声で囁いた。
「『お仕置き』がまだだったな。この先を教えてあげよう」
「えっ?」
ビックリした私は、まともに彼の顔を見てしまう。
その瞬間、金色の瞳が妖しく煌めき、唇が弧を描く。オーロフは長い指で私の髪に触れると、顔を近づけた。
「だっ……」
「だ?」
オーロフが顔をしかめた。
そんな表情さえ美しく、気を抜けば全てを委ねてしまいそう。
「だめでしょ! 結婚前なのに」
恥ずかしさのあまり、私は必死の抵抗を試みる。
「果たして何人が、婚姻まで純潔なのかな?」
え、そうなの?
だけどやっぱり、私には無理だ。
「あの……」
「大丈夫。お前が嫌なら最後まではしない」
「う、うえぇぇっ!?」
変な声が出てしまう。
最後までしないって……どこまでが途中だ?
私はベッドに倒されて、唇を優しく塞がれた。
この前とは違ういたわるような優しいキスに、頭が痺れてクラクラする。髪を優しく撫でられるのも、オーロフの長い髪が私の肌に落ちるのも、くすぐったいけど気持ちいい。愛しそうに見つめられ、一つずつ確認するよう丁寧に触れてくるから、思っていたほど怖くない。
彼の唇が首筋を伝い、鎖骨を這って胸元に落ちた。そっと触れる指先に、私の心が震える。
早鐘を打つ胸の鼓動が、彼にも聞こえているかもしれない。抱きしめ返すと、腕にオーロフのぬくもりを感じた。頼りがいのあるたくましい肩は、温かくて……
彼の背中を撫でると、くすぐったいのか身じろぎされた。ごまかすように、再び唇が重ねられる。想いのこもった優しいキスに、頭の芯までボーッとなっていく。
オーロフが、慣れた手つきで私の身体をたどる。その自然な仕草に、私は自分の寝衣が脱がされていたことにも気づかなかった。
「すごく綺麗だ、リーナ。息は止めずに感じるまま、自然に振る舞えばいい」
いや……だからそれが難しいんだってば!
じっくり見られて恥ずかしくなった私は、両手で胸を隠した。
「うわっ」
ちょっと待った!
そんな所触っちゃうの!?
「うひゃっ」
やだ。
くすぐったいから今すぐ止めて~~!
「ま、待って」
押し返そうとした手のひらが、彼の肌に直に触れる。鍛え抜かれた身体は、思っていたより硬かった。着やせするってよく言うけれど、ようやく意味がわかったような。彫刻よりも美しい彼の身体は、決して見飽きることがない。
オーロフが胸板に触れた私の手を優しく掴み、自分の口元に持っていく。じっと私を見つめながら、そのままゆっくり、手のひらに口づけた。
私はどうしていいのかわからず、慌てて手をひっこめた。彼は片方の眉を上げ、いたずらっぽく笑う。妖しい笑みと熱のこもった瞳に、私は戸惑う。見慣れているはずの義兄の顔が、何だか知らない男性のようにも見えてきた。
金色の瞳が細められ、熱い吐息が肌にかかる。
向けられた眼差しの、愛しさを含む色に、私の胸はキュッと苦しくなった。
――同じような表情を、私も返せているだろうか? あなたに想いを、伝えられている? こんな感情は初めてだ。大好きな人と触れ合うだけで、こんなにも満たされた気持ちになるなんて――
「好き」なんて、単純な言葉では言い表せない。「愛してる」って言うのも、まだまだ足りない気がする。『アルロン』のセリーナの言葉を借りれば……
『今すぐ貴方を抱き締めて、一つになりたい』
そう思うものの、さすがにこの先はちよっと。
「も、もうダメ。ごめん、オーロフ。もう無理!」
一つになるのは先送り、ということで。
息も絶え絶えになりながら、私は自分の限界を悟る。大人な展開は、恋愛経験ゼロの私にはきつかった。これ以上は刺激が強く、急には無理みたい。なんだかいろいろ触られちゃったので、ときめきすぎて死にそうだ。
「お前がそれを望むなら……」
色気たっぷりの声で囁かれても、ダメなものはダメ! なのにそんな顔をされると、切なさで今すぐ昇天してしまう。
髪をかき上げながら上体を起こし、哀しそうに笑うオーロフ。絵になる姿に見惚れないよう、私はわざと皮肉っぽく考えた。
――それ、絶対わざとやってるでしょ。自分がカッコいいって、わかっているよね?
上掛けを引っ張った私は、やっとの思いで起き上がる。
オーロフは無言で私の服を整えると、胸の前のリボンを結んでくれた。そのまま私の頭をポンポンと叩く。
まだドキドキは治まらない。
けれど、いつもの義兄が戻って来て嬉しかった。無理強いしないと知っているから、オーロフの隣は私が一番安心できる場所。優しく抱き締める腕に、さっきの熱情は感じられない。彼の胸に頭を持たせて甘えると、あやすようにゆっくり髪を撫でてくれた。
『恋愛』ってやっぱり難しい。
世の恋人たちは、よくもまあ冷静な顔をしていられるな、と思ってしまう。言葉では足りない程、好きな気持ちに気づいた私。触られると恥ずかしいくせに、くっつきたいと願う。
ねえ、オーロフ。
昼間の恐怖を忘れさせるため、今夜はわざと私に触れたんでしょう?
流されるまま、こんな形では嫌だった。慰めではなく心から、私を望んでほしい。
ごめんね、オーロフ。今日はダメでも、いつかきっと――
オーロフの狙い通り強烈な上書きのおかげで、毒なんてたいした事がないように思えてくる。でも、今日一日いろんな事があり過ぎて、すっかり疲れた。急に睡魔が襲ってきたので、横になって目を閉じる。隣に寝ころび髪を撫でる義兄の手が心地良い。
その後私は夢も見ず、朝までぐっすり眠れた。
怖い夢に怯えないよう、彼が私を抱き締めてくれたから。耳元で優しく「大丈夫だよ」と、囁き続けてくれたから。