第5話 ファンタジーの世界に生きる
地平線の彼方に沈む陽は暖かい光を投げかけ長い影を作る。
俺とフィニアは日暮れ前に薬草集めを終了し、ギルドへと帰ってきていた。
ギルド内は一日の仕事を終え、帰ってきた冒険者でごった返している。
「あら、フィニアさん、ケイルさん、おかえりなさい」
俺達がカウンターに近づくと、俺のギルド登録をしてくれたギルド職員が声をかけてくれた。
「初めてのギルドのお仕事はどうでしたか?」
「うん、悪くないね。これなら俺でもやっていけそうだ」
「ケイル君、なかなか薬草集めの筋が良かったよう」
「ふふ、そうですか」
俺とフィニアはそれぞれ布で包んだトニラ草をカウンターに置く。
布で包んだ状態でも分かるが、フィニアは俺の倍近くトニラ草を集めていた。
「それでは清算しますので少々お待ちくださいね」
ギルド職員は俺達の包みを抱えると、カウンターの奥の部屋の方へ姿を消した。
「お疲れさんだね。今日はご飯が美味しいぞ~」
「こういうのが心地良い疲労って言うんだろうな」
「でも、これくらいでへこたれてちゃ冒険者の仕事はやってけないよ」
「ああ、そうだな。体力つけないとなあ」
「ケイル君は男の子だから、肉体労働とかもいいかもね」
「う~ん……そうだなぁ、あんまり気乗りはしないけど」
「何言ってんだよー、男なら当たって砕けろー!」
フィニアが俺の背中をバンと叩いたところで、奥からギルド職員が帰ってきた。
「お待たせしました。報酬をお支払いしますね。
フィニアさんがトニラ草63束で、銀貨2枚と銅貨1枚です。
ケイルさんがトニラ草34束で、銀貨1枚と銅貨1枚です。
ケイルさんはギルド宿舎を利用されていますので、本日の宿泊分を引いた銅貨6枚をお渡ししますね」
仕事報告時にギルド宿舎の宿代が引かれるのか。
これは毎日しっかり銅貨5枚分は働かないとな。
俺は報酬の銅貨6枚を手に乗せ、握り締める。
産まれて初めての給料ってやつだ。
感慨深いものがあるな。
俺は報酬の銅貨を腰に下げた小さな布袋に入れる。
「あ、そうだ、薬草包んでた布、あげるよ」
「え、いいのか?」
「うん、ボロボロで穴が空いちゃっても責任は持てないけどね」
「いや、助かるよ、ありがとう」
これからも薬草集めの仕事をやっていくとなると、これは非常に助かる。
こういった物がどこでどれくらいの値段で売られている物なのかも知らないしな。
「それじゃ、夕ご飯食べに行こっか」
フィニアに貰った布を畳んで地図と一緒に手に持つと、フィニアと共にその足で飯屋へと向かった。
到着した飯屋の看板を見てみると、ギルドキッチン、と書かれていた。
名前からして、ギルド経営の飯屋なのだろうか。
それとも、ギルドの近くでオープンした店だからそういう名前をつけたのだろうか。
肝心の料理は味は可も無く不可も無くといったところだが、何より量が多い。
昼間にコルディに奢った飯屋の倍近いボリュームだ。
ここで毎食銅貨1枚で食えるというのはこの上ない魅力だ。
しかも、朝飯をここで食えば無料でその日の昼のお弁当を包んでくれるとのことだ。
まだ生活基盤もままならない俺にとっては願ったり叶ったりだ。
俺とフィニアは夕飯を堪能すると、ギルドキッチンから出る。
外はもう真っ暗で、人通りも全く無い。
所々で松明の光がゆらゆらと揺らめいている。
民家の窓からもほとんど明かりは見えず、改めて異世界に来たんだと実感させられる。
電気って無いんだもんな、暗くなったら寝る、というのが当たり前なんだろう。
「ふい~、今日はお疲れ様」
「ああ、色々と本当にありがとう」
「どういたしまして~」
フィニアは大きく伸びをしていた。
ギルドキッチンの入り口の松明の光が、彼女を暖かい色で照らしている。
「あたしは別の宿とってるから、今日はここでお別れだね。
普段からギルドで仕事してるから、また会えると思うよ」
「ああ、それじゃあまたな」
「またね~、おやすみ~」
「おやすみ」
手を振って暗闇に消えるフィニアを見送ると俺も帰路につく。
部屋に戻ると、俺は手にしていた地図や布を床に放り出してベッドに大の字に寝転がる。
目まぐるしく過ぎていった今日の一日は、思った以上に俺に疲労を与えていた。
ベッドに横になって目を閉じた俺の意識はすぐに睡魔に呑み込まれていった。
孤児院からトクタースに来て二日目、俺は鐘の音で目が覚めた。
部屋の小さな窓から差し込む朝日が眩しい。
俺は大きく欠伸をすると、部屋を出て宿舎の近くの井戸へ向かう。
そういえば、昨日は風呂にも入ってないな。
俺は上着を脱ぐと、汲んだ井戸の水を頭からかぶった。
「ぷは~!」
冷たい水が俺の眠気を頭から流し落としていく。
孤児院では週に一度は風呂に入れたけど、外の世界ではどうなのかな。
前世でも週に一度くらいしか風呂には入ってなかったけど……。
俺はこれから外の社会で生きていくんだ、少しは身だしなみも気にかけないとな。
セイルが小さい頃は孤児院で濡らした布で体を拭いてもらっていた記憶がある。
最初は自分でもやっていたが、だんだんとそれもやらなくなっていた。
全く、ずぼらな性格の俺らしい。
孤児院では服やタオル代わりの布も洗濯してもらっていたが、これからは全て自分でやらなければならない。
最低限の生活必需品は買い込まないとな。
俺はびしょ濡れになった自分の姿を見て、考え無しに水をかぶった事を後悔する。
体を拭く布も持っていなかったため、俺は仕方なく昨日着ていた布の服で体を拭くことにした。
どこに干そうかと辺りを見回してみると、宿舎の窓際に長い紐がかけられていた。
見ると、いくつかの部屋の窓の前に服や布が干してある。
自分の部屋の前なら使ってもいいよな。
俺は体を拭いた布の服を他の部屋の窓にはみ出さないように干しておいた。
外から自分の部屋を見てみると、改めて狭く感じた。
一部屋が両手を広げたくらいの幅しかない。
早く宿舎を卒業して、フィニアみたいに宿屋で生活できるようになりたいものだ。
しかし、贅沢も言っていられない、そのためにはギルドで仕事をして金を稼がねば。
俺は気を取り直して上着を着ると、ギルドへ向かった。
ギルドへ入ると、冒険者はほとんどおらず、ギルド職員も少ない。
「あら、ケイルさん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
昨日のギルド職員が笑顔で声をかけてくれた。
「もう朝食は済まされたんですか?」
「え? あ、そういえばまだだ……」
「先にお仕事を引き受けてからでも構いませんよ」
「ああ……そうだな」
今日は何の仕事をやるかはもう決まっている。
俺は掲示板に向かうと、昨日のように薬草集めの依頼書を2枚剥がすと、ギルド職員のところへ持っていった。
「はい、薬草集めですね。昨日と同じですので、そのままお仕事に向かわれても構いませんよ」
なんともあっさりと仕事の受理が完了する。
こりゃ直接薬草を持ち込んでも構わないと言われるはずだ。
しばらくは薬草集めしかするつもりはないし、明日からは直接薬草を持ち込むか。
「このトニラ草とバウス草の採集ってのは、こうやって受付しなくても直接持ち込んでもいいんだよね」
「そうですね、二つともポーションの材料で需要が切れることはまずありませんから、いくらでも直接持ち込んでもらっても構いませんよ」
「なるほどね、それじゃあ行ってくるよ」
「はい、お気をつけて」
ギルド職員に笑顔で見送られ、俺はギルドを出ると昨日フィニアに教えてもらったギルドキッチンへと向かった。
銅貨1枚を払い、朝食を堪能する。
初めてで少し戸惑ったが、昼食の弁当を頼むと、すぐに包んでくれた。
その際に、包みの布はその日の内に返すようにと言われた。
それもそうか、布だってタダじゃないしね。
コンビニみたいに使い捨てのビニール袋もないだろうし。
弁当の包みを受け取ると、俺は一度宿舎に戻って地図と薬草の描かれた紙を取りに帰る。
こういった物も常に持ち歩けるように鞄か何か用意しないとな。
考えたら、昨日は地図も布も手に持ちっぱなしだったし。
昨日フィニアが先導してくれた道を思い出しながら地図を片手に町を出て、俺はカナロス平原へと向かった。
日はまだ高い、今日は一日薬草集めでバリバリ稼ぐぞ。
意気込みながら俺は昨日の群生地に向かい、フィニアに貰った布を広げて薬草集めを始める。
そうして無我夢中で薬草を集め続けて、陽が南高く昇る昼過ぎ。
早くもフィニアに貰った布の上にはトニラ草が山となっていた。
俺は弁当を食べながら満足げにその山を見つめる。
昨日も感じていたが、意外と集まるもんだな。
これなら薬草集めだけでも十分食っていけそうだ。
だがしかし、これで満足していてはいけない。
俺が目指すのは冒険者、ギルドマスターだ……!
……と、夢を追うのも大事だが、現実の生活基盤をまずは整えねばならない。
これ以上は薬草は持って帰れそうにないし、ひとまずはギルドに戻って報酬を受け取って、昼からは買い物にでも行くか。
俺は昼食を済ませると、トニラ草を布に包んで帰路につく。
ギルドに薬草を持っていくと、トニラ草96束で銀貨3枚と銅貨2枚分になった。
今日の宿代を差し引いて残金と合計すると、銀貨5枚と銅貨7枚だ。
俺は報酬を受け取ると、町の地図を片手に町へ買い物にくり出した。
まず、必要な物は何だろう。
地図などを入れる収納、体を拭く布、替えの服、薬草を持って帰る布も後一枚くらいは欲しいな。
そう考えると……裁縫屋か。
俺は地図を頼りに町の裁縫屋へと足を運ぶ。
裁縫屋へ入ると、店内は布製品や革製品で埋め尽くされていた。
革の鎧なんかも置いてあるが、値札を見てみると銀貨8枚。
まあ、まだ戦闘なんかの仕事をやっている訳じゃないし、今は必要ないか。
革の鞄なんかも意外と高く、安い物でも銀貨5枚だ。
やっぱり革製品は高いもんだな。
ギルドで支援装備として貰った厚手の服と手袋も、セットで買おうと思えば銀貨4枚が必要だ。
いろいろと悩んだ挙句、俺は腰から下げる布製の袋と、大きめの布を3枚購入する。
合計で銀貨3枚と銅貨2枚だ。
これで俺の全財産は銀貨2枚と銅貨5枚。
替えの服はまた明日にでも買おう。
明日も同じくらい薬草を集めれば足りるはずだ。
俺は裁縫屋を出ると、さっそく購入した袋を腰から下げて布と地図、薬草の描かれた紙を収納する。
ああ、両手が使えるって便利だな。
思わず俺は両手を上げて大きく伸びをする。
その時、何者かが俺にぶつかる。
伸びをしていたせいで俺はバランスを崩し、よろける。
「おっと、ごめんよ」
俺にぶつかった奴は、そう言い残して商店街の方へと走っていった。
何かありがちなセリフだなぁ……いや、まさかね……。
俺は慌てて腰に下げている布袋を確認する。
さっき買ったばかりの腰袋はある。
その隣に下げていたお金を入れている小さな腰袋は……無い……?
「あーっ!?」
俺は大声を上げた。その声に辺りに居た通行人が俺の方を振り向く。
唯一振り向かないのは……商店街の奥の方へと走っていく、俺の財布を盗んだ奴だ。
「くそ、この泥棒があぁ!!」
俺は大声を上げながらスリの後を追った。
「待ちやがれこらぁ!」
俺が声を上げる度に、町行く人は俺の方を振り返る。
中には足を止めて驚いたように俺を見る人もいる。
スリの犯人が足を止めよう筈がなく、奴は振り返ることなく逃げ続けている。
それをいいことに、俺は大声を上げて犯人を追いかける。
こうした方が犯人を見失わずに済む。
「俺の金返しやがれ!」
そうだ、俺が頑張ってギルドで仕事をして稼いだ金だ。
スズメの涙程度の額かもしれないが、あれは俺の汗と努力の結晶だ。
絶対に取り返してやる!
俺は無我無心で走り、犯人を追いかける。
その差はどんどん縮まっていく。
……あれ? 俺ってこんな足速かったか?
大声を上げながら肉薄する俺に辟易してか、犯人は路地裏へと入ろうとする。
路地裏に入られては地の利が無い俺には圧倒的に不利だ。
「絶対に逃がすかよ!」
俺は大声で叫び、走る足に更に力を入れた。
一瞬、周りの景色が流れるように過ぎていく。
ジェットコースターの様な急加速だ。
犯人が逃げ込んだ路地裏に入ると、犯人は俺のすぐ目の前に居た。
「おらぁ!」
俺は駆け込んだ勢いで犯人に体当たりをぶちかます。
その衝撃で俺と犯人は転倒し、その勢いのまま路地裏を転がっていく。
転んだ痛みなど意に介せず、俺はすぐさま起き上がり、まだ倒れている犯人の胸倉を掴んだ。
そのまま怒りに身を任せて奴の胸倉を思い切り引っ張り上げる。
「おら、盗んだ金を返せ!」
「ひ、ひいっ!? か、返すから手を離してくれ!」
「返してからだ!」
「ひいっ……! わ、分かったから……!」
布袋に入った硬貨が地面に落ちる音がした。
その音で俺は我に返る。
俺はスリの犯人の胸倉を掴んで、片手で奴を吊り上げていた。
スリの犯人は宙に浮いた両足をばたばたと動かして抵抗している。
……あれ、俺何やってんだ?
呆然としたまま俺は犯人の胸倉を掴んでいた手を離す。
スリの犯人はどさりと地面に落ち、倒れこんだ。
「ち、畜生っ……!」
捨て台詞を残して俺の財布を盗んだスリの犯人は走り去っていった。
俺はスリが手放した財布、孤児院で貰った小さな布袋を再び腰に括りつける。
ちゃんとした財布も買わないとな。
裁縫屋で物色していた時にも気付いたんだが、こっちの世界にはポケットという概念があまり無い。
今着ている支援装備のズボンにもポケットはついていない。
収納と言えば鞄や腰袋などが一般的だ。
それにしても……俺ってこんなに足速かったっけ?
それに、さっきは無我夢中だったとはいえ、俺は犯人を片手で持ち上げた。
持ち上げただけならまだしも、俺は奴を片手で宙吊りにしていた。
並の人間の腕力には到底できない芸当だ。
誰も居ない暗い路地裏で俺は自分の手を見つめる。
……火事場の馬鹿力ってやつか?
いや待てよ、俺を転生してくれた爺さん、ヤマトタケルの能力をくれてやるとか言ってたな。
それに適当に底上げしてやる、とも言っていた。
適当にってのが物凄く引っかかるが。
これは……調べる必要がありそうだな……!
【繰越】銀貨2枚、銅貨6枚
【収入】銀貨1枚、銅貨1枚:1日目薬草集め
銀貨3枚、銅貨2枚:2日目薬草集め
【支出】銀貨1枚 :ギルド宿舎費(二日分)
銅貨1枚:1日目夕飯代
銅貨2枚:2日目朝昼晩飯代
銀貨3枚、銅貨2枚:腰袋と布代
【合計】銀貨2枚、銅貨4枚