第四話 呆然
「軽いとはいっても、さすがに疲れるな」
そんな小言を言いながら歩く。
美咲が寝てから30分くらいは経っただろうか。美咲を背負っているためゆっくり歩いた方がいいに決まっているので、想像以上に遅くなってしまった。
「副会長、こっからどう行けばいい?」
稲白駅が見えている。ここからはもう分からない。本当は寝てもらいたかったが、致し方ないので、軽く背中を揺らす。
「……ぅん」
眠りが深かったのか、なかなか起きない。
「起きてくれ」
今度は少し大きく揺らした。すると、少し瞼が開く。
「ここ……は?」
「やっと起きたか……」
「えっ……!?」
美咲は起きてすぐ誰かの背中に乗っていることに気づき、驚いた。が、少しずつ頭が覚醒してきて、思い出した。これまでの経緯を。
「わ……わたし……、寝てた?」
「そりゃーもうぐっすりと。寝言も言ってたぞ」
「う、嘘でしょ!?」
男の人におんぶしてもらいながら寝たという事実だけで恥ずかしいのに、その上寝言まで言っていたと聞いて、顔がリンゴのように赤くなる。
「嘘だ。道、教えてくれ」
「なっ……!?」
後輩にバカにされ、今度は怒りで顔を赤くする。
「もう! 信じらんない!」
手で彼を強く叩く。だが、彼は大して気にした様子もなく、
「悪かったよ。で、どう行けばいいんだ?」
本当に悪かったと思っているのか疑問だが、美咲も少々落ち着きを取り戻し、彼に家までの道順を教える。
「えっと……、あーここか。ここは左に曲がって」
「了解」
「ここまで来ればもうすぐだよ」
自分でそう言っときながら、その言葉であることを気づかされる。
「って、もうここ!? さっきまで学校の前の道だったじゃない!」
「気づくの遅いな……。ここにきて天然をぶっこんできたか」
ポケットから携帯を取りだし、美咲は時刻を見る。
「7時45分……。てことは、あれから30分以上経ってるじゃない!」
「まあ、そんなもんだな。そうなると俺も頑張ったもんだ……。30分以上も副会長をおんぶし続けているとは」
湊はわざとらしく盛大に溜め息を吐いて、やれやれと肩を竦めた。色々と湊に迷惑をかけたと思い、美咲は素直に謝る。
「わ、悪かったわね。迷惑かけて……」
「別に気にしねーよ。……けど、その代わり頼みがある」
湊は今まではどこか口調に茶目っ気があったが、今度は真剣実が帯びた。それだけで、これから話すことは重大なことだと分かる。
「なに? 出来ることなら何でもするけど」
「いや、そんな難しいことじゃない。別れる前に言っておこうと思っていたことなんだが……、もし、学校で俺と会っても知らない振りをしてくれ」
「……どうして?」
「どうしてでもだ」
なぜそんなことを言うのだろうかと思ったが、あまり深く考えずに美咲は「分かった」と言った。
それから美咲の家に着いたのは5分後のことだった。
「やっとか……。疲れた」
周りにある家よりも少し大きくて西洋風の家だった。庭には花やら木やらがたくさんあって、家の中は綺麗な灯りが点っている。とても『姫百合美咲』が住んでいそうな家だ。
「なんか小さな城みたいだな……」
「そうかな……? ここまでありがとね。遅くなっちゃったけど、九条くんの家はここから近いの?」
「そうでもないな。こっからだと20分くらいだと思う」
「えっ……!? だ、大丈夫なの? 親とか心配してるんじゃない?」
自分のせいで湊が帰るのが遅くなってしまったのだ。とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「俺一人暮らしだから……」
その言葉に美咲は驚かされた。
桜ヶ丘は進学校だが、一人暮らしをしている人は初めて聞いた。何か事情があるのかもしれない。
「そうだったんだ……。大変だね」
「そうでもないさ。もう馴れた」
引っ越して来て最初の方は自炊とか洗濯物とか、色々と大変だったが、1ヶ月も経てばそんな大変だとは思わなくなった。
「じゃあ俺はこれで」
ポケットに手を入れ、美咲に背を向け立ち去ろうとする。
その後ろ姿はどこか悲しく切なくて、まるで今日のことは忘れろと言わんばかりに訴えてくるようだった。
「あの……、九条くん!」
たまらずに呼び止める美咲。湊は立ち止まり顔だけを後ろへ、美咲へと向ける。
「あ……ううん、何でもない。ごめんね。お休みなさい」
どうしてしまったのか。これ以上彼を困らせてどうするのだ。そんな感情が美咲の中を渦巻いた。
さっき湊の背中を見て感じたことはきっと気のせいだ。そうに違いない。
美咲はそう信じることにして、微笑みながら湊に別れの言葉を言った。
湊は、
「おやすみ……」
それだけを言い、もう振り返ることなく立ち去った。
そして翌日、それは起きた。
「すみません……。どこかでお会いしましたか?」
学校で偶然湊を見つけ呼び止めると、湊は困ったような顔をして聞いてきた。
「え……?」
美咲は呆然とする。
「あの……、用がないなら俺はこれで」
湊は昨日と同じように、美咲の前から立ち去って行った。