第九話 鬼ごっこ
太陽が沈み、暗くなった道を美咲は歩く。時刻は午後六時半を過ぎた頃。学校を出てから約二十分が経っていた。
「当然と言えば当然だけど、今日は早く終われて良かったな……」
結局、不備があったといってもそんなに大したことではなかった。改善しなければならないところを改善し、そしてもうおかしな点はないか、何回も確認した。だから、今度こそしばらくは生徒会の仕事はないはずだ。
「さすがに今日は九条くんいなかったし……」
玲奈とゆいにはいつものように帰ってもらったから一人で帰らなければならない。それは重々承知の上で一人で帰ると言っているが、やはり一人で帰るというのは慣れない。故に、生徒会の仕事が終わって、もしかしたら湊がまた学校に残っているかもしれないと考え、いるなら屋上かなと思い、屋上に行ってみたのだが案の定誰もいなかった。
「でも、どうしてわたしは九条くんを……?」
昨日からずっとそうだ。彼のことがどこか気になる。それは、好きだとかそういうことではない。昨日初めて会って好きになるとかそんな恋しやすいタイプでは断じてない。むしろ恋しにくいタイプだ。
その証拠に今まで恋など一度もしたことがないのだ。告白はされたことあれど告白をしたことがない。相手のことを何も知らずに好きになるなんてありえない。今まで告白をしてきた人はただ顔を見て、仕草を見て、好きだという。そんなのはまやかしだ。ただの幻想だ。あんな高嶺の花と付き合ってみたい。キスしたい。ヤりたい。ただ、それだけだ。内面なんて見ようとしない。美咲の何も知ろうとしない。
だから、美咲は彼らと同じことはしたくない。相手のことを何も知らずに好きになろうなんてしない。まずは、誰かと関係をもったならば相手のことを知る。それを肝に命じている。
故に湊のことも知ろうとした。なのに、彼のことは何一つわからない。まだ昨日会ったばかりで、分からないのも当然だと言われればそれだけかもしれない。しかし、あまりにも分からなさすぎる。
人と関わりたくないと言っておきながらリスクがあると分かっていて、美咲が倒れそうになったとき手を差し伸べ、その必要がなくなれば手を離し、差し伸べたことすら無かったことにしようとした。いったい何を考えているのだろうか? そもそもなぜ美咲を助けたのだろうか? 湊も他の男と同じように美咲と話したかったからなのだろうか?
そう考えるも、それは違うだろうと首を振る。湊はそういう目をしていなかったのだ。相手のことを知ろうとしてからは、美咲にはそういうのが分かるようになった。なら、どうしてだろう。もともと知り合いだった? いや、九条湊という名前に覚えがない。
と、そこで美咲は思考を止めて、頭を振る。考えても仕方がない。分からないものは分からない。これから知っていけばいい。そう考えた。
しかし考えないようにすればするほど、考えてしまうというのが人間というものだろう。そのまま美咲は深い思考の海へと沈んで行った。
──だから数メートル先にある路地裏から曲がってきた三人の男たちに気付くのが遅れた。
そして、気付いた時にはもう遅かった。
「ねえねえ、キミ可愛いね。今一人?」
三人のうち、一番背の高い男がベタなセリフで美咲に話しかけた。美咲は突然だったこともあり、戸惑い黙る。
「俺たちと遊ぼうよ」
「退屈させないからさ」
残りの二人も下卑た笑みを浮かべながら言ってきた。
「ご、ごめんなさい……」
生憎と美咲はナンパ師をあしらう術を持っていない。だが、それも当然だろう。なぜなら今までは一人で外にいることはほとんどなかったからだ。学校から帰るときも中学の時からは玲奈とゆいと帰っている。
玲奈とゆいと帰ってきているということは必然的に一人になるときはある。しかし、それはほんの短い時間だけだ。もちろん、三人と一緒にいるときもナンパされたことはあるが、玲奈が上手いことあしらってくれていたのでなんとかなっていたのだ。
「まあ、待ちなって」
俯きながら、彼らの横を通り過ぎようとしたが、最初に話しかけてきた男に右腕を捕まれ止められた。
「そうだよ。ちょっとくらいいいじゃん」
「そうそう」
美咲の前へ回り込んで、二人も未だに下卑た笑みを浮かべながら話す。
「ひ、人と待ち合わせてるので……」
咄嗟にそう虚言を吐き、捕まれている腕を振りほどこうとしたが、男はそれでも逃がそうとせず放してくれなかった。
「は、放して……!」
「どんなやつと待ち合わせしてるか知らないけどさあ、絶対俺らの方が楽しいって。ね?」
へへへと他の男たちも卑しく笑う。恐怖が身体中から沸き起こる。
「い、いや!」
左手に持っているカバンを身体を捻って腕を掴んでる男の顔に当てる。
「おっと」
男は急に迫ってきたカバンを、腕を放して一歩後ろに下がってかわした。腕を解放された美咲は後ろを振り返ることなく必死に走り出した。
「いけね、つい放しちまったぜ」
その声は残念がっているように聞こえず、むしろ喜んでいるようですらあった。
「あーあ、何やってんだよ。もったいねえ」
三人の中では一番身長が小さいやつが呆れたように咎める。この三人はとても区別がしやすい。はっきりと身長が大中小と別れているからだ。
「あん? 何言ってやがんだ。追いかけるに決まってんだろ」
「は?」
「あんないい女なかなか会えるもんじゃねぇよ。追いかけるのも余興の一部ってな。怖がる女ほど最高なもんはないぜ。それにここら一帯は好都合なことに人気が少ない」
そう言って、美咲を追いかけるために三人は走り出す。ただし、全力ではなく速度を抑えて。
「鬼ごっこかい? 可愛い子ちゃん」
三人の男の中の身長が大が声を張る。その声は美咲にもきちんと聞こえた。後ろを振り返り、ゆっくりだが走ってきている男たちの姿を確認する。
「……えっ?」
戸惑いが顔に現れる。まさか走ってでも追いかけてくるとは美咲は思っていなかった。そこまでして、男たちの言う『遊び』を美咲としたいのだろうか。
恐怖が募る。
(どうすれば……)
走りながら必死にこの状況をどうにかする方法を考える。
(曲がらなきゃ)
たとえ男たちが力を抜いて走っているとしても、このまま真っ直ぐ走っているといずれ捕まる。だから手当たり次第曲がるのが今は最良の手だ。
曲がる。曲がる。曲がる。
振り返らなくとも、後ろから聞こえてくる足音で撒けていないのが分かり、だから撒こうと必死に曲がった。どのくらい曲がったのかは分からない。だけど、さっきまで聞こえていた足音が今は聞こえなくなった。
(このまま逃げる……? それとも……)
このまま逃げるのもいいが、本当に逃げ延びれるのだろうか。ジリ貧ではないだろうか。あの男たちは本気で捕まえようとしていなかった。じわじわと美咲を追い込んで楽しむように。その行動が、あの男たちが本気になればすぐに捕まるのではないか、という思いを美咲に抱かせていた。
(捕まるなら、隠れてた方がいいよね……。でもずっと隠れてても見つかるし。誰かに助けに……)
首を振る。
(とりあえず今は隠れなきゃ。助けはその後)
辺りを見渡す。隠れることができて、かつ見付かりそうにない場所を。だが、そんな隠れるにはもってこいの場所などそう都合よくは無い。
しかし、一つだけ隠れられそうな場所ならあった。
(一か八か……)
ベタだが、建物と建物の間に少し隙間があり、そこに室外機がある。その室外機の後ろに隠れて過ごすという考えだ。だが、それは見つかる可能性が高く、本当に賭けだ。しかしもう、賭けるしかない。
美咲は室外機に脚をかけ登り、建物と建物の間をすり抜ける。そして室外機から降りて、出来るだけ小さくなり凭れ掛かる。
すると、ふと手に持っていた鞄が目に入る。
(誰かに……)
ゴソゴソと鞄の中を漁り、すぐにスマホを見つけ、ラインを開く。一番最初に助けを求めるのは両親だろう。だが、美咲はあまりにも人が好すぎた。両親に心配をかけたくないのだ。いや、母親にだ。父親にだったら助けを求めていたかもしれない。だが、父親は単身赴任で家にはいない。
だから、一番最初に電話をしたのは──
「お願い出て、玲奈!」
──トゥルルル、トゥルルル
しばらく呼び出し音が鳴り続けていたが、玲奈が電話に出る気配がない。電話を切り、次はゆいを呼び出す。
しかし、結果は同じだった。
二人とも電話に出られないのは一時的なものだろう。しばらくたちもう一度かければ出るかもしれなかったが、恐怖でそんな時間を待っている余裕はなかった。
「だ、だれか……!」
ラインの友達リストをスライドさせ、必死に助けてもらえる人を探す。そして、何回目かのスライドをしようとして、ある名前が一瞬目に映り、美咲の指がピクッとして止まった。
少し悩んだが、恐怖に早く解放されたいという気持ちに打ち勝つことは出来ず、その名前をタップして電話をかける。
(出て……!)
数秒間、携帯を耳にあて呼び出し音を聞きながら、必死に祈る。その数秒が永遠にも思われた。ずっと鳴らすが、しかし出ない。
(やっぱり────)
だめかと思い、切ろうと耳から携帯を離そうとした瞬間だった。呼び出し音が止まった。
スマホから美咲の耳に声が届く。
『いったいなんの───』
「助けて、九条くん!」
電話の相手、湊の言葉を遮り、助けを求めた。
『……ッ!』
電話越しでも一瞬、何故だか湊が息を呑むのが分かった。だが今は理由なんてどうだって良かった、助けてくれるのならば。
『どうした?』
「男の人たちがずっと後ろから追いかけてくるの! 逃げてもだめで……。 わ、わたし、怖くて……!」
言っていて目から涙が零れてくる。泣いていることを湊に気付かれないようにしようとしたが、その努力も虚しく、すぐに気付かれた。
が、湊はその事実を口にするような野暮なことはしなかった。
『れっきとしたストーカーだな……。……そうか、よく頑張った。すぐに行く。今どこだ?』
「それが……、分からないの。無闇矢鱈に走ってたから」
『周りに目印とかないのか? とにかく、今いる場所が分かればそれでいい』
「……、いち……う」
小さな声で美咲は何かを思い出したように呟いた。その言葉は湊には聞こえない。
『なんて?』
「位置情報!」
『位置情報……? まあいい。場所が分かるならそれで』
「うん……」
『じゃあ切るぞ。待ってろ。それとも電話してた方がいいか?』
「ううん、……大丈夫」
『よし、また後でな』
電話が切れる。すぐに、湊へ位置情報を送る。後はもう、湊が来るのを待つだけ。
美咲はスマホを両手で握りしめながら、湊が来るのをずっと待ち続けた。
彼が来るのは15分後のことだった。




