第七話 新居浜秀斗とは
六月の末。
結局、美咲の噂の真偽が分からぬまま一月経った。この頃になると、新入生である一年生もだいぶ学校に慣れ、緩んでくる。それは、湊のクラスも同じであった。
そして、学校に慣れてくると、どの学校にも等しく厄介な存在が出てくるのである。
「新庄くん。ちょっといいかな?」
昼休み。
他のクラスの同じ一年である生徒が、突然このクラスにやって来て、新庄という湊のクラスメイトに話し掛けた。その新庄という生徒は、身体をビクッとさせて、話し掛けて来た生徒の方に目を向ける。
「……な、何かな?」
目を向けてはいるが、目線は下を向いて相手の顔を見ずにいた。
「一緒に来て欲しいんだ」
「ど、とこに?」
「新居浜先輩、……こう言えば分かるかな?」
微笑しながら、先輩なのであろう生徒の名前を口にした瞬間、新庄はまたビクッと身体を震わせた。
「……わ、分かった」
新庄は席を立ち、そのまま彼に話し掛けて来た生徒について行き、教室から出て行った。
その俯いた顔には、隠しきれずにいた怯えが伺えた。
⚫️
「ねえ美咲。その卵焼きちょうだい!」
「いいわよ。はい」
「ありがとう…………美味しい!」
「ほんと、卵焼き好きよね。玲奈」
「いや、違うわ美咲。美咲が作った卵焼きが好きなの。そこのところ間違わないでね」
「はいはい……。ふふっ」
「……美咲。わたしも」
「分かってるわよ。はい、どうぞ」
「いただきます……。おいしい……」
「そう」
湊はもう日常と化したこの風景に疑問を持たなくなった。そんなことよりも、ずっと気になっていたことがあり、昼食もなかなか進まないでいた。
だから、美咲に聞いてみることにした。
「すまん、副会長。ちょっといいか?」
「いいわよ。どうしたの?」
「ちょっと気になることがあってな。……新居浜先輩って知ってるか?」
「………」
湊が新居浜先輩と口にすると、美咲が口を閉じ、驚いたような顔をした。
「なんだよ」
「あ、いや。ごめん。まさか九条くんの口から新居浜先輩が出てくるとは思ってなかったから」
「私もちょっとビックリしたわ。新居浜先輩のことを知っていたことも驚いたけど、まさか九条くんが人に興味を持つなんて思ってなかった」
二人の口ぶりからすると、どうやら二人は新居浜という生徒を知っているようだ。
「新居浜先輩ってどんな人なんだ?」
「新居浜秀斗先輩。まあ一言で言うなら、温和怜悧……かな」
「秀外恵中でもいいわね」
「わざわざ難しい言葉をどうもありがとう」
温和怜悧。つまり、優しくて頭が良いということ。
「副会長が先輩って言ってるってことは三年か」
「そうよ。因みに新居浜先輩は三年でずっと主席よ。だから、学年が違うわたし達でも知ってるってわけ」
確かに、温和怜悧なだけで美咲が覚えているということもおかしい。美咲は基本、覚える側ではなく、覚えられる側だ。常に男に見られているから、一々男のことなんて覚えやしないだろう。
しかし、それはおかしい、と湊は疑問に思う。おかしくない訳がないのだ。
「実は俺がここに来る前にな、違うクラスの一年が俺のクラスのやつに、新居浜先輩が呼んでるから来いって言って連れて行ったんだ」
「へぇー、そんなこともあるんだね。あんまり聞かないけどな〜」
まだ記憶に焼き付いている。あの新庄という生徒の教室を去る時の表情。あれは恐怖だ。おそらく他の生徒は気付けなかっただろう。俯いていて、どんな顔をしていたのかさえほとんど分からなかったはずだ。
しかし湊は気付いた。いや、思い出したと言うべきか。その表情を。湊は見たことがある。俯き、恐怖を隠そうとしている時の顔を。
「でも、先輩に呼ばれただけでしょ? そんなに気になること?」
「……そうだな。忘れてくれ」
普通なら玲奈の思ったことが正しい。普通なら。なにも知らなければ。
しかし湊は確信していた。新居浜秀斗という先輩は裏の顔がある、と。でなければ、あんなに怯えるわけがない。
だが、それが分かったところで自分にどうしろと言うのか。助ける? 見ず知らずの生徒を? なら見捨てるのか? しかし見捨ててしまえば、同じ誤ちを繰り返してしまうことになる。
昼休み中、湊はそうやってずっと葛藤を繰り返すのだった。




