第十二話 友達とは
肩に触れようとしていた男の手が、パチンっという音と共に明後日の方向へ飛び、触れられるはずだった肩ではなく、額にふわっとした感触がしてそのまま少し後ろに体重を乗せられたが、後ろへ倒れることなく何かに押さえつけられた。
「お前らさ、いくら可愛いからって少し触りすぎだと思うぜ?」
その少し低い、だけど落ち着くような声に聞き覚えがあった。美咲は首を少し横に回し、目を上に向ける。
そこには──
「九条くん……!」
湊がいた。
美咲は心底ほっとする。湊が助けに来てくれたのだ。彼がどうやってこの状況から助けてくれるのかは分からないが、なぜか彼ならどうにかしてくれる、そんな気がした。
「そこのお前も腕を離してくれると嬉しいんだがな」
湊は美咲の腕をずっと掴んでいた男に言う。だが、突然やって来た湊の言うことなんて聞くはずもない。
「誰だテメェ」
さっきまで紳士的な口調だった男が暴力的な口調に変わった。その口調に怯むこともなく湊は肩を竦めて、
「誰って、そりゃお前決まってんだろ…………、ボッチだよ」
「…………」
しばらく全員が沈黙した。
「あー……、なんか悪いな」
「いや、気にするな」
冗談と取れてもよかったのだが、なぜか真実味を帯びていて、つい聞いた男が謝ってしまった。
「で、そのボッチがいったい何しに来たんだ?」
「手を離してくれたら話すよ」
美咲の腕をつかんでいる手を見ながら呟いた。男は躊躇うこともなくすぐに離した。
「これでいいか?」
「ああ。……じゃ」
もうすでに湊たちは男たちに囲まれていたので、湊は美咲の腕を掴んで堂々と先ほどまで話していたやつの横を通り過ぎようとする。が、もちろんそんなことは許されない。
「逃がすわけねぇだろ」
湊たちの進行方向に回り込み通させない。湊は溜め息を吐いて、
「仕方ないか」
美咲の腕を引っ張って、そのままさっきのように額に手を置き、美咲の頭を胸に押し当てるようにした。
「こいつ、俺の女なんだ。だから貸すわけにはいかないんだよ。悪いな」
嘘っぱちだ。だが、ナンパ撃退法としてはこの嘘が一番効果的だろう。しかし、この男たちに普通のナンパ撃退法が通じるかというと、
「だったら、今日からその女俺のモンにしてやるよ」
そうでもないのだ。湊も多分ダメだろうなとは思っていた。なぜなら逃げても追いかけてくるストーカーだ。そんなやつらが今さらこの程度で諦めてくれるとは到底思えなかった。
「それは無理だな。コイツ俺にベタ惚れだから」
「どうだろうなあ。例えばここでお前がボコボコにされてかっこ悪いところ見せられたら幻滅するとか、な?」
へへっ、と言って三人の男はよりいっそう湊を囲むようにする。湊は再び溜め息を吐く。
「出来れば穏便に済ませたかったんだがな……。仕方ないか」
やれやれと首を振り、湊は美咲を解放した。
「副会長、危ないからちょっと離れててくれ」
湊の言葉通りに離れたが、湊を潤んだ瞳で心配そうに見つめる。
「大丈夫だ。すぐ終わる」
美咲を安心させる言葉を聞いて、男が、
「ずいぶんと余裕じゃねぇか。こっちは三人だぜ、俺たちに勝てると思ってんのか?」
「さあ、どうだろうな。けど、一人だろうが三人だろうがそんなに変わんねぇだろ。お前ら弱そうだしな。それに、知ってるか? 弱いやつほど数に頼ろうとするんだぜ」
「舐めやがって!」
上手いこと挑発に乗ってくれた。さすがに、一人で三人を相手にするのは分が悪い。だから、湊はわざと相手を逆撫でするようなことを言って挑発したのだ。
長身の男が湊へと殴りかかってくる。だが、頭に血が上っていて、パンチが単純で軌道が読みやすいので防ぐ事など容易だ。
左手を自分の身体の前へと持ってきて、男が殴りかかってきた右腕の手首の辺りを左手の甲で、ただ軌道を逸らすだけの最小限の動きで、内側から外側へと弾き、湊の顔を狙った拳は左耳の横を通りすぎていった。
と、同時に、湊は三人が戦意喪失するような一発を繰り出す。つまりは脅しだ。
左足を一歩踏み出し、その左足を軸にして思いっきり右足を蹴り上げながら身体を左に回転させ、男の頭を狙う。
「へっ……?」
男からしたら気がつくと頭のすぐ左横に足があったのだ。戸惑うのも無理はない。それくらい湊の蹴りは速かったのだ。
「良かったな寸止めで。もし当たってたらどうなっていたことやら。気絶だけで済んでたらいいな」
足を下ろしながら湊がそう言い、やっとのことで男は状況を理解した。拳は防がれ、カウンターで蹴りが頭へと、それも尋常じゃない速さで跳んできたということに。
もし当たっていたらどうなっていたか想像して、男はドッと冷や汗を流し、気がつくと腰が抜けその場に尻から倒れ込んでいた。
湊は髪を掻き上げ、ギラリと他の二人を一瞥する。明らかに先程までとは別人で、オーラのようなものが身体から出ていた。それは、目には見えないものだ。だが、その二人には感じることが出来た。殺気とでも呼べる何かを。
「さて、あと二人。どうする? 別に見逃してやってもいいが……」
そこまで言って、湊は口を閉じた。
だが、二人にはその言葉の続きがはっきりと分かった。
──かかってくるならば、容赦はしない。
二人は恐怖した。まあ、目の前であんな高速ハイキックを見せられたら怯えない方がおかしいかもしれない。
「「すすすすみませんでした!!!」」
二人はものすごい速さで倒れている男の腕を自分の肩に回し起き上がらせ、絶妙なコンビネーションでこの場から消えた。
「なんとか上手くいったようだな」
男たちが消えたのを見計らって湊はほっと息を吐くと、美咲の方に向く。そこには唖然としている美咲の姿があった。
「もう大丈夫だぞ」
「九条くんって、空手でもしてたの?」
「いや、武術とか習ったことないな」
「ふーん……。喧嘩、強いのね」
「そうでもないさ。ただ脅しが利いただけだ」
へぇーと疑わしげな目を向けながらも美咲はきちんと言うべきことは分かっている。
「ありがとうね、九条くん。助けに来てくれて」
「まったくだ。あー、疲れた。助けたお礼にアイスか飲み物、驕ってくれ」
「え……?」
「え?じゃねえよ。家から全力で走ってきたんだぞ、こっちは。身体が暑くてしょうがない。汗もすっげーかいたし」
制服のシャツを引っ張ったり緩めたりして風を起こし、わざとらしい仕草を見せる。
「お、女の子に驕らせるつもり?」
「仕方ないだろ。俺、財布持ってきてないし。あー、暑い。これも全部お前のせいだぞ」
「なっ……!? だ、だって仕方ないじゃない! 怖かったんだもん」
「そりゃ、追いかけられたら怖いだろうな。分からんでもない。けど、もっと良いナンパのあしらい方とかあんだろ」
「そんなこと言われても……、知らないわよ」
「はあ?」
湊はジトーと美咲を、何言ってんだこいつ、みたいな目で見た。
「いつもナンパとかされてんだろ」
「いつもされてるわけじゃないわよ。それに、玲奈が上手いことあしらってくれるもの」
なるほど、と湊は思った。確かにあいつなら上手くやりそうだと頭の中で今日会ったばかりの女の姿を思い浮かべる。
「それに男の人はちょっと怖いから……」
「……? おいおい、あんた彼氏とかいんだろ? 何で怖いんだよ」
美咲の発言を聞いて、湊は驚いたというよりも彼氏がいてそんなこと言って良いのか?というものだった。
だが、湊の思いは全くの的外れ。
「何決めつけてるのよ。彼氏なんていないわよ」
「……それは知らなかった。けど、今はだろ?」
美咲は眉をひそめた。
「今までによ!」
「え……」
湊からしたら本当に意外だった。いや、湊じゃなくても驚くだろう。学校であれだけモテているのだ。誰だって男と付き合ったことがあると思うはずだ。
「俺はてっきりもう何十人と付き合ったことあんのかと」
「ひどいわね! いったいわたしのこと何だと思ってるのよ」
「経験豊富なお嬢さん」
「ケイケン……?」
湊の言った言葉の意味が分からなくて首をかしげ考え込む。そして、ハッとなって顔を赤くする。
「もう最低……! そんなわけないでしょ! 九条くん、わたしのことそんな風に思ってたわけ?」
頬を膨らませてプンッと顔を横に向けた。その美咲の姿を見て、少しからかいすぎたかと思い顔をほころばせた。
湊は美咲の頭にポンポンと手を乗せる。
「冗談だ」
「もう……」
頰を膨らませたまま、湊を睨む美咲。しかし効果がないと分かったのか、息を吐いて、
「……一つだけですからね」
「えっ……?」
「飲み物、欲しいんでしょ?」
「あ、ああ……」
「言っときますけど、貸しですからね! ちゃんと返して」
まさか、本当に買ってくれるとは思っていなかった。貸しだが。そこまで本気で言っているわけではなかったのだ。だけど、買ってくれると言うのならば買って貰おう。本当は貸しではなく奢りの方が湊は良かったが。
貸し、それはつまり返すためにまた会いに来いと暗に言っているのだ。だが、それも仕方ないかと割り切る。
「分かった」
「それじゃ、行きましょうか」
美咲は湊に背中を向けて歩き出す。その迷いなく歩く姿を見て湊は思う。
道を分かっているのか、と。
たしか電話してきた時、どこか分からないと言っていたはずだ。ならば、どう行けば良いのかも分からないはず。湊がそう考えていると、
「何してるの、九条くん。置いてくよ」
美咲がいつまでも立ち止まっている湊を訝しんだ。
「なあ、副会長」
「なに?」
「お前……、コンビニまでの道分かってんの?」
そう言われた瞬間、美咲の動きが止まった。全く微動だにしない。その反応を見て、
「やっぱりか……」
はあ、と溜め息を吐いた。
「バカだろ」
美咲はその言葉に胸を抉られ、うぐっと唸り、胸を押さえる。
「まあいい。少し戻ることになるがいいか? 俺がここに来るときに見かけたんだ」
コクっと頷く。
「よし、こっちだ」
美咲がさっき行こうとしていた道とは反対の道へ湊は歩き出す。美咲もその後ろについていく。と、湊が何かを思い出したかのように突然立ち止まった。
「言い忘れていた」
湊は振り返り、美咲の澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめると、
「もうこれから、一人で帰るな。遅くなるから遠慮してたんだろ? だけど、そんなのあんたが勝手に決めつけてるだけだ。友達なんだろ? 本当に友達なら、そんなの迷惑なんて思いやしない。本当の友達はそんなので関係が崩れたりしない。もしそんなので崩れるならそれは偽物なんだよ。偽りなんだ……。だから、もう迷惑だなんて思わず一緒に帰れ」
湊にとっては珍しく、長々と一気に喋った。
「で、でも……」
「い・い・な!」
美咲の額に人差し指を押し付け、反論はさせないぞ!と言うように一音一音区切る。
その言葉に圧倒されて、
「う、うん」
素直に頷いた。
「よし」
それだけ言うと美咲の額から指を離し、今度こそコンビニに行くため美咲に背を向ける。
離れていく背中をただ昨日のように見つめていると、「何してる」と立ち止って湊が再度振り返った。美咲はハッとなって、慌てて小走りで湊に追い付く。
そのまま、湊の横に並ぶ。
湊はポケットに手を突っ込んで気だるそうに、美咲は微笑みながら弾むような歩調で、二人一緒にコンビニへと歩き出した。




