血の絆より水の絆
「結局。由紀子はワシの事を『お父さん』と呼んでくれなかったな」
四天王の一角、『土のノーム』は自嘲してみせた。
その剣は彼の感傷を感じさせないほど迷い無く彼に襲いかかってきた兵を斬る。まだ幼さの残る顔立ちの兵は。丁度由紀子と同い年くらいだった。
その頭を踏み潰して次の兵を迎え撃つ。
「ノームを殺せッ」
「ノームは何処だっ」
人間共が調子づきおって。
彼は微笑み、四天王としての力を存分にふるってみせた。
剣が舞う。その斬撃を受けたものは切られたというより液状となって砕け散っていく。
あの子は知っていたのだろう。
勇者である彼女を保護し、娘と皆を偽り、自らすら偽っていた。
そう。親子でもないのに親子のフリをして、彼女を守る。彼女の意思など関係なくだ。
剣を閃かせ、次々と斬る。今度斬った男は壮年だった。もし、彼に家族がいるならば、それなりの年齢の子供と妻に恵まれていよう。
血の香に喉を焼く戦場の炎の煙の味。
心を震わせる甘美な悲鳴と剣に伝わる殺傷の手ごたえ。命乞いも辞さぬ人々。
魔族の彼にはその全てが快楽であり、すべてであったが。
「私のお父ちゃんは一人しかいません」
あの娘はそういってた。
二年以上暮らしていたのに、一度たりとも『お父さん』とはっきり彼女は呼ばなかった。ノームは自嘲しつつも、激を飛ばし、崩れかけた志気を維持する。
「退くなッ それでも魔王軍第四軍団の猛者かッ?!」
「し、しかしっ」
限界。だな。
第二軍団は攻撃に出ているし、第三軍団の増援は期待できない。
近くに第一軍団がいるのは間違いないが、彼らもまた勇者達の軍に包囲されているはずだ。
「私が殿を勤める。皆、引けッ」
「し、しかし折角構築した陣地がッ」
「今は貴君らの命のほうが大事だっ」
すまん。由紀子。
私は。私は。
親子ごっこがしたかっただけなのだろう。
お前の意思をまげて、お前に魔王軍しか身を寄せる場所が無い状況に追い込んだだけだったな。
これで『親』が名乗れるものか。まったく。ワシは愚かでどうしようもない男だ。
彼の魔術に捕らえられたものはあふれる大地の中で窒息し、もがいて苦しみぬいて死ぬ。其の様子に快楽を禁じえない自分を知っている。
故に。思う。
残虐とされる水のより厭らしく救いようが無いと。
酷薄とされる風のより酷薄だと。
激情の持ち主とされる炎のより理不尽であると。
「お父ちゃんは。いいました。たとえ、汚いことを覚えないといけないから。
死にたい。生まれたくないなんていっちゃいけないと。
生まれてこなかった人。死んでいく人。夢を諦めていく人々達のために。自分自身のために。『善き事を成す』のが人間の道なのだと」
不意に。『娘』の声が思い出された。
彼に群がる人間達を屠りながら、その言葉が彼の意識を呼び覚ます。
彼は死を意識していたが。思いとどまる。
死ねないと。
死ぬわけにはいかぬと。
それは。正義を成せないなら何故産んだと母に、父に詰め寄ったときの由紀子に実の父が答えた言葉だという。
答えのない答えにその男は娘にそう答えたという。
病に倒れてなお、その言葉。其の意思。
顔は見たことはないがあの娘を育てた両親だ。善き親なのだろう。
「生きている限り。『善き事を成せ』か」
魔族の彼には、『善きこと』の意味はほとんど解らないが。死んでいく勇士たちのためにできることは。ある。
ここが死に場所。だが、簡単にしんでやるものかと。
「殿は私が勤める。逃げろ」
「しかしっ?!」
「ノーム様は魔王軍の良心ッ」「ノーム様なくして魔王軍は成り立ちませんッ」
なんだ。何をいっているのだ。あれほど私を畏れていただろうに。私は長く生き過ぎたようだ。彼は苦笑いする。
いつのまにこのような卑しい男が、そのような評価を受けるに至ったのだろうと。
クロスボウの矢を切り落とし、極所地震魔術で敵を葬り去り、煮えたつ土の中に敵を溺れさせる。剣で。刺す。殺す。突く。斬る。『大地の鎧』に敵の槍は。矢は防がれる。
「由紀子。最後にお前に謝りたかった」
力尽き、倒れかけた彼の耳に。死を覚悟した彼の耳に鬨の声が聞こえてきた。
幻聴?
違う。
幻覚?
そこまで衰えていない。
そして、同じ反応を味方も敵も示していた。
鬨の声を上に感じ、あるものは振り返り、あるものは呆け、山の上をみる。
ばかな。間に合うはずが無い。
敵も。味方も。全てのものが見た。
武装すらしていない魔軍の騎士達がその手に剣だけ持って一斉に坂を駆け下りてくる姿を。それは対立していた第一軍団の将兵たちに他ならず。
勢いを盛り返した魔王軍は一丸となって人間を迎え撃つ。剣が閃き、魔法がとどろき、人間どもを血と肉の袋にしてゆく。
血しぶき舞い、勝者と敗者が入れ替わる地獄の戦場で、彼は二度と聞けないと思っていた『義娘』の声を聞いた。
「……おと。……お義父。ちゃん」
振り返ったノームはその『義娘』の異様な姿に目を見張った。
優しい。言い換えれば無知のしるしの微笑みは、凄惨な血と禍々しい呪痕の紋様に覆われ、身体を包む服には水しぶきを上げる衣がまとわりつき、人の身長を軽く越える刀を持った『義娘』の姿を。
「ゆき……こ?」
「ノーム……さん。おとうちゃん」
二人は、剣打ち合い、血が飛び交い、怒号が震える戦場にて強く抱き合った。
強く。熱く。
「すまないっ すまないっ」
「ぶじで。ぶじでよがった。お義父ちゃんが。ぶじでよがった」
抱き合う二人の膝は折れ、血たまりの中に沈む。いつしかぽつぽつと降り出した雨。血の香りを洗い流し、炎の熱さを奪い、喉を貫く渇きを癒し、死した兵士の瞳の上で弾ける。
彼らには。まだやるべきことがある。
生きている限り成さねばならぬことがある。
「由紀子。いや。『水のウンディーネ』」
「ええ。『土のノーム』」
「我らは消耗が激しい。殿を任せていいか?」
「喜んで。貴君の勇気に応えよう」
彼らは微笑みあった。地獄の悪魔すら恐れおののき、天の神々すら魅了するほど爽やかな笑顔で。太陽の光すら届かぬ豪雨の中、由紀子は水魔将として初の撤退戦を開始した。
後の世にて『水の絆の戦い』と呼ばれる戦いの始まりだった。