ごはん。たべたい
「ううう。お米。味噌汁~?!」
ころころころ。硬い寝台の上を転がる少女。見た目は小学生ほど実際は20歳の大人。
もちろん。由紀子である。
~ ガチガチのパンを器代わりにしてスープ喰う生活って信じられんなぁ。まぁ毎日食えるからいいじゃないか ~
この時代、兄弟のいる由紀子や彰子のような家庭ではいつも空き腹は基本である。
「ばばたべたい~! カニをバケツ一杯食べたい~!」
~ ああ。ばばは美味いよな。あたしも久しぶりに食いたくなった ~
「フロフキ饅頭~! フロフキ饅頭~! あんパン~~! あんパン~!!」
~ マジ、申し訳ありませんでした♪ ~
反省してないッ! 反省してないっ??!
そう心で叫ぶ由紀子にケタケタと笑う武田彰子の声が聴こえる。
そこに人の気配。素早く起き上がりノックの音に襟を正す由紀子。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは美貌の魔族。名前はない。妖精種でニンフといわれている。
「ウンディーネ様。『食料』の件ですが」
「麦も米も充分にある」
特に沼に生える毒草とされていた米の食事方法はこの世界にとって福音だった。
麦の十倍収穫できる米は食料革命を起こしたといってよい。三年間という短い期間ながら、四大魔将の尽力もあって急速に普及しつつある。
「違います。ウンディーネ様とノーム様が頑なに禁止されている。『アレ』の話題です」
「……」
黙り込む由紀子。武田彰子も今だけは大人しい。
「サラマンダー様とシルフィード様は許可してくださっています」
「くどいぞ」
「『最強』の我ら第一軍。アレの許可さえいただければ」
「くどい」
「しかし、『アレ』を喰わねば、啜らねば。我らは寝るか薬品の力しか魔力の回復の目処は立たず」
「寝ろ。しっかり寝ろ。ちゃんとその体制は整っている。兵には休憩を義務とさせよ」
ニンフは食い下がる。頑として受け付けない由紀子に。部下として。友人として。そして将としてその有効性を説く。
「薬品より、休息より、『アレ』を喰うほうが魔力の回復量は多いのです。しかも副作用が無く」
「その話は、ノームが却下している。私はノームの娘だ。亡き義父の方針に従うのは当たり前だ」
とりつくしまもない由紀子。
「『アレ』は豊富にあるのですよ? むしろ向こうが投石器で撃ちこんで来る始末です」
「死して腐敗した牛や馬、穢された挙句に殺された我らの子や娘もな」
由紀子は拳を握って呟く。
この世界には細菌の概念はないが、そういったものを打ちこめば都市の志気を落とし、同時に疫病を振りまくことは経験則で知られており、戦術に取り入れられている。
防衛側は弓や矢以上に、誰でも扱える『石』『排泄物』を武器とする。
特に『石』の備蓄は重要だ。
「石が尽きてきました」
使い手を選ぶ矢より、子供でも手にとって投げられる石は重要だ。城壁の上から投げれば、その威力は兜をも凹ませる。手拭い程度の布で代用できる投石器を用いればさらに射程も威力も増える。
『点』を狙って投げるより、複数投げて『面』を攻撃し、防御できる。
それが尽きてきたとニンフは告げる。
「それでも。だ」
由紀子はうめいた。
「死者への冒涜は許さぬ。これは魔族の未来において重要な案件だ」
恨みは恨みを呼ぶ。義父はそれを許さなかった。
「ノームは死して尚、我らに意思を残した。その意思を無碍にするものは義父への冒涜と心得よ」
~ 由紀子。だいぶ将軍様が板についてきたねぇ ~
ふうとニンフは肩をすくめる。説得は無駄だった。わかり切っていた。
「赤十字軍の働きは」
「人間どもも共に癒すなど、ありえませんが」
ニンフは呟いた。
「非常に、活躍しています。それから」
「『カンゴフ』たちは志願して残っています」
「なに?」
驚いて詰め寄る由紀子。続けるニンフ。
「また、助けた人間達も、自ら生き血を」
「……」
~ 魔族さんたちって、人間の生き血や肉を食うことで魔法の力を回復できるんだったっけ ~
武田彰子が指摘するそれは人間にはない能力であり、魔族と人間との決定的な違いでもあった。そして、二つの種族が争い続ける理由。
「日が暮れた。今日の戦争は終わりだ」
夜間の戦闘は明かりとなる燃料が必須である。この世界、一応魔法で明かりを点して闘い続けることは可能だが、人間の軍は夜間において無類の強さを誇る魔族にあえて挑むことはない。
「葬儀を。撃ちこまれた死体も、可能な限り姿形を整え、丁重に火葬にて」
「……了解。しました」
死体は、燃料が無くば燃えない。
必然的に魔力を必要とする。
しかし、放置すれば水を穢し、伝染病の原因となる。
焼くか、投石器で撃ちかえすか。
捕虜にした人間の司祭が祈りの言葉を上げ、魔族の青年が炎の魔法を唱える。
「ああ。燃えていく」
「アレがあれば我らはまだ闘えるのに」
兵たちは拳を握り締める。
「お前たち。仲間の死体を食われたり穢されてなにも思わないのか。ノーム様の言葉を思い出せ」
老年兵の叱責を受けて黙る兵たち。
老兵は燃えていく死体を見ながら歯軋りをした。
「死者の魂に安息あれ」
人間の司祭の隣に座り、祈りを捧げる由紀子。
「星の彼方に旅立つもの。汝の祈りは魔王に届く」
「汝の祈りは魔王に届く」
葬儀は魔族流の葬儀と並行して行われる。
「魔王は汝の願いを星に届け」「魔王は汝の願いを星に届け」
「祈りを因果律に伝えん」「祈りを因果律に伝えん」
「天の川を渡り、君は安らぎの旅に出る」
「天の川を渡り、君は安らぎの旅に出る」
「願いは天に届く」「願いは天に届く」
ゆっくりと天に向かって伸びていく荼毘の煙。天を横切る巨大な輪と星の河に向かって死者の魂は旅立ち、生者の祈りが続く。
闘いは。また明日から。