第三話 誓い
ピンポーン。
家の呼び出し音が鳴る。その音で湊は目を覚ました。もう一度、呼び出し音が鳴る。こんな朝早くに何故、と数秒考える。そして思い出した。
そういえば今日だったなと。
「九条くーん。開けてー」
玄関の外から声がする。
湊は、もう少し寝ていたい気持ちを抑えて玄関の前まで行き、ドアの鍵を回して、外にいる人物を招き入れるため、ドアを開ける。
「わり、今起きた。とりあえず入ってくれ」
そこには、やはり予想した人物、美咲とその他二人が立っていた。
「もう…、なにやってる…」
先頭に立っていた美咲の言葉が途中で止まる。なぜかその答えは美咲の視線の先にある。
そこには──
上半身裸の湊がいた。
「あ、どうしたんだ。副会長」
美咲は開いた口が塞がらずに、そしてなぜか視線を逸らすことも出来ずに湊の体育会系のような肉体を凝視していた。
「どうしたもこうしたも……、君のせいだよ」
人形のように固まって動かない美咲の横から玲奈が、やれやれと言ったように発した言葉だったが、言っている意味がわからないと湊は首を傾げる。
「服はどうしたのさ」
「寝る時はいつも脱いでるんだよ。暑いし…て、まさかそれで固まってんのか?」
「そういうこと」
はあ…?
それこそ意味がわからないと湊は思った。
「別に見慣れてないことないだろ」
「それがそんなこともないんだよね〜。美咲は。それに君は筋肉もついていて、いい身体してるしね」
玲奈も改めて湊の上半身を見る。彼の身体は本当に女からしたら理想的に映るかもしれない。実際、美咲には悪いと思ったが、玲奈だってカッコいいと思ってしまった。
余分な脂肪は一切なく、腹筋はシックスパック。胸は硬そうで、厚みがある。しかし、いわゆるマッチョと言われるような感じでもない。きちんと鍛えているようなスポーツマンのような身体なのだ。そんな身体を見せつけられ、固まる美咲も致し方ないだろう。鼻血を出さないだけまだマ……、いや──
「きゃっ……!!、美咲、血が!! 固まったまま鼻から血を流してる!」
やはり、鼻血を出してしまったのだった。
「ほんと、忙しいやつらだな」
ひと段落ついたところで、湊が面倒くさそうにそう言った。今はきちんと服を着ている。
「ご、ごめんなさい……」
美咲が、ソファーに座ってシュンッとしながら謝った。
「まあいいけど」
ところでさ、と玲奈が話を変える。
「なんか質素だね……、家具と言えるものだって、ソファー、後は冷蔵庫しかないじゃん」
そのことでようやく、美咲も部屋を見渡し、湊の部屋の異常なほどの家具の少なさに眉を顰めた。
「そういえばそうね。ベットとかも無いみたいだし……。本当にここに住んでるの?」
「そんなことか……。寝る時はソファーで寝ているんだ。余り金を使いたく無いんでな。必要なもの以外は買ってないんだよ」
「ダメだよ、そんなの。親御さんに頼めばいいじゃない。お金が無いんだったら」
ただ何気なく放った言葉。しかし返ってきた言葉に絶句する。
「親か……。俺に親なんていない」
───えっ?
すぅーと顔から色を無くした。
親がいない……? それはいったいどういうこと? まさか……。
「ご、ごめん……」
「お前、なんか勘違いしてるぞ。別に死んだんじゃない」
美咲が申し訳なさそうに謝ったことに、湊は頭を振る。美咲は湊の両親が死んではいないという事に心底ほっとしたが、ならば親がいないとはどういうことなのかと首を傾げる。
「じゃあ親がいないって……」
「……俺のことはどうだっていい。そんなことより学校に行かなきゃいけないだろ。準備していいか?」
話題を変える。
やはり、湊は自分のことを話そうとはしない。自分のことを話そうとはしないから、彼のことを知るには自分から彼に突っ込んで行かなくてはならない。
が、湊が言うように学校に行かなくてはならない。遅刻はしないだろうがのんびりしていると、そうならないとも限らない。だから今は聞かないでおこう。
美咲たち三人はそう結論に至り、湊の話に合わせることにした。彼女たちが今日のことを聞くのはまた後日のことである。
⚫️
いつもの屋上から、運動場を俯瞰する。ギャーギャー騒ぐ生徒たちが楽しそうしているのが、湊には眩しく映った。
どうして寝転がっていたのを身体を起こして、この景色を見ようとしたのか。自分もあそこに混ざりたいと、友達と楽しく話していたいとそう思ったからだろうか。
自分がこんなこと思うのは許されはしない。しかし、やはりまだ未練があるのか。高校入学したての頃だったら、こういう気持ちになることは決してなかったはずだ。断言できる。
「──ほんと……」
首を振って、俯瞰するのをやめ、さっきまで寝転がっていた場所に戻ろうと歩いた時、屋上の扉が開いた。
「やっぱりここにいた!」
両手を腰に当て、頰を膨らました美咲がそこにいた。
「なんだ、副会長か」
「なんだ、じゃないわよ。ダメだって言ったでしょ? 屋上に来るのは!」
美咲が湊の方へのっそのっそと歩いていく。
「ほら、戻るわよ。せっかくの体育祭が台無しじゃない!」
「俺が戻ったところで、むしろクラスの雰囲気を悪くするだけだ」
「またそんなこと言って!」
ふと湊は思う。
どうしてこの女はこんな俺をこうも気にかけるのか、と。俺が彼女にしたことなんて、ちっぽけなことだ。しかも単なる気まぐれに過ぎない。それなのになぜ、手を引こうとするのか、と。
「なあ、アンタにとって俺ってなんなんだ?」
「えっ!? ど、どうしてそんなことを聞くの!?」
思いもしない湊からの質問に面食らい、少々顔を赤く染める美咲。
「ただ思っただけだ。偶々知り合った年下の異性。たったそれだけにしては気をかけ過ぎじゃないか?」
「な、なんていうか、ほっとけないんだよ。うん」
「ほっとけない、か。たとえそれが、友人を見捨てたやつでも……か?」
美咲はこの話がまた、湊のことについて知るものだと理解し、真っ直ぐ湊の目を見た。今すべき行動は恥じらいなんかではない。真剣に湊と向き合うことだ。
「何か理由があったんでしょ?」
「理由があろうがなかろうが、友人を見捨てたことに変わりない。それともアンタは、理由があれば友人を見捨ててもいいと思っているのか? 例えば、安藤玲奈とかな」
「そ、それは……」
美咲にはその問いに答えることが出来なかった。理由があったところで、美咲には玲奈を見捨てることなんて出来ないと思ったからだ。
「で、でも九条くんは簡単に友達を見捨てるなんてことしない人だって、強い人なんだって知ってるよ」
そう。美咲は知っている。
湊は見捨てずに自分を助けに来てくれたこと。一人で三人組のナンパ男達を撃退してくれたこと。美咲は知っている。
だがそれは──
「当時の俺はそんな大層な奴じゃなかった。弱くてちっぽけなただのガキだったんだ。前にも言っただろ。守りたい奴も守れなかったって。お前を助けたのだって、ただの自己満に過ぎない。過去の自分が出来なかったことが、今の俺には出来るんだってな」
湊はそこまでを口にし、横を向いて運動場を悲しそうに見下ろした。その横顔に酷く胸が痛くなる思いだ。
──知りたい
ただ純粋な興味とかではない。そんな無粋なことは思わない。心の底から知りたいと、そう思ったのだ。
湊にいったい何があったのか。これまではだんだん知っていければいいと思っていた。しかし今は違う。
今、知りたい。
「ねえ、過去にいったい何があったの?」
湊はゆっくりと運動場を見下ろすのをやめて、美咲を視界に入れる。
「アンタに俺のことをどう思っているか聞いておいて、こう言うのはふざけてると思うが……、アンタには関係ないことだ」
湊はゆっくりと歩き出し、美咲の横を通り抜けようとした。
「待ってッ!」
だが、美咲が湊の前に両手を広げて、その行く手を阻んだ。
「どいてくれ。やっぱり俺はお前と一緒にいる権利はない。お前が俺を本当はどう思っているか知らないが、俺じゃない男ともっと仲良くなったほうが──」
パーーン!
そんな音が木霊した。それの音の正体は、美咲が湊の頬を叩いた音だ。
「てめ……っ!?」
数秒呆然としていたが、何をされたのか理解すると美咲を睨む。が、すぐに湊は驚愕の表情を浮かべた。
美咲が、泣いていたのだ。
「どうしてそういうこと言うの? わたしといる権利がない? そんなの、キミが決めるんじゃない! そうやって理由を無理やり作って、ただ逃げてるだけじゃない! 一緒にいるかどうかはわたしが決める。わたしが自分で決める!」
泣きながらも、キッと湊を睨むその眼差しには、怒りや悲しみが宿っていた。されど憐れみはない。
美咲は、それにと続ける。
「わたしも前に言ったはずだよ? 一人で抱え込まないでって。わたしが支えるって。もう何があったのかなんて聞かない。だけど、そうやって過去に一人で縛られたまま生きて苦しくなるなら、わたしに話して。それだけで、少しは楽になるかもしれないから。キミが全部話してくれるまで、わたしはキミを離さないから。それでもいいんだったら、どうぞご勝手に」
「……なんだよ、それ……」
無茶苦茶だ。横暴にもほどがあるだろう。
だけど、
「……確かに、理由を取り繕って逃げようとしていた、な」
過去を理由にして、まだ少し瞳が潤んでいるこの少女を拒絶し、自分から引き離そうとした。傷つけないようにしようとした行為が逆に彼女を傷つけた。また同じ過ちを繰り返した。
だけどまだ、まだ間に合う。
だから──、
「初めてだな。副会長が泣くのを見たのは。今、結構ひどい面してるぜ?」
「う、うるさいわね! いったい誰のせいだと……」
湊は美咲が言い終わる前に、指で美咲の涙を優しく拭いた。
「ああ。俺のせいだな。悪かった。もう泣くのはやめてくれ」
涙を拭き終えると、湊はふっと微笑む。
「姫百合はやっぱり、泣いてる顔より、笑ってる顔の方が何倍も可愛いから」
「そ、そんなこと……」
すっと、美咲は顔を伏せた。今の自分の顔を見せたくなかったから。だって……、見られたら恥ずかしいから。今、わたしの顔はとても赤くなっているはずだから。とても、湊に見せることが出来るような顔ではない。
そう美咲は思った。
「なあ、姫百合。お前っていつも人に我が儘押し付けてるのか?」
「我が儘を押し付けたりなんかしたことない……」
「ふーん、そうか。なら……、俺が初めてか」
また湊は笑う。
「そ、そうよ……! 悪い!?」
「思ったんだが、姫百合って俺のこと好きなの?」
「なっ……!?」
いきなりな言葉に、思わず真っ赤に染まった顔で湊を見る。
「ち、違うわよ、バカ! 勘違いしないで!」
「……そんな全力で否定しなくてもいいと思うんだが」
「うっ……」
つい思わず否定してしまった。ばかばかばか、と心の中で自分を罵倒する。好き、とは断言できない。恋愛初心者の自分だ。この感情が恋なのかが分からないのだ。ただ、湊に対する思いが募っていっているのは確かだ。その理由も明確である。
最初は少しだけの興味だった。
今まで会ってきた異性とは違う、少し不思議な年下の男の子。年上に対する礼儀は知らないし、タメ口だし。けれど、その興味が他の感情に昇華された。そのきっかけはやはり、ナンパを撃退したことだろう。頼る人がいなかった時に助けてくれて、カッコいい姿を見せられた。
すごく単純だ。なぜ他に気になる男とか出来なかったのか不思議なくらい。こんなにも単純に男を気になってしまうのかと自分に呆れるくらい。でも気になってしまったものは仕方がない。
そして、ついこの間のこと。
湊の苦悩を知った。何があったのかは分からない。それでも過去に何かがあったのは分かる。だから、自分が支えることで少しでも助けてあげたいと思った。前に湊に助けてもらったみたいに……。
「そ、その好きとかじゃなく……」
「分かってるよ」
美咲が自分の気持ちを言葉に表すことができないでいると、湊が苦笑し遮った。
「顔熱いな。照れてんのか?」
また俯いてしまっている美咲の頬に手を当て尋ねた。
「……だって、九条くんがいじめるから」
恥ずかしくてまともに湊を見れなくて、上目遣いにか細い声で言う美咲が、女に興味がないと言っていた湊ですら凄く可愛いと思ってしまった。
(これはさすがに……、破壊力があるな)
今までにこんな美咲を見たことがあるやつがいるだろうか。今の美咲を玲奈が見れば、可愛すぎて鼻血を出してしまうかもしれない。
(少し、耐性があってよかった)
でないと、やばかったかもしれない。常人なら理性を抑えきれず、手を出しかねない。それほどまでの、可愛さという暴力。
「さ、さて。そろそろ戻るか」
理性が崩壊する前に、ここを離れたい。
「え、あ、そうだね」
美咲も自分が湊を連れ戻しにきたのだと思い出し、我に帰る。そして、二人並んで屋上を後にした。




