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魔犬さんと私  作者: 喜多邑 葵
第二章
11/19

集会

 体が痛くならない馬車に乗ったのは、生まれて初めてのことかも知れない。

 車輪が敷石の段差を超える感覚を覚えて、マルタはぼんやりとそんなことを考えた。

 座席のクッションのお陰かも知れないが、どうも何処かにバネが仕込んであるらしい。結局この手の問題を解決するためには、魔術よりも工学の方が効率的なのだ。

 しかし、一体何処にバネが入っているのだろう。まさか座席の下だろうか。いや、地面から受ける衝撃を吸収するのだから、車輪の上か――

「少し遅れちゃったわねえ」

 溶かした砂糖のような声に、思考を遮られる。

 マルタは向かいの席へと顔を向けた。この箱馬車の中に存在する人間は、二人だけだ。つまり、今の言葉もマルタに向けて発せられたものなのだろう。

 無視するという選択肢は到底選べず、「そうですね」と当たり障りのない返事を目の前に座る女――カルロッタに返した。

「まあ、別に開始時刻きっちりに到着していなければいけないものでもないから」

 カルロッタは赤い唇の端を釣り上げて猫のように笑う。深緋こきひのドレスを身に纏った彼女は、昨日にも増して美しかった。

 一方でマルタの着ている淡い浅葱色のドレスは、カルロッタから借りたものだ。マルタには少し大きいが、贅沢は言っていられない。……胸に詰め物をされるという行為によって、思った以上に精神を削がれたが。

(上からケープを着るのなら、胸だってそのままで良かったんじゃないかしら……)

 サイズが合っていないのを誤魔化すためのケープは、なるべく脱がないようにと言われていた。マルタも脱ぐつもりはない。

 ドレスを着せてくれたのもカルロッタならば、マルタの銀髪を結ってくれたのもカルロッタだった。

(すごく手際が良かったんだけど、カルロッタさんってどういう人なんだろう)

 昨日聞きそびれたままの疑問が、むくむくと湧き上がる。

 人の世話をすることに慣れている。けれど、上等なドレスやこの馬車、それにクラブの会員であるということは、それなりの身分のある女性なのだろう。

 マルタは俄かに不安になった。

(ルドルフさんはあの通りだったし、カルロッタさんも割と乗り気だったから、流されるままに頼っているけど、もしかしてとんでもないことなんじゃ……)

 都合の良いように話が進んだから脳天気に喜んでいたが、昨日のうちにカルロッタについて訊ねておくべきだったのだ。

(そうだわ。まだ二人がどうやって知り合ったのかも聞いていないし)

 そろりとカルロッタを伺うと、ずっとこちらを見ていたらしく、目が合った。

「どうしたの?」

 また猫みたいな笑い方だ。

 マルタは何もかも見透かされたような気分になった。

「いえ、あの……、今更ですけど、本当にお世話になってしまって良かったのかなと思いまして。カルロッタさんにご迷惑をお掛けするのは忍びないですから」

「カルロッタで良いわ。あと、敬語もやめて」

「ですけど」

 いいから、と若葉色の双眼に真っ直ぐ見詰められて、マルタは言葉を飲み込んだ。

 多分、マルタに気を使っているわけではないのだ。本当に自分が気に入らないだけなのだろう。この人は気安い人だ。昨日今日の付き合いでも、十分に理解できる。

「……わかったわ、カルロッタね」

「そうそう、そういう感じ。あたしの妹として連れて行くんだから、そっちのほうが自然よ」

 流石に、知り合ったばかりの魔術師などという紹介で入れるほど敷居は低くないらしい。

「本当にそんな嘘をついて大丈夫なの? ばれたらカルロッタだってお咎めを受けるんじゃない?」

「大丈夫、あんまり深刻に考えないでよ。怪しまれたら、異母姉妹だからって言っておきなさい。妾腹の子なら色々事情があってもおかしくないし、深く関わりたい輩もいないでしょ」

 それはそれでカルロッタの家族に迷惑がかかるのでは、と眉をひそめた。

「失礼ですけど、その、カルロッタはどういう……?」

 彼女が身分ある女性なのだとしたら、父親もそれ相応の地位や立場にある人物ということになる。そんな人の評判を、あらぬ嘘で下げることにならなければ良いのだが。

「あら、やっぱり気になるのねえ」

 当のカルロッタは能天気なものだ。

「そうね、さる候爵家と縁のある者ってところかしら。これ以上は秘密よ」

 上手い謎かけを思いついた子供のような表情をしていた彼女は、マルタの気掛かりを察したらしく、ああそうかと一つ手を叩いた。

「別に、庶子の一人や二人でまずいことになるなんてありえないから、気にしなくていいのよ。気が咎めるなら、ほとぼりが冷めたところで、実は田舎から出てきた友達でしたって言っておくから」

「それなら良い、のかしら」

 納得して良いものだろうか。

(上流階級がそういうものなのか、カルロッタの家が特別なのか、カルロッタ自身が軽すぎるのか、分からないわ……)

 そもそも、既に着替えて馬車に乗っているのだ。これ以上はカルロッタに任せる他ない。

「大体、紅薔薇クラブって参加の制限がかなり緩いのよ。中流階級も大勢出入りしてるし、あたしたちみたいに会員が知り合いを連れてくるのもよくあること。何より女が入会出来るクラブなんて珍しいってもんじゃないわ」

「そうなの?」

「そうよ。大抵のクラブは男だけ。女はお断りの世界なの。その点、紅薔薇クラブは女性大歓迎で、積極的に迎え入れてるのよ。まあ、美容クラブだからってのもあるでしょうけど、それより何よりねえ……」

 意味深な若葉色の視線に晒される。婀娜っぽい仕草が様になっていて、マルタは落ち着かない気分になった。

 ぎこちなく首を傾げてみる。

「わからない? ……つまり、男と女の出会いの場になっているのよ。一夜の相手だったり、遊びの関係だったり。晩餐を共にする為なんて謳ってるけど、夕方から始まって、そのまま宿泊する人間も大勢いるわ。お察しよねえ」

 マルタは首を傾けたまま固まった。

 どう反応すれば良いのか分からない。入会者の前で嫌な顔をするわけにはいかないし、かといって乗り気な態度をとるのは到底無理だ。当たり障りのない反応なんて、思いつきもしない。

 取り敢えず、曖昧な微笑で誤魔化してみる。頬が引きつっているのはご愛嬌だ。

「元々その為に創設されたクラブなんじゃないかって噂されてる位だし。ほら、例の伯爵様がまた女好きの遊び人なのよ。集会のたびに違う女性と夜を過ごしてるみたい。――だからマルタ、頑張るのよ」

「え……?」

 急な話の展開に、マルタは目を瞬かせた。

「あなたもまあ綺麗だし、伯爵好みだと思うのよね。上手いこと釣って、話を聞きだしたら良いのよ」

 それはつまり――伯爵を篭絡しろと言うことだろうか。

 そんな無茶な、とマルタは眉尻を下げた。

 男性経験もなければ、まともにお付き合いもしたことのない女が、男を手玉に取ることなど出来る筈もない。只でさえカルロッタの妹を装わなくてはならないのだ。これ以上無茶を重ねようものなら、絶対にボロを出すに決まっている。

「……あまりお喋りは得意ではないし、普通にお話してみるわ」

「あら、弱気ねえ。折角の容姿なんだから、武器は使わなくちゃ勿体無いわよ」

(それは、カルロッタ程美人なら武器にもなるでしょうけど)

 多分彼女は、自分の武器も、武器の使い方も良く知っている人だ。男を夢中にさせて、思うままに扱う術を持っているのだ。

 マルタの武器はそれではない。今もポケットに数枚忍ばせている、魔法陣だ。

(だけど……、女としての武器の使い方も、少しは知っておくべきだったのかも)

 多分、世の女性たちは多かれ少なかれそれを身に付けて世間を渡っていくものなのだろう。そう考えると、カルロッタだけではなく、世間的にも劣っているような気分になって、スカートの裾をぎゅっと握り締めた。

「まあ、私もそこまで頼まれてるわけじゃないし。どうやって話を聞き出すかはあなたの勝手よね」

 会話が途切れたタイミングを見計らったかのように、馬車が速度を緩めはじめた。

 カルロッタがカーテンを開けて窓を覗き込み、「着いたみたい」と呟く。

「ヴェストラ伯爵、ノア・ブロムクヴィストの屋敷よ」

 カルロッタの頭越しに見たその豪奢な屋敷は、夜が訪れる前の紺色の空を背にして黒く浮かび上がり、巨大な魔物のように鎮座していた。




 実にあっさりしたものだった。

 呼び止められはしないかと緊張していたのが拍子抜けするくらい簡単に、入口でカルロッタが二言三言口をきいただけで中へと通して貰えたのだ。

 そして、カルロッタもあっさりしていた。「あとは各々でね」と片目を瞑ったかと思うと、男達に囲まれるようにして去ってしまったのだ。

 放り出されたマルタは、兎に角そのブロムクヴィスト伯爵を探すことにした。あちこち視線を彷徨わせながら、カルロッタに伯爵の外見を聞いておけば良かったと後悔する。

 人々はそれぞれに会話を楽しんでいるようだった。美と若さのクラブの名に恥じず、女性たちは流行りのドレスの型から髪型、化粧の話に花を咲かせている。ちらほらと恋愛話らしきものが交わされているのは、この際仕方のないことなのだろう。

 男女入り混じっているところでは、食事の話題が多いようだった。南方に住むなんとかという鳥の肝が肌にいいとか聞こえた時には、思わず魔法薬の材料を思い浮かべてしまった。こうして考えれば、ここに集まっている人々もある種の研究者と言えるのかも知れない。

 男性ばかりの集団には近寄り難かったが、どうもスポーツの話が中心のようだった。こちらもたまに政治や仕事の話が混ざるのは、避けられないことなのだろう。彼らの中に伯爵が居ないか探りたかったのだが、ちらちらと値踏みするような視線に耐え切れず、さっさと通り過ぎてしまう。

 そうやって談笑している人々の間を彷徨いている内に、流石に心地の良くない視線を集めるようになってしまった。

(晩餐があるって言ってたし、その時まで大人しくしていた方が良さそうだわ)

 食事の席で伯爵を確認すれば良い。そのことに思い至った時には既に、好奇の目と極度の緊張によって限界まで気力がすり減らされた後だった。

 近くにあった長椅子に腰掛けると、自然と溜め息が漏れる。

 他人の屋敷を勝手に見て回るというのは、やはり気が咎める。何処までを開放しているのか分からなくて、まだ探索していない部屋もたくさんあった。

 それでもテラスの外を見ると、真っ暗に塗りつぶされた中に星が浮かんでいる。それなりに時間は経過していたようだ。

「お茶をお淹れしましょうか」

 唐突に声をかけられて、びくりと体が跳ねた。振り返るとお仕着せの女中メイドが傍らに立っていた。随分と気を緩めてしまっていたらしい。

「そ、そうね。一杯頂けるかしら」

 情けないところをみられた。

 羞恥に赤くなる顔を誤魔化すように笑ってみせる。女中の方は気にした様子もなく、淡々と茶の用意を進めていた。少し愛想はないが、余計な感情を顔に出すこともない。こういう使用人を、良く躾けられていると言うのだろうか。

 何となしにその姿を眺めてみる。女中は、薄い水色と茶色の混ざった不思議な目の色をした少女だった。マルタよりも年下だ。まだお仕着せに馴染んでいないようで、茶葉を蒸らす手付きがぎこちない。

(仕事に慣れていないのかしら)

 だとすれば、淡々として見えたのは性格か、もしかすると緊張しているのかも知れない。

 そう考えると、ほっと心が休まった。周囲が立派な紳士淑女ばかりで萎縮していたところに、親近感を覚える存在を見つけて嬉しかったのかも知れない。

「どうぞ」

 背の低い卓子テーブルにカップが置かれて、マルタは女中に「ありがとう」と笑い掛けた。

 一瞬、少女がきょとんとした表情で固まった。しかし、マルタがカップに手を伸ばしたのを見て、慌てて姿勢を戻そうとしたのだろう。もしかしたら、マルタの髪が彼女に触れてしまったのかも知れない。兎に角、引っ込めようとした少女の袖のボタンが、マルタの髪を留めていたピンに引っかかって外れ――髪が解けてしまったのだ。

 あっと思って手をやったがもう遅い。銀糸の筋が肩に落ちて、髪飾りがその上を滑った。

「も――うしわけ、ありません」

 女中の顔色がさっと変わる。

 マルタもマルタで慌てた。これ以上悪目立ちしたくない。大丈夫だから、と小声で少女を宥める。

「どこか、髪を結える部屋を貸して貰える?」

「はい、勿論。こちらに」

 落ち着きを取り戻したのか、彼女はてきぱきとマルタを上階へ案内した。人の気配を感じないのは、客に解放されていない区画だからだろう。

 髪を結い直すのには大した時間もかからなかったが――自分で結うつもりが、あっと言う間に彼女が結い上げてしまった――茶まで淹れ直してくれたので、晩餐の時間までこの部屋でゆっくりさせて貰うことにした。

(あとでカルロッタも探さなくちゃ)

 そう言えば、帰りの話を何もしていなかった。マルタは目的さえ果たしたら帰るつもりだが、カルロッタは泊まる予定だろうか。ここから宿まで歩けない距離というわけでもないが、夜中に一人帰るのは無用心だろう。

(一応、護身用の魔術符は用意しているけど)

 頼めば馬車を貸してくれるだろうか。行き掛けに馬車の中で聞いた話が本当ならば、なるべくここに泊まりたくはない。

 やっぱり今から話をしに行こうか、と立ち上がったところで、部屋の扉を叩く音が響いた。また女中が戻ってきたのかも知れないと、扉を開く。

 女中ではなかった。扉の向こうで微笑んでいたのは――端正な顔をした、金髪の紳士だった。

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