かんとりーろーど
「なんですか。あれは」
名馬『シンバット』に跨り、私は空を仰ぎました。
倒されたはずの、倒したはずの『滅びを司るモノ』が更に大きく膨れ上がって。
「あれは。エアデ」
義母の仇である『勇者』が苦悶の雄たけびを上げています。
『勇者』たち。魔王様。歴代の土魔将や水魔将。そして。
「義父ちゃん! 火のッ? 風のぉ?!」
ぼこぼこと砂塵を生みだし、暴風を纏い、己が炎に焼かれながら苦悶の叫びをあげるのは私の。私の義父と戦友にほかならず。
ありとあらゆる『勇者』と『魔将』、歴代の魔王様がその肉塊の中で呻いている醜悪な光景、それを取り巻く『滅びを司るモノ』に私は思わず剣を取り落しかけます。
「由紀子ッ」
「水のッ」
「水の。聞けッ」
剣を取り落しそうな私に火のの言葉はあくまで暖かく、風のの言葉はあくまで力つよく。義父の言葉はあくまで優しく響きます。
「我々は『世界』に取り込まれた力の残滓にすぎん」
「剣を振るえッ 水のッ 自由を護る為にッ」
「由紀子。我々はお前の知る我々ではない。躊躇うな」
な、何を言っているの。とおちゃん。火の。風の。
天使様たちがまた舞い降り、微笑みながら剣を私たちに振るいます。
止めなければ。そうおもうのに。そうおもうのに。足が、手が動きません。
「怯むな。由紀子」
「水の。俺の炎を掲げろ」
「水の。剣を取れッ 貴様は『水のウンディーネ』なのだぞッ」
落雷を生みだし、業火で人々を焼き、暴風が山を突き崩し、それでも口々に叫ぶ『勇者』に『魔王』に『魔将』の声。
そのすべてが私を、久さんを、世界中のひとを。命を叱咤します。
『我を討て』
『世界を護ってくれ』
ぬめり。血豆の潰れた掌から血の感触。
噛みしめた唇は燃えるように。瞳は熱い涙をこらえて。
私は、私は。『水のウンディーネ』は叫びます。
魔将の力を失っても、『水のウンディーネ』ではなくなっても。
それでも。私は西尾由紀子。そして『水のウンディーネ』。
私は叫び、鉄の剣を持って『シンバット』と共に斬り込みます。
白い翼が馬の突進力と私の剣によってもがれ、黒く変色していく姿を見ながら私は叫びました。
「怯むなっ ただ翼が生えて魔法が使えるだけの人間だッ
怯むなッ あの『勇者』や『魔将』は眩惑だッ」
死者を。戦友を。義父を汚すなッ。
「友をッ 夢をッ 汚す悪魔を許すなッ 剣を取れッ」
私の叱咤を聞いたわけではないでしょうが、私たち騎兵と魔王城の挟み撃ちを受けた『天使』達は次々と数を失っていきます。
火のの『炎』をつけた第一軍団旗を振るい、私は城のみんなに叫びます。
「水のウンディーネ。ここにあり!」
城内が急に沸き立ち、歓声が響きます。
「うんでぃーねさまがかえってきたのっ」
『……生意気なウジムシどもめ』
また、『金色の髪』の声がしました。
暴風がわたし達を翻弄し、更に天から雷が、隕石が降り注ぎ、次々とみんなが死んでいきます。暖かい命が。消えていきます。
「怯むなッ 闘えッ 魔族の勇士よッ! 人間の『勇者』達よッ!」
私は怯みたい気持ちを抑え、萎える手足を無理に振るい、涙を飲んで馬を走らせ。
「そうだっ 水のッ 来いッ 俺を討てッ」
「由紀子ッ 躊躇うなッ」
「水のッ これは眩惑だッ」
『勇者なんてもういないのよ♪ 誰が。誰があの世界の生き物を護ると? 私だけ♪ 私だけが神なのに♪ 愚かな道化達。踊りなさい。疲れきって、絶望して、私の糧になりなさい』
剣を振るい、槍を揃え、魔力を失った杖で殴り掛かって抗う私たちの耳朶に、そして頭に直接響く声。
『滅びの時が来たわ♪ 私の怒りを買った愚か者ども。審判を受けなさい。お前達を護る神は。悪魔は。精霊は。一柱もいない。滅びのみがお前たちの結幕。死こそが運命』
うるさい。うるさいっ うるさいっ!
次々と生み出される『天使』と『滅びを司るモノ』に完全に囲まれた私。
微笑みを浮かべながら剣を振り上げる天使たち。
あ。かわせない。無理。
思わず瞳を閉じました。風のや火の。義父の叱咤が遠く聞こえます。
死に際は色々思い出すって本当ですよね。
小さい頃の記憶。カエルや蛇に驚いたあぜ道。
あぜ道を超えて私を迎えに来てくれる豚のブー。
ブーがお肉屋さんに引き取られて行った日。
ヤギのシロ。
シロが目を離したすきに転んで死んでしまった日。
雪。鳥取の豪雪。
雪の中ではしゃぐ私たち。そしていつも遊んだ神社。
これはなに?
飾り立てた船たちが勇壮に進む姿。
「神舞だ」どなた?
漆喰で塗り固められた家々。微笑む老婆。
「お前の知人の知り合い。と言うべきか」
存じません。
「そうか。伊美別のを知らぬのも無理はないな。だが私は解るだろう」
あなたは?!
ゆっくりと季節が変わっていきます。
雪が溶けて花が開き、もぐらさんが動いて私たちがそれをおっかけて。
青々と葉をつけた木々が香りを放ち、入道雲が沸き立ち、風が吹いて。
あれは。私のおうち。
「由紀子に弁当を作ってあげないと」
そういって料理を作り出すのは。お母ちゃん。
「今からか。今日は私が届けてやろう」
おとうちゃん。まさか。
「由紀子。由紀子ッ」
この声。
視界が広がっていきます。
土がむき出しの道を超えて、森の中に続く道。
さわさわと葉が風で揺れ、故郷の香りが胸いっぱいに広がって。
お母ちゃんのご飯の味。そして。
「ゆっこ~!!」
聴こえます。これは。この声は。
道が凄い勢いで動き、いつもの。
いつもたっちぃと遊んでいる神社の鳥居が見えてきます。
鳥居を超え、社務所を抜けて。境内にいる少女が立ち上がって。
あれは。あれは。あれはっ?!
私の前に仁王立して割り込み、天使達の剣を弾き返したのは輝く乙女。
その微笑みは私の良く知る娘で。
「たっ……たっ……」
たっちぃ?!
「よっ 由紀子。元気かっ?!」
手を振り上げて気さくに挨拶する親友。
思わず剣を取り落し、へなへなと力が抜けて崩れ落ちてしまいます。
「さっきからきいてりゃ。がたがたと」うっせーんだよ。
親友が呟きます。
「ここにいるぞ。お前たちを護る『大精霊』がここにいるぞ。
あたしはお前たちを見捨てない。親友たちが守るお前たちを。世界を」
敢然と『金の髪』や天使との間に立って私を、私たちを護ってくれる親友の姿。
うそでしょう。
なんで。なんで?!
戸惑う私の頭に響く、強くて優しい声。
「お前の『声』。確かに届いたぞ」
魔王様?
「魔王なのは間違いないが、お前の友ではないな」???!
「由紀子ッ」
「由紀子ッ」
「由紀子様ッ」
「ウンディーネ様ッ」
「ゆっこちゃん!」
「由紀子はまだ帰らないのかなぁ お母さん今日は頑張って作ったんだけどなぁ」
「もう夕方だぞ。あいつは彰子ちゃんと遊んでいるんだろう。そのうち帰ってくる」
「ゆっちゃん!」
「由紀子ッ」
「由紀子姉ちゃん!」
「西尾君なら大学にも行けるのに」
鳥取に残してきた家族の声が、友達の声が、先生の声が。
この世界に来て出会った人たちの声が。
「魔将よ。立ち上がれッ」
「水のッ 負けるなッ」
「水のッ 剣を取れッ」
聴こえます。感じます。解ります。
生きている人の声、死んでいく人の声、これから生まれる人の声が。
『金の髪』に挑む久さんの姿が。少ない命を振い、抗う世界中の命たちの姿が。こころが。おもいが。わかります。
『武田彰子ッ!!』
『金の髪』の呪詛に両手を広げて親友は凛と私に、久さんに。皆に告げます。
「この武田彰子様が。いるぞ。『勇者』たちよ。この世界の生きとし生けるすべてよ」
「闘えッ! 『汝ら』は『勇者』なりっ」