村娘Cと掟
いつもと変わらない情景が広がっていた。その情景の片隅に自分が突っ立っている。あまりにも見覚えのある情景にこれは夢だろうと、悪夢だと言い聞かせる間もなく今晩も夢の続きは始まった。
「国を揺るがす国賊に厳正な裁きを!」
「今尚騙され、信じ続ける少女に救いを!」
アップルグリーンの髪色をした双子の青年が声高らかに叫び訴える。それに応じる哀れな民衆たち。
もう何度となく見慣れたこの光景に否定する気力は既にない。
長ったらしい古文書がパラパラと風でめくれるように躊躇うことなくページはめくれていく。
場面が変わったようだ。つんとしたカビ臭さと水に濡れた感触が酷く気持ち悪い。これもまた今晩も変わらないらしい。
横たわる男の前に三人の人影が揺れていた。その奥の鉄格子の向こうには鎖で手足を繋がれ頭を垂れたまま微動だにしない娘の姿。
「酷い有様だな。せめて娘だけでもどうにかしてやれたらいいんだが……」
藍色のフードから覗く口元から同情の言葉が零れた。最初に口を開いたのは長身の若者。
「どうにか、ねえ。多少の気持ちは分からなくもないけれど、世間じゃあ二人を捕まえたのは俺達なのにどう助けるってのさ」
「いくらなんでもこれはやり過ぎだろうが」
「ふうん。意外だなあ、二人がこの娘に同情するなんて」
次に小柄の青年、橙色色の髪色の若者が続けて口を開く。
「言ってろよ。そういうお前はどうなんだかな」
この世界には珍しい橙色色の髪色をした若者は攻撃的な或いは自嘲的にも見える表情で挑発気味に言葉を返した。
「さあねえ。ああ、でもこの娘生き続けたら凄く強くなるからなあ。そうなったら面白いよね。総帝ちゃんきっと顔面蒼白だよ悩むなあ」
それに反して小柄な青年は楽しげに遊ぶ子供のような表情で返事を返しつつ、さてどうしたものかと悩んでいる。
「悩むとこはそこかよ。なんて野郎だ」
「相変わらずの悪趣味だな。理解出来ん」
若者二人はささやかな皮肉を込めて一言口にした。
「ありがとう、最高の誉め言葉だよ」
小柄な青年はとても嬉しそうに言葉を返す。
ぱらり、ぱらり、ぱらり。ぱらり、ぱらり。
ページはまた進む。これで今日はお終いだろう。
一人の男が少女に最後の贈り物をしていた。
首筋に伝う血を指で拭って少女の頭を撫でる。
「あとは頼んだ。自分に成せることを成せ、いいな」
そしてまた幾度となく聞いた掠れた声に少女は耳を塞いだ。
肌の温もりと優しい手が自分を包み込む。
顔は見れなかった。でもきっとまた笑顔だった。
「────……て!起きて………!……!」
次の章にページがめくれかけた時、やっと待ちわびた声が聞こえる。
ああ、今日の夢は随分と長い悪夢だった。
「ラウトさん……」
名前を呼ぶ声の方へ手を伸ばす。指先が柔らかい何かに触れた。
「ユエ。そろそろ時間だよ。起きて」
耳元で囁かれる、甘い声。
意識がはっきりしていくにつれて、冷たい指先で触れられた頬が徐々に熱くなる。
「ん……おはよう」
それを隠すようにゆっくりと目を開けると手を払いのけた。
起きたばかりでぼやける視界ではあるものの、カーテンの隙間から差し込む日差しが眩しい。
瞬きを繰り返す瞼は重く、身体にはまだ気だるさが残っている。
このまま眠気に身を委ねて二度寝してまいたい。
そんなささやかな考えを見透かしたように男は微笑みながら口を開いた。
「おはよう、ユエ。朝ご飯にする?支度をする?それとも僕にする?」
「……今朝は随分積極的な冗談だね」
またかと内心溜め息をつきながらもベッドに腰掛け此方を覗き込む男に手を伸ばす。
「残念、僕は君のことに関しては何時だって本気だよ。世界で一番君が好きだからね」
それが嬉しかったのか、男は満足そうに手を取り自らの腕の中に体を引き寄せると耳元で囁いた。
「知ってる。私も世界で三番目くらいに好きだよ」
互いの息がかかる程の至近距離。恋人同士が交わすような甘い台詞。
聞き慣れてさえいなければさぞ魅力的で喜んだに違いないと他人事のように思った。
「おや、今朝は随分積極的な冗談だね」
「貴方に婚約者さえ居なければの話だけど」
そう一言付け加え、腕を振り払うと男は少し困った風に頬を掻いた。
「……僕は君さえ居れば何も要らないよ」
「はいはい、それ以上言うなら医者呼ぶからね」
本人が真面目で本気だということは痛い程理解出来る。
だが、立場上それを受け止めることは許されなかった。
それ故に適当に流せば
「冗談じゃないのに」
と子供のように口を尖らせて直ぐに拗ねる。
「ねえ、そんな機嫌悪くしないでよ」
「……キスしてくれたら機嫌、直るかも」
再び、息がかかる程の至近距離。
宥めれば清々しい程の笑顔を添えてそう口にした。
魂胆は見え見えではあるものの、よくよく見れば男は端正な顔立ちをしている。
「ダメ?」
暫く無言のまま、その端正な顔立ちを見つめていると堪えかねた男が首を傾げながら言葉を吐いた。
男の名は、ラウト・リーシス。
リレット村の現村長で、ユエにとって数少ない古くからの友人でもあった。
「いいよ」
「…………へっ?」
驚きは一瞬だった。
悪戯っ子のようににやりと口元を緩ませ、ラウトの唇を人差し指でなぞるとラウトは徐々に頬を耳を顔を赤く染めていく。
「しようか、キス」
「え……あ、いやでも……」
「してもいーよ、舌、入れるヤツでもね」
赤、赤、赤、赤、赤。
林檎のように赤く染まった顔が可愛らしく、ついそんな事まで口にしてしまった。
「し、しないでいい……!」
「じゃあそれはまた今度ってことで。そろそろ、戯れてないで支度しようか」
流石に言い過ぎたかと思ったものの、意外にすんなりと引いてくれたため身に危険は及ばなかった。
これが押して駄目なら引いてみろってことか……。
ラウトさんとキスなんてしたら間違いなく襲われる。うん。良い勉強になった、次回も使わせてもらおう。
なんてことをユエが未だ完全に開ききらない瞼を擦りながら思ったことをラウトは知らない。
「ねえ、ラウトさん」
「……ご、ごめん!き、着替えるよね、じゃあ僕は先に行っとくから」
大雑把に畳まれた着替えを手に取るとラウトは正気に戻ったらしく、慌てた口調でそう言った。
まだ話したいことが、と言葉を続けようとラウトの腕を引くがあっさりと振り払われ逆に頭を撫でられてしまう。
「じゃあ、また広場でね。
僕はユエだけのこと応援してるよ。ユエ・リュカスのことだけをね」
「……っ、ラウトさんがそう言うなら、そうする」
割れ物を扱うような優しい手付き。
ユエ・リュカスという人間を理解しているラウトらしい鼓舞。嬉しくて仕方がないのに、素直に頑張ると言えない自分自身に少しだけ腹立たしく感じた。
「いってらっしゃい」
腹立たしさを誤魔化すように送り出す言葉をできる限りの笑顔で口にする。
「行って来ます。それからいってらっしゃい、ユエ」
ラウトは嬉しそうに返してドアノブに手をかけた。
彼の背中に向かって僅かな敬意を込めて、浅く一礼する。
「行って来ます、ラウトさん」
それから、さようなら。気怠い腕を衣服へと伸ばして目を伏せた。昔とは見違える程頼もしくなった後ろ姿にはあの人の面影。
「―――――出来ることを成せ、か」
かつて歴代最強とまでうたわれた男の言葉を思い出す。未だに忘れられず悪夢にまで出てくる男の言葉を。
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