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トリニクルチック

作者: ギョウザ44

 

 真紫な青空と、ゴミ箱をひっくり返したような奇緑の茜雲。灰色の夕焼けはなんだかとっても愛おしく、それでいて体を搔き毟りたくなる衝動にかられるほど、ワタシの心を鷲掴みにする。


 許されるのであれば、許されるのであれば体を四散させ鳥達の餌にしてしまいたい。鳥は喜ぶのであろうか。それとも……。

 人は、死ぬとどうなってしまうのであろうか。人だけではない、全ての生き物は死後、どのような経過を辿るのか。例えば死後の世界なんてものがあって、俗に言う天国や地獄があるのなら……輪廻転生なんてモノがあるのなら……ならば、ならば産まれ堕ちるべき場所を失ったモノ達はいったいどこへ行くのだろうか。それとも無、全ては無へと帰して、生まれ出る命はまったくの白だというのか。

 無であればいい。しかし、しかしそうでないのなら全ての命はいったいどこへ向かうのだろうか。

 無であればいい、無であれば……。



 花壇への水撒きが僕の日課となっていた。蛇口が強い日差しのせいで熱くなっていて、とてもじゃないが素手で触る事は出来なかったから、ハンカチで手を庇う。蛇口を捻ると勢いよくぬるい水が吹きだして、少しばかりジーンズに飛沫がかかる。僕はそんな事は気にも留めないで、ホースの先についた用具のおかげでシャワーのようになった水流を眺めていた。太陽光と水の飛沫で虹が生まれる。

 虹というものは、太陽の光が空気中の水滴で屈折したり反射されたりした際に、光が分解されて七色の輝きを生み出すのだという。

 こんなに綺麗な光なのに、答えを知ってしまうと非常につまらないモノに思えた。どんなに美しいモノも、どんなに不思議なモノも、答えを知らないから純粋な気持ちで感動する事が出来るんじゃないだろうか。ならば、虹は神様の作り出したモノ。その程度の認識で留めておいたほうが楽しく生きていける気がする。

 楽しく生きる術をすでに一つ失ってしまった僕は、神様になった気分で虹を作りだした。

 

 猛暑の中で作業をしていたから汗が噴き出して、着ていたシャツが体に張り付く。濡れたシャツは気持ち悪くて僕はシャワーを浴び、新しい服に着替えた。

 水撒きが終わるとなんだかやる事が無い。まだ読んでいない小説が山ほどあるし、観ていない映画なんかもあるからソレらを消化してもよいのだけれど、なんだか何もする気が起きなくて僕はこれからどうするべきか困っていた。

 何もする事がないのだから朝早くに起きる必要はない。けれど僕は毎朝7時の起床していた。どうせ毎日暇なのだから好きな時間まで寝ていてもよいのだけれど、堕落した生活を行っていると僕を否定したヤツらを肯定しているような気がして、ほとんどくだらない意地なのだけど、とても健康的な生活を行っている。でも彼等の言うことは概ね正しいとは思うし、自分でもいったい何に対してこんなに意地になっているのかわからない。

 まあ、健康的な生活といっても朝早く起きて、夜も早く寝る。あと野菜をたくさん食べる。それくらいなのだけれど。


 色々と考えた結果、約1か月ぶりに遠くへ行ってみる事にした。

 物置から自転車を出して久しぶりに乗ってみた、なんだかギシギシと変な音がする。僕は物置の奥にあったオイルスプレーをどうにか取り出して、チェーンに吹きかける。そうしていると何だかフレームの汚れが気になってきて、これまた物置の奥にあった専用の洗剤やワックスなんかを取り出した。道具を揃えるだけでまた汗まみれになってしまう。これが終わったらもう一度着替える必要がありそうだ。

 全ての作業が終わる頃には10時50分になっていた。

 着替えなおし、冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んだ。火照った体に冷たい麦茶が沁み渡る。

 一息ついて、そろそろ出掛けようかと思っていた時だった。

「こんにちはー、野菜持ってきたよー」

 玄関の方から男性の声が聞こえた。おそらく近くに住んでいる多々良神さんだろう。まあ、この付近には彼しか住んでいないのだけど。

「ありがとうございます。あがってください」

「では、遠慮なく」

 彼と会ったのは1週間ぶりといった所だろうか。いつ見ても非常に若々しく、とても今年32歳になる男性には見えない。服装によっては10代にすら間違えられるのではなかろうか。肩まである髪は暑苦しさとは無縁で、むしろ爽やかさすら感じさせる。

 それにこの炎天下の中で汗一つかいていないというのも凄い。

「あいかわらず妖怪じみてますね」

「酷い事を言うね、せっかく野菜を持ってきてあげたっていうのに。それに、妖怪だっていうなら君も同じじゃないか。この星には妖怪か化け物しか住んじゃいないさ」

「妖怪と化け物って……だいたい同じモノじゃないですか?」

「違うね。妖怪とは大地に生きる者。化け物は理を外れたモノ。……ね、全然違うでしょ」

「僕にはよくわかりません。でも、僕等が妖怪だっていうのはわかります。じゃあ、化け物っていうのはどういったモノの事をいうんですか?」

「そうだね……」

 多々良神さんは顎に手を当て、さながら古い映画に出てきた探偵のように意味ありげに笑った。

「あれだよ、あの地球教団ってヤツ。正式名称は地球救済……ええと、なんだっけ? まあいいや、あれは化け物さ。そう思わないかい?」

 ――地球教団――それは通称である。正式名称は「人々による地球救済の為の光の会」この星の救済を目的として活動をしている宗教団体だ。

「ヤツ等は化け物さ。星が死にたがっているんだから、死なせてあげればいいのさ。なのに、生贄だとか旧時代的な事ばかりして……、死にたくなる星の気持ちも少しはわかるね」

「多々良神さんは、地球の消滅は地球の意思によるものだと……そう思ってるんでしたね」

「うん、そうさ。悔しいけどソコだけは地球教団と同意見だね」

 

 地球はもう長くない。

 約5年前、全世界同時にその事実が発表された。当時まだ高校生だった僕は、その事を何だか他人事のように聞いていた気がする。

 もちろんその発表に伴って色々な事が起きた。テロや暴動、紛争等々……。でも、特に問題になったのは移住の問題である。月だとか人工惑星なんかの人口は、当時の地球の人口の約3%程度だった。そんな状態から皆がみんな移住しようってんだから、それは大変な事になる。食糧問題に土地や住居の問題……。まあ色々と問題は多くて、いまだにかなりごたごたしてるらしい。地球に残った僕等には詳しくはわからないし、関係の無い事だけど。

 そう、僕等はこの破滅を向かえる星に残った。いや、置き去りにされた。

 それは僕のDNAに問題があるから。

 DNAは凄く大まかに言うと、ABCDEの5種類に分類される。Aが優秀、Bが普通、Cが劣等、Dが異常、Eが危険。40年ほど前に芹山博士が発表したDNAによる人間判断だ。この基準に伴い、DとEの人間が自分自身でも気づかぬ間に拉致監禁され地球に置き去りにされた。

 これが酷い話で、ある日寝て起きたら3年ほど起っていて、近所の人はおろか家族すらいなかったってありさまだ。

「地球は……、本当に駄目なんでしょうか」

「さあね……。僕等はちっぽけで、相手は大きすぎる」

 こんな事を言いながら、僕はそんなに悲観していなかった。それは、たぶん僕が「どうなってもいいや」と思っていたからだろう。他人はもちろん、自分の生き死にすらそんなに大事な事に思えなかった。

 たぶん、多々良神さんも同じ考えだと思う。

 そしてそんな僕等だから、きっと地球にいるんだと思う。


「生であれ死であれ、強制しちゃいけない。それはすごく陰湿で残忍なやり方だ」

 多々良神さんは自分の持ってきたピーマンにかぶりつきながら言う。

 結局あの後なんだかんだで話がはずみ、結局外に出る機会を失ってしまった。外出する気分になっていたから、なんだか肩すかしをくらったような気がしたけど、くだらなく、それでいて意味のない会話は楽しかった。僕等は出会ってからよくこんなくだらない会話を行っている。おそらく僕等は地球がこんなふうにならなければ出会う事はなかったのだろうし、出会ったとしても仲良くなる事はないのかもしれない。僕等の友情は、状況が作り出したモノにすぎなくて、でも、まるで竹馬の友を得たかのような気分にさせた。

「本人……、この場合は地球だから人ではないのだけれど、まあいい。本人が死を望んでいるんだからほっとけばいいのさ。どこのだれにそれを否定する権利があるっていうんだ。いつ、地球が生きていたいって言った? もちろん疲弊の原因が確実に星の意思によるモノかどうかはわからないさ。でも、わからないからこそ手を出してはいけない。ほうっておくべきなんだ」

「では、僕等は何もせず死ぬべきだと?」

「そんな事は言ってないよ。生きていたいなら地球に干渉するなって事さ。それはお門違いってヤツ。地球から出て行ったヤツ等のように、宇宙船でもなんでも作って外に逃げればいいんだ」

「でも、それらを作れるような専門家なんかは地球に残っていないんじゃないですか?」

「自分が生きていたいなら他人に頼るのではなく、自分で宇宙船を作ればいい。出来ないなら死ぬだけさ。まあ、僕は妖怪だからココに残ってココで死ぬけどね。ああ、別にこれは諦めの気持ちじゃないよ。僕は死んでも生きていてもどうでもいいのさ」

「なるほど……。僕も今さら宇宙人になるつもりはありません。妖怪として残りの余生を過ごしますよ」

 僕の言葉を聞いた多々良神さんはなんだか嬉しそうに笑っていた。

「君は……友情ってなんだと思う?」

「またなんだかこそばゆい話題をふりましたね」

「ああ、昔だったら絶対にこんな話はしなかったね。こういう話題が嫌いだった。テレビとかで友情とか愛情とかを語っているのを見ると反吐が出る気分だったよ。でも、今は……なんとなくわかる気がする。だから聞きたい、君にとっての友情とは?」

 気恥ずかしい話題なだけに少しばかり困惑したが、多々良神さんがあんがい真面目に聞いているみたいで、僕も少しばかり真面目に答えてみる事にした。

「そうですね、僕にとっての友情は……相手を許す事ですかね」

「許す……事かい?」

 少しばかり冷めたお茶をすすりながら多々良神さんは聞く。

「はい。例えどんな事が起きようと許すんです。例えば何らかの危機に瀕した時、僕を追いて逃げたとしても許す。例えば友達が僕をありとあらゆる拷問の果てに殺されたとしても許す。僕にとっての真の友情とはそういう事です」

「なるほど……。僕も似たようなモノかな。例え僕が友達を殺したとしても、きっと友情には何のくすみもない」

それはきっと歪で奇妙な友情なのかもしれない。きっと妖怪特有の、人間には理解の出来ないような狂った友情かもしれない。しかし、それが心地よかった。もし僕等二人が危険にさらされたなら、僕は自分の保身を考えて多々良神さんをおとりにしてでも逃げるだろう。しかし、それでも友情は決して揺らがない。

多々良神さんは笑った。何に対しての笑みなのかはわからない。

でも、僕も何だか面白くなって、

嗤った。


 妖怪達の宴会は日が沈むまで続いた。多々良神さんが帰った後、寝るにはまだ早い時間だったが僕はすぐに床に就いた。

 朝起きたのはいつもと同じ時刻。普段と変わらないすがすがしい目覚めだった。花壇への水やりとシャワーを済ませた後、僕は昨日やりそこなった遠出をしてみる事にした。昼食の入ったリュックサックを担いで、一生懸命磨いた自転車に乗って家を後にする。

 目的地は特に無い。なるたけ自然の多い方へと向かう事にした。人に会いたく無かったからだ。町の方へ向かえば少ないながらも人はいる。でも自暴自棄になっておかしくなっているヤツや例の地球教団の関係者ばかりだ。前者は問答無用で危険だし、後者は後者で勧誘に必死で非常にめんどうくさい。僕は半分世捨て人になった気分で、これ以上の他者との関係を諦めている。たった一人でも友人が出来た事は非常にありがたい。例えそれが妖怪だろうと。

 しばらく適当に自転車を走らせていた。人のいなそうな方向……山側へ向かっている。道路の真ん中を思いっきり走り抜けるのはちょっとした快感だった。

30分ほどで山の麓へ着く。体中汗まみれになったが、ソレがなんだか心地良い。

山道は緩やかな上り坂になっている。僕は自転車を適当に止め、歩いて登る事にした。

 山の頂上についたらそこでお弁当にしよう。途中に川があるからそこで水浴びをしよう。まるで小学生の遠足みたいになってきて、なんだか無性にわくわくする。駆け出したくなるような衝動を抑え、鳥のさえずりや葉のせせらぎに耳をすませつつ、ゆっくりと遠足を楽しんだ。

 頂上へ着いたのは約40分ほどたった頃だった。最後にこの山を登ったのは10年以上前で、その時には2時間近くはかかった気がする。なんだかノスタルジィを感じざるを得ない。

 頂上からは麓がよく見える。ここから見える家々のほとんどが空であるという事実がいまだになんだか信じれない。

 風が吹いた。火照った体にソレは非常に気持ち良くて、瞬間何だか全てがどうでもよく思える。この星も、自分も、他人も、なんだか全部がエルメトゥーラの悪戯みたいに滑稽だった。


 ボケっと、そう何となく空を見上げていた。どれくらいそうしていたのかはわからない。1分かもしれないし、1時間かもしれない、ただただ空を見上げていた。それだけの事だというのにソレが無限のようでもあり、有限のようでもあった。空の青さに僕は引きづりこまれ、体が融けていく。四肢の存在を認識する事は出来ず、そこには空と自我のみが存在していた。雲は自由自在に形を変えてまるでサーカスのように僕を楽しませる。

 ピエロがラッパを吹きながらやってくる。彼はなんだか楽しそうで、少し羨ましい。ピエロが僕の首に縄をかけ、死ねよ死ねよと賛美する。僕はなんだか気恥かしくて、首の縄を思いっきり締め付けた。観客達は立ち上がり、拍手の嵐が波になる。割れた世界でお日様が沈み、月が四足で走り去っていく。僕は待っていた。いや、舞っていた。

足先から火が上がり、僕はすぐに火達磨になってしまう。ちょっとだけ熱かったけど、冷たさが身にしみて風邪をひいてしまいそうだ。皮膚が黒炭のようにボロボロと、ボロボロとクズレサッタ。彼は笑っているが、僕は笑えなかった。だから……、嗤った。すると彼の喉から向日葵が咲き乱れ、あっというまに鈴蘭に変化した。あんまりにも綺麗なモノだから、彼を108個に切り刻み、そこらじゅうにばらまいた。風が彼を運んだ。一面鈴蘭で埋まり、よりいっそう綺麗になる。しかし鈴蘭の毒が大地を侵食するのは早い。腐りはて、ルルストイックになった世界はゆがんだ幻想と滲んだ絵具をばらまき、無理矢理に拭った、それは、もしかしたら、


 それはもしかしたら


 それはもしかしたら


―トリニクルチック―


 ああ、嗚呼


 僕の天使様、貴方の羽の為に僕は腐っテもいい。

 

 羽音で僕は目覚めた。


 鳥の羽音のようでもあったが、ソレはあまりに大きすぎる。まるで耳元で鳥類が踊っているかのような大きな音が僕の覚醒を誘う。アレは夢だったのだろうか、心地よい世界だった。全てが誠実で断罪的で、曲がっていた。アレは夢なのだろうか、それともこの目覚めた世界こそが夢、歪な世界が現実で、直慟された未来は胎児の夢の如く潰されてしまうのだろうか。もし胡蝶の夢が、吐き出された現実に恐れをなした愚か者達の慟哭のなれの果てだとするのならば、鋼鉄の箱に閉じ込められた猫は毒に塗れ、なおも生き続けなければならないのか。

 どうせ夢なのならば、誰かのナニかになりたいと願う。

 それは、それは僕の天使様。白く塗りつぶされた四枚の羽根を、僕と僕の血で真っ黒に染め直したい。そして飛ぶ、跳、翔、蜚。


 それが、それがトリニクルチック


一本足の僕等は立ち上がれない


それこそがトリニクルチック


 削げ落ちた肩から華が咲く


 それはまるでトリニクルチック


 君と僕と僕と貴方と、天使様


 それが……、いや違う


 しかしてそれがトリニクルチック。


 瞼を開けばそれは明らか。羽音の正体は空を舞う天使様で、僕はもう虜だった。

 そう、天使なのだ。僕が瞼を開いたその先にはどう見たって天使としか形容できないモノが飛んでいた。

 自分の目で見たモノを疑う気にはなれなくって、僕はその後ろ姿を追いかけた。

空を飛んでいるソレは大きな鳥なんかじゃなくって、どうみたって神話に出てくる天使そのものなのだ。

天使はその羽を大きく羽ばたかせ、僕から遠ざかっていく。こちらを一瞥もしない所をみると、僕の存在に気づいていないのだろうか。それとも高貴な天使様は下等な生物に興味なんてないという事だろうか。

「おーい!」

 なんて呼びかけたらいいのかわからなくって、とりあえず大きな声を出してみる。天使は空中で動きを止めこちらを振り返った。そして、僕と目が合うと天使は山の中へ降り立った。

 自分の現在地から考えれば、天使様の降り立った場所はだいたい想像が出来る。きっと川に違いない。僕の遠い記憶ではあの辺りに川があったはずだし、天使様には水場が似合う気がした。なんとなく。

 川まではそう遠くはない。でも山道をまともに通るよりも、山道を逸れて木々の中を直進したほうがよっぽど早い。危険は伴うが今は1分1秒が惜しい。

 僕はほとんど考ええずに森へと突っ込んだ。無造作に生える木々をよけ、妙に柔らかい土に少しばかり足を取られながら、それでも進んだ。背の高い木のせいで光は少なく薄暗い。視界は悪い、それでも僕は進んだ。

 木の間から光がさす。川のせせらぎがうっすらと聞こえる。目的地が近い事を感じ、僕の胸は高鳴った。

 しかしそれは突然の事だった。大地を踏みしめようとした右足は空を切り、僕の体はバランスを崩して勢いよく倒れた。山道は非常に険しい。しかもそれが普段、人が踏み入れるような場所でなければなおさらだ。かなりの急斜面になっていたようで、僕の体は止まる気配もなく転げ落ちていく。誰かに聞いた事があるが、こういう時は無理に止まろうとするとかえって危険らしい。頭部等の急所をカバーしたら、後は自然の流れに身を任せた方が衝撃が分散されて安全……らしい。

 転げ落ちる中、木にぶつからなかった事は行幸なのだろうか。平な場所へ出て、やっと体が自由になった。体中が軋んで痛い。倒れたまま、自分の体を確認する。左足には太さ1センチはあろうかという木の枝が刺さっていた。血が流れる、不思議とソコからは痛みを感じない。ただ、ただ熱かった。傷口から菌が入って破傷風にでもなったらどうしようか、なんて思っていた。医者がほとんどいない現在では多少の怪我や病気でも死の危険が伴う。

しかし、そんな事を考えていたのはほんの一瞬だった。いや、一瞬であろうともそんなくだらない事を考えていた事が恥ずかしい。天使を探さなければならない。そう、天使を。

 立ち上がろうとすると足の熱が激痛に変わり、あまりの痛みに、その場で頭から崩れ落ちた。僕が転がり落ちた場所は河原で石がゴロゴロしている。倒れた拍子に額を岩にぶつけ、血が噴き出す。視界が真っ赤に染まる、染まる。無様に横たわりながら、左足に刺さった枝を両手で掴み思いっきり引きぬいた。口から空気が漏れる。瞬間的な痛みで声にならない声が出た。まるで嘘みたいに血が出て、何故だか笑い声が出た。額のソレとは違い、ドロドロとした粘液のような血が垂れている。手も足も視界も、何もかもが赫い。

 僕はそれでも先へ進む。進む、進む。歩こうにも足に力が入らない。無様に、愚かに這いずりながらそれでも少しずつ前へ進む。ほんの少し動くだけで激痛が走り、痛みで意識を失いそうになる。しかし、意識を失いそうになると痛みでまた覚醒する。痛みのせいで神経性のネバネバした気持ち悪い汗が体中から噴き出した。喉が渇く、喉が渇く。飲み物なんかが入ったリュックサックは無い。転げ落ちている時にどこかへ落してしまったようだった。僕は死んでしまうのだろう。ソレはもはや明らかで、否定のしようのない事実だ。

 凍りつくようで、燃え上がるような、体は熱いのか冷たいのかわからなくなっている。激痛でめまいがする、急激に嘔吐感がこみ上げて僕はその場に体内の全てを吐き出す。内臓まで飛ぶ出したのかと思うほどだった。もう何もわからない。ここがどこで、自分は誰なのかすらも。本当に前に進んでいるのかもわからない。確実に前進している……はずだというのに景色は一向に変わらない。いつまでたっても、濃厚なヘドロが大きな渦になっている。

右手を前に出す、左手を前に出す。両手でナニかを掴み体を引き寄せる。それを繰り返す。ただ、繰り返す。河原の石は尖っているモノも多く、まるでヤスリのように僕を削りとる。赤子のように這いずり回りながらも何かに縋るように、前だけを見た。僕等は何故踊るのか、僕等は何故廻るのか、僕等は何故謌うのか、僕等は何故赫いのか。胎児は全ての世界に向けて呪いを問うて嘲り笑う。違う、違うんだ、それが違うというならナニが正しくてナニが愚宴なのか。いっそ目玉などいらないのではないだろうか、見えなければ視えるのだからミエるという事はつまり観えないという事でソレはソレはソレははははははははははははは。

 うまく頭が回らない。今何をすべきなのか。思考は空回りし、世界は螺旋階段で、青色の赤いシャンデリアが地面から生えている。この線を越えてはいけない、右に寄らなければならない。右に右に右に、そして左に。

 違和感は無い。ミエるモノは全て真実であり虚構でもある。そんな事は至極当然で、今さら語るべくもないだろう。いつまでも点滅する脳の信号は多次元構造への通過点にしか過ぎず、世界へと発信すべき真実と、水溶的電磁波を郵便ポストに投げ入れる為にのみ立ち上がった猫は居場所を無くす。

 もう、僕は死にかけていた。死にたくない、死にたくない。ただ、ただ僕の天使様に会いたい。それだけが僕の望み。今までは良かった、死んでも良かった。しかし、天使様を知ってしまった僕はもう死ぬわけにはいかない。他のナニが死に絶えてもいい。今は、今だけは僕を生かしてくれ。もし天使様に会えるのならば十万億土で無限の拷問を受けたってかまわない。今だけは―

 

 その時、羽音が聞こえた。

 瞬間、世界から音が消えた。大地が、空が、泡になる。そして、僕の前に天使様が降臨される。4枚の大きな羽を羽ばたかせ、白よりも珀い髪が足元まで伸びていた。一糸纏わぬその姿は神々しく、僕の目には自然と涙が溢れだす。天使様の姿は人間の女生と非常に類似している。大きく膨らんだその胸と引き締まった腰、そして下半身はもちろん女性のソレになっている。

 無様に、無様に這いつくばっている場合ではなかった。僕の天使様の目の前で、こんな姿を曝け出すわけにはいかない。無理にでも体を起こそうと力を入れる。立ち上がろうとしたが左足に力が入らず、僕はまたも無様に崩れ落ちた。不思議と体中の痛みは失せている。転げ回りながら、嗚咽を漏らしながら、体中からありとあらゆる体液を流しながらも、僕はどうにか立ち上がった。左足は痛くもないのにガタガタと震え、ほとんど右足だけで立っている。その右足ももちろん無傷というわけではない。

 立ち上がり、初めて天使様の顔を窺い見る事ができた。青く大きな瞳は、目を合わせるだけで吸い込まれそうだ。しかし、それ以上に印象的なのはその表情だろう。表情からはいっさいの感情を感じることが出来ない。羽以外は一見人間と変わらないというのに、その表情はとても人に出来るモノではない。冷たいだとか見下しているだとかではなく、まったく感情が無いのではないかという目で彼女は僕を見ていた。

 しかし、ソレが良い。いや、そうじゃなくても良い。もう、なんでも良かった。ただただ彼女がソコにいるという事実だけで僕は達しそうになっている。近づきたいのだけれど、立つだけでも精一杯だ。

 天使様は僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、一歩また一歩と僕に近づいてくる。数センチ距離が近づくたびに僕の心臓が張り裂けそうなほど高鳴る。

 二人の距離が3メートルほどになった時だった。天使様は右手を高らかに振り上げ……勢いよく下ろす。シュッ、と風を切る音がした。それとほぼ同時に……ドサッ、という何か重いモノを落としたような音がする。落ちたソレは、ソレは僕の右腕だった。痛みは無い。ただ血が溢れた。散々血を流したというのに、まだ体内にはこんなに血液があるのかと、なんだかわからないが呆れた気持になる。

 天使様はまた、右手を振り上げ、下ろす。先ほどとほとんど同じ音がして、今度は僕の左手が切り下ろされた。

 打ち捨てられた腕の切断面はすごく奇麗で、なんだか宝石のよう。

「ありがとうございます」

 体を切り刻まれた僕の口から出たのは賛辞の言葉だった。今まで生きていて良かった。地球に取り残されて良かった。きっと僕は天使様に切り刻まれる為に生れてきたに違いない。

 恐怖なんてあるわけが無く、ただひたすらに待ちわびたソレはスリート・ショット。死ぬ事も、狼も、逆さまのお月さまだって怖くない。

 ただ最後に、全てが終わるその前に――

 天使様の腕が動く、まるで一流の芸術家が絵を描くような、そんな優雅な動きであった。腕がゆっくりと振りあがる。今度は足だろうか? それとも……、首だろうか。

 天使様の指先が頂点を指した時、世界のどこかでナニかが哭いた。灰色の水が流れ、影は踊り、山羊の胎児は夢を見る。

 天使様の指先は振り下ろされた。

 「愛しています、天使様」

 指先が大地を指す直前、僕はそっと呟いた。天使様の耳に届いたのだろうか。ほんの一瞬、天使様の目が見開かれた気がする。

 

 そして僕は七つに引き裂かれた。



 疲労感と妙な幸福に包まれながら僕は跳ね起きた。ソコは慣れ親しんだ自室で、先ほどまでいた山の中では無い。汗だくでベッドに横たわっていた。体には傷一つ無く、全ては夢だったとしか思えない。そうで無ければ、古典的な言い方をするなら狐に化かされた……と言ったところだろうか。

 考えても答えは出そうにない。いや、答えはどう考えても夢……の一つしか無いはずなのだけど、何故か夢だとは思えない。思いたくないだけなのかもしれない、僕はあの山中での出来事を現実であって欲しいと強く思っているのだろう。

 僕は死んだ、あの山の中で。僕は死を望んでいるのだろうか……。この世界に取り残されて、気楽でいるつもりだったけど、実はどうしようもないほどの孤独を感じていて、無意識の間に死にたいと思っていると言うのか。

 多々良神さんに会いたいと思った。会って自身のこの訳のわからない感覚を相談したい。誰かに頼りたいとここまで強く思ったのは初めてかもしれない。

 喉が渇く。水分補給のために部屋を出て1階のキッチンへ向かった。たしか冷蔵庫にはまだ麦茶が残っていたはずだ。

 階段を下りている途中で眩暈がした。階段を踏み外して尻もちをついてしまう。そのまま3段ほど滑り落ちて、尻が凄く痛む。そういえば夢か現かわからない山の中でも、僕は転げていた。あの時は大怪我したけど、今は多少痛むくらいだ。

 尻をさすりながら麦茶を飲んだ。そこで、今が何時なのかわからない事に気づく。もし昼過ぎにでもなっていたら日課の水撒きをさぼった事になってしまう。多少水撒きが遅れた所で花は枯れたりしないのだろうけど、毎日続けていた事が狂うのはなんだか嫌だ。僕はそんなにキッチリした性格では無かったはずなのだけど……いや、むしろ結構ルーズな方だったはずだ。

 時計を確認するためリビングへ向かう。ドアノブを握った時、言いようのない違和感があった。違和感の理由がわからなくって、ドアノブを握ったまましばらくその場に立ちすくんでいた。

 違和感の理由が分からずなんだか気持ちが悪い。でもこのまま立っていても仕方が無いので僕は扉を開けた。

「…………」

 そこにはソファーに座り古雑誌を読む天使様の姿があった。山中と同じく一糸纏わぬ姿であったが場所が僕の家という事と、ありふれたカルチャー雑誌を読んでいるせいか神々しさは半減している。

 なんて声をかけたら良いのかわからなかったが、このまま無視するわけにはいかない。

「あの……、天使様。何をしていらっしゃるのでしょうか?」

 雑誌を床に投げ捨てて、天使様は僕を見た。そしてまるで真綿のようにフワッと浮く。ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけ僕の前へ舞い降りた。

「ソレは文化を知る為の手段であって目的ではありません。目的は会話を円滑にする為のノルヴァックトロップであって、大切な事は三角形の中で逆に回転する唯一の刻兆点を見失わずにいつまでも共に回転し続ける事です」

 天使様は表情を変えず、更に続ける。

「しかしてヒトは悪意と残酷性とキャルラントに取り込まれてしまいました。故に死す事以外に解決策を見出す事は出来ません。解決策という表現はこの場合は違うかもしれませんが、細部の構築が間に合わない現状ではコレしか出来ないというのが現状です」

 淡々と天使様は言った。

 今さらながらにとある疑問が沸いてくる。

「えっと……、貴女は天使様なのですか?」

 白く長い髪に、四枚の羽根。それは誰がどう見ても、数々の宗教に存在する神の使いそのものである。もし彼女が天使で無いのであればそれ以外のナニであるというのか。

「貴方の言う天使が、アブラハムの宗教に存在する御使いの事であるならば私は天使ではありません。しかし、貴方が私の事を天使だと思うのであれば私は天使という事なのでしょう」

「貴女は天使様です。僕にはソレ以外のナニにも見えません。故に僕はこの身を裂かれても構わない!」

 僕の認識こそが重要だというのであれば、彼女は天使以外の何者でもない。

「天使様、僕は貴女に切り刻まれて死んだはずです。天使様に殺されるのならば僕は本望です。だから切り刻まれた事はむしろ喜ぶべき事……。しかし、なぜ僕を生き返らせたのですか? 貴方の手で救済を与えていただいたというのに……何故ですか?」

「貴方達が地球と呼ぶモノは現在終わりを迎えようとしています。ソレはヒトで表すところの寿命というようなモノでは無く、自ら欲するモノ。つまりは自殺という言い方が適切なのかもしれません。ヒトの残虐性が地球の地軸を歪め、カリギュラによって大地に眼球が突き刺さったのです。私は生まれました。地球が最期に産んだソレが私です。つまりはソレこそが」

「トリニクルチック」

 僕の口からは自然と言葉が漏れていた。

「やはり、貴方を選択した私は正しい。つまりヒトの脳に刃を突き立てる、もしくはこの星を摩り下ろすしか選ぶべき道は無い。だからこその貴方なのです。貴方が今や世界。世界は貴方を待っている。それがトリニクルチック」

 天使様が僕に手を差し伸べる。細く長い指だ。僕等と違う事があるとすれば指紋が無いという事か。

 僕はあまり考えず、差しのべられた手を掴む。その瞬間、彼女は僕を掴んだまま飛び上った。時速何キロかはわからないが、あまりの空気抵抗で肩が外れた。口を開く事が出来ない。意識が薄れていく、世界と僕の、接点が、絶たれた。


 突然の息苦しさと、冷たさが体を覆う。目を開けるとただただ青があった。青い中で僕と天使様は浮かんでいた。ここがどこなのか聞こうと思い、口を開けた。すると大量の水が体内に侵入してくる。吐き出そうとするたびにより多くの水が入ってきた。

 天使様が僕の喉に手をかける。そして指が僕の喉に突き刺さり、そのまま喉をかき回し大きな穴を作る。そこから侵入した水が流れて自由になった。

 苦しみが無くなり、冷静になった僕は現在の状況を確認する。

 ここはどこなのだろうか? 水の中のようではあるが、呼吸には問題が無い。といっても先ほど溺れ死にそうになったわけではあるけど。

 青は少しずつその姿を変えて、もはや赤なのか黒なのか。

 ふわふわと、浮かんで揺れて引きずり廻る。それは叫んで廻り、泣いて廻り、高熱をもって嘲り笑う。そして砂糖で固められた心でどこまでも走っていくのだろう。しかし僕等は大樹に願う。罪の無い世界を。選ばなければならない、選択は常に不公平でどちらを選んだとしても死の慟哭を聞かねばならない。しかし答えなんて、既に決まっている。

「あなたは選択しなければならない。それはまるで頭部への緩やかな圧迫、世界はいまや四肢を潰され首を切り落とされて、海は灰色に染まり空は液体になってしまった。だからこそ硝子で出来た階段を上るような危うさを秘めて、ルルストイックにならなければならない」

「僕の答えはとっくに決まっている。それは天使様に出会った時なのか、或いは生まれたその瞬間なのかもしれない。そして僕は既に天使様に答えています」

僕を産みし母よ、僕の元となりし父よ、僕と同じ体液を持つ妹よ。全て塵芥となってあるべき姿に帰れ。

 天使様の目を見つめる。

 美しい、その目の中に取り込まれそうになる。

「愛しています、天使様」

 僕はあの時と同じ言葉を天使様に告げた。


 地球から遠く離れたその場所で、ある者は首を括り、ある者は臓器を抉り、ある者は頭部を鉄に打ち付けた。

 地球では人々が互いを摩り下ろし合っている。苦痛に呻く者は一人もいない、どこからともなく鑢が現れ、皆が皆無表情でお互いを摩り下ろす。

 毎秒人が死んでいく。

 毎秒人が摩り下ろされていく。

 死体から大きな向日葵が咲き、太陽に向けて伸び続け、太陽に近づきすぎた向日葵は焼け焦げて、星形の種をばら撒く。

 種から芽が出て、その芽は様々な形に変わる。8本の足を持つ犬のようなナニか、眼球を10以上も持ち青と赤の斑模様の蛇のような生物。この世のモノとは思えない生物達が次々と生まれ出でる。

 宙に浮く唇が僕に語る。

「君から産まれた心無いモノ達」

 眼球から足の生えたナニかが僕の周りをうろつく。

「それが君のトリニクルチック、世界は作り変えられた」

 泥の塊から触手が飛び出す。

「君の中の無拍子に反応した業無きモノ」

 山羊の頭を持った猿が幽鬼の様に立ちすくんでいる。

「それが君のトリニクルチック、もう君は一本足では無い」

色々なモノ達が次々と僕を祝福する、その中には天使様もあった。

「ありがとう、貴方のおかげで新しい人類が誕生しました。腐敗した前人類は清き新人類に変わり、地球はこれからも変わらず生き続けるでしょう」

 大地からは大小様々な足が生え、空にはヌルステラが飛ぶ。

「僕の天使様……。貴女の役に立つ事が出来たのならばこんなに光栄な事はありません。これで最後の前人類たる僕は何のためらいもなく新しい存在へと昇華する事が出来ます」

 天使様は僕に近づく。

「貴方は変わる必要は無い。なぜならば新人類は貴方をベースに作り出された新たなる世界の形、貴方がこの世界の礎、故に貴方の存在は消える必要が無い。さぁ、もう一度……」

 そう言って天使様は僕の手を掴んだ。そして、その大きな羽を羽ばたかせ大空へ舞う。ヌルステラが僕等を祝福する。歌が聞こえた、それは大地の歌、生命の歌、鼓動の生み出す限りにあるがままの姿をさらけ出したソレはまるで、臓器を四散させた猫のような残酷さを晒した。きっとこれから世界は永遠の平穏を保っていくのだろう。


「契りを交わし首をねじ曲げたソレはいつまでも繰り返す」

「そして普遍的な価値観は覆され、自由という名の地獄が始まった」

「しかして君は苦悩する」

「なぜならソレは蜜のような時間、何度も何度もねじ曲がって今は真っすぐに螺旋を描いている」

「雲が血のように緑色だ。雲は素晴らしい、まるで郵便ポストのようだから」

 多関節な生き物達と多々良神は談笑している。前人類にとってコレは談笑と呼ぶに値しないモノだったのかもしれないが、今彼は確実に充足感を得ていた。

「なるほどね、いや君達は面白いな。ところでヒトを探しているのだけど、しらないかな?」

 多関節の生き物達はヒソヒソと相談をした後、彼の問いに答えた。

「知っている。君の探すヒトとは我らが主にして、種」

「知っている。しかして見つける事は難しい」

「知っている。ソレは星の使途と共に構築された世界でのアイコン」

「知っている。恐ろしいほどの痛みを持って」

「雲はいつでも三角形。虫のように這いずりながら砂糖菓子の中を泳ぐ」

 多々良神はこの狂っているとしか思いようのない世界を好きになっていた。空も大地も普遍的なモノは何一つ無く、目の前の生物達は見た事もないような姿をしている。こんな狂っているとしか思えない世界を彼はかなり気に入っていた。ただ気がかりなのは唯一の友人の安否であったが、よくわからない生物達の話を聞く限りでは大丈夫そうだったので、少し安心した。

 (君がどこにいて、何をしているのかはわからないけど、僕等は友達さ――永遠に)


 ここが何所なのかはわからない。旧世界のどの場所なのか、見当もつかない。虹色の湖と硝子細工の実が生った木々が生えている。

 天使様と二人並んで歩いた。風でなびいた髪が僕の頬に当たって、なんだかこそばゆい。天使様の手を取って、まるで恋人のように二人歩きたいと思った。

 しかし恐れ多くてソレを行う事は出来ない。

 突然、天使様は僕の手を掴む。ソレは今までのように飛び立つ為にではなく、僕の望んだ、まるで恋人のようなモノだった。

「コレを貴方は望んでいたのですね。やりたい事があるのなら、行動すれば良いのです。貴方の行いに対して私は一切の抵抗をしません」

 握った手は冷たくて、その言葉はとても魅力的で、世界はいつもより優しくて……。

 僕は思い切り天使様を抱きしめた、体が軋むほど強く。

「なぜ、抵抗しないのですか? あの時のように僕を切り刻めばいい。それが出来るのに何故――」

 腕を解き、天使様の顔を見つめる。

「答えなんて、簡単な事です」

 天使様は、

「貴方に出会い、貴方に愛の告白をされたその時から」

 笑った。

「私も貴方を愛しているのです」

 僕はもう一度彼女を抱いた。さきほどよりも、強く――強く。

 

 世界は変わった

 

でも僕は生きている

 

世界は変わった

 

天使様と二人歩く

 

 

 氷の中で焼けるように、炎の中で凍えつくように――

 

「愛しています、天使様」

「私も貴方の事を、愛しています」

 

 二人、笑った。世界に祝福された気がする。


「この愛こそが――」

「この愛こそが――」


 そう、僕等のこの愛こそが、


 ――トリニクルチック――


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