第三話 おんぶ
時刻は午後7時すぎ。
外は暗くなり、部活をしている生徒はもう疎らだ。
「副会長、そろそろ帰ろう」
湊はベッドで寝ている美咲の肩を叩く。美咲はゆっくりと目を開ける。
「もう……帰れるの?」
「ああ、もう大丈夫だろ。それに、そろそろここも閉められるかもしれない」
「そうだね」
湊は、ついさっき買ってきた冷たいお茶を美咲に渡す。
「水分とっとけよ」
「あ、ありがとう」
美咲は素直に受けとり、蓋を開け一口だけ飲む。
「気分は?」
「少し寝たからましになった……と思う」
頭を押さえながら言う。だが、やはりまだ辛そうだ。
「やっぱり一人で歩くのは無理そうだな」
美咲はコクッと首を縦に振る。寝たからかは分からないが、寝る前よりも素直になっている。
「じゃあ俺が運んで行ってやる。家って学校から遠いのか?」
「そこまで遠くはないけど、普通なら自転車で通う距離かな……。一緒に来てる友達が歩きだからいつも歩いてるんだよ」
「うーん……、なあ」
湊は考える素振りをして、
「副会長って何キロ?」
すると美咲は「はあ!?」と言い、少し紅潮した。
「な…なにを言い出してるのよ、あなたは!」
そんな美咲の言葉を湊は完全にスルー。
「まあ大丈夫か……。よし、副会長。ブレザー着てくれ」
美咲は寝る前にブレザーを脱いでいた。ブレザーを着て寝るのは寝心地が悪いだろうからだ。
美咲に彼女のブレザーを渡し、美咲はそれを着る。
「じゃあ、俺に乗ってくれ」
湊は腰を下ろす。美咲はベッドに座っているためちょうどいい高さだ。
「ね、ねえ。ほんとにそれで帰るの?」
美咲は顔を紅潮しながら湊に聞く。
「じゃあ逆に聞くけど、一人で帰れんの?」
呆れたような顔をして──美咲には見えないが──美咲に聞く。
「う……」
美咲は湊の質問に唸った。
「ほら」
その口調はまるで早くしろという様な感じだった。
「わ、分かったわよ!」
そして、恥ずかしがりながらも湊の背中に身体を預ける。
自分の胸が湊に当たるのは仕方ないと割り切った。しかし、美咲の胸が当たっているというのに恥じらいもせず、「上がるぞ」と言い、湊が立ち上がったことに少しイラッとした。
「ちょっと! 少しは気にしなさいよ!」
「は? 何を?」
まるで分かっていない湊に、美咲はさらにイラッときた。が、はっきりとは言えず少し口ごもる。
「む……」
「む?」
「む…、胸よ! 当たってるでしょ!」
「? ああ……。そうだな」
今気づいたかのような反応だった。その反応に美咲は怒るよりも少し心配した。
「わ、わたしって胸ちゃんとあるわよね……? 今Cだし……」
とても小さな声でぶつぶつ言いながら、自分の胸を確認するのだった。
何かを言っていたのは聞こえていたが、湊は無視する。
そこでふと美咲は気になったことを口にする。
「そういえば九条くん。荷物は?」
「教室に置いてきた。副会長運ぶなら邪魔になると思ってな」
「あ……。ごめんなさい」
彼に迷惑ばかりかけてしまっていて、とても申し訳なくなり謝った。
「別にいい。財布と携帯あれば大丈夫だろ」
ほんとになんとも思っていないように言い、
「じゃあ行くぞ」
湊は美咲をおんぶして保健室を後にした。
廊下にスリッパで歩いている時の音が響いていたのが止まる。
「到着」
湊は美咲に負担がかからないようにするため、少し遅めに歩き、二人とも、靴箱に着くまで喋らずに無言だった。
「副会長の靴ってどこに置いてあるんだ?」
桜ヶ丘高校は靴箱は一つしかない。一学年約250人いて、その全生徒が同じ場所にある靴箱を使う。つまり何が言いたいかというと、結構広いのだ。
「わたしは2組だから、左から4つ目にあるわ」
靴箱が縦に9つ並んで、1年が左から3つ目まで、2年が4~6、3年が7~9だ。
湊は4つ目の靴箱へと歩き、そこで止まる。そして、ゆっくりと美咲を降ろした。
「スリッパ貸してくれ。副会長の靴箱まで行ってくるから。出席番号は?」
「ありがとう……。26番です」
廊下と靴箱の境目にある段差に座らせ、スリッパを取り、美咲の靴箱に向かった。湊はすぐに見つけ、「これか」と言い、黒のローファーを取って、スリッパをそこに置く。
「これだよな?」
美咲のもとに帰ってきて、靴を彼女に見せた。彼女は「うん」といい、湊から靴を受け取り、自分で履いていく。
「じゃあちょっと待っててくれ。俺も下履きに変えてくるから」
そう言い残して、素早く上履きを下履きへと変えに行く。
湊は1組だから、一番左の靴箱だ。しかも、『九条』だから結構前である。
「お待たせ」
美咲は湊をポケーとして待っていると、ほんの数秒で彼女のもとへ帰ってきた。
「それじゃあ」
湊は腰を下ろす。美咲は「うん」と言い、胸のことはもう気にしてもムダだと分かったので、気にせずに彼の背中に乗る。そして、湊はゆっくりと立ち上がった。
「よっと。……さっきも思ったけど……副会長軽いな。ちゃんと飯食ってんのか?」
「……ちゃんと食べてるわよ。重いより良いでしょ?」
「それはそうだが……」
「なによ」
「いんや、なんでも」
湊はゆっくり歩き出した。美咲は彼の広い背中にもたれ掛かる。なぜか安心できるのだ。湊はそうされても嫌がらない。逆に、もたれ掛かってもらった方が危険も少なく、気にしなくてもいいからその方がいいと思っている。
そうしたまま校舎の外に出る。外は暗いが、敷地内にある灯りで何も見えないわけではない。むしろ明るいくらいだ。
二人には言葉がなく、終始無言だった。だが、その無言は美咲にとっては不思議なことに悪くなかった。
無言と夜の静けさ、そして彼の背中に乗っていて安心したせいか、少し寝たはずなのに強い眠気が襲ってきた。
湊は美咲がうとうとしていることに気づき、
「寝るのはいいが、場所教えてから寝ろよ。そうだな……、最寄駅はどこだ」
「……稲白駅」
「結構遠いな……」
意外と遠かったことに少し焦る。本当に家まで運べるのか不安になってきたのだ。
「まあ分かった。稲白に着いたら起こすから、それまで寝ててもいいぞ」
美咲は小さく頷き、スヤスヤと眠り始めた。